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Dear Mr.Songwriter Vol.4

SOMEDAY 

佐野元春With The Heartland  M21

1981.6.21 PHOTO 渡辺真也

元春4枚目のシングル"SOMEDAY"は1981年6月21日にリリースされる。チャート的には100位圏外という事。(BRIDGE 「佐野元春の10曲」の時のコメントは78位、他媒体だと84位という記述もある。)とにかく結果的にシングルとしては売れなかった様です。1989年にTV CMにも使われて再発された時は、最高位27位。今となっては一番の代表曲だと思うけど、当時の状況はどうだったんだろう。運命の出会い。曲の構成。伝えたかった事。今回はシングルとしてリリースされた"SOMEDAY"についてまとめてみました。コーヒーでも飲みながら一緒に聴いていこう。


Cha.1 大滝詠一との出会い

時は1980年5月。大滝さんが『ロング•バケイション』のレコーディング中、作詞家の松本隆さんのご家族に不幸があり、やむを得ず中断する運びに。その3ヶ月後に銀次さんから大滝さんに連絡が入る事に。

大滝 8月に伊藤銀次が久々に連絡してきた。僕のレコーディングの休みが明けるか明けないかって時期。"今、佐野元春っていうアーティストをプロデュースしてます"って言うからさ、"知ってるよ"って答えた。銀次は驚いてたけどね。こっちはTBSの林美雄さんのラジオ番組ですでに佐野くんの曲聴いてたし、銀次が関わっていることもとっくに調べずみなわけですよ。それで、じゃ、そろそろレコーディングを再開するから見においでよって。で、銀次と佐野くんがスタジオに来た。8月24日だね。のちに「さらばシベリア鉄道」となるレコーディング。佐野くんのシングル「ガラスのジェネレーション」が80年の10月発売だから、その2ヶ月前。
 何時間くらい見学してたの?
佐野 3時間か4時間くらいはいたような記憶があるけど。とにかく、大滝さんのレコーディングに銀次が連れて行ってくれるっていうので、すごく楽しみにしていて。
大滝 セッションまるまるいたと思うよ。
佐野 大滝さんのを見て、レコーディングは人から指図されるものじゃない、自分でやろうと思った。帰りのタクシーで銀次にその決意を伝えたのを覚えてる。これからは自分でプロデュースする、と。
大滝 銀次も、なんか大滝さんのレコーディングに連れて行ったらそう言われそうな気がしたんだよなぁ••••••って言ってたよ(笑)。

レコード•コレクターズ2012年4月号 
特集「ナイアガラ•トライアングル Vol.2」再構築版
佐野元春 杉真理 大滝詠一インタヴュー
聞き手 萩原健太 湯浅学

名盤ライブ『SOMEDAY 』佐野元春 BOOK

Cha.2 都市の音

「都市を舞台にした『サムディ』には、タイヤのきしむ音や人のざわめきが必要だったし、ピアノが何重にもユニゾンを奏でることで偶然に得られる倍音がなければ、楽曲は成立しなかった。そして、僕が歌うメロディ•ラインに対抗する形で、女性のコーラスを入れたい、と思ったんです。性別についても複数の要素を持ち込みたかった。なぜなら、都市というものはいつも、複数の要素をあわせ持っているから。もちろん、シンプルなバンド演奏ではなくさまざまな要素を入れ込めば、制作費用も膨らむ。レコード会社には、『今回のアルバムは好きなように作らせてほしい』と無理を言ったんです。僕はこのアルバムと心中するつもりだった、もしこれで売れなければ終わりだと」

時代をノックする音 佐野元春が疾走した社会 山下柚実

冒頭の都市の音。1979年10月、広告代理店の社員として、ラジオ番組の制作に携わっていた時にロサンゼルスで録ったものだという。

「楽曲の最初にクラクションやタイヤのきしむ音。サイレン、歩行者たちのざわめき、街の独特のにぎわいを入れることによって、イントロの数秒でリスナーがすぐ都会のイメージに包み込まれるような仕掛けをしたんです。でも、街のノイズがあっても、同時にそれが音楽的に聞こえなければいけない。ドラムの音にブレーキ音がかぶさってしまってはならない。楽曲の隙間を縫うようにしてすっと、ブレーキ音特有の鋭さが差し込まれるようにしなければ••••••。どの隙間にどの音を差し込むのか、僕はストックしておいたサウンド•エフェクト(効果音)の中から、時間をかけて選び出しました」

時代をノックする音 佐野元春が疾走した社会 山下柚実

大滝さんのレコーディングを経験し気持ちを新たに、背水の陣の気持ちで挑んだ3枚目のアルバム。その先行シングルとして"SOMEDAY"を制作する。

Cha.3 元春版ウォール•オブ•サウンド


六本木の小さなスタジオ(路上のイノセンス 下村誠 著 ではマグネットスタジオとの記載があるが、調べたら1984年開設という事なので、どうなんでしょう?)でThe Heartlandとデモ録音する。

佐野 僕はTHE HEARTLANDのメンバーを全員、東京の、もう今はなくなってしまったマグネット•スタジオというリハーサル•スタジオに呼んで、「ドラムはまずこういうフレーズからはじまって、ベースのラインはこうだよ」と。で、アコースティックギターを4本一気に弾きたいんだけど、僕たちのメンバーの中にギタリストは、銀次しかいなかったので、僕と銀次と2人で弾いたものを何回かダビングしよう。ピアノも、僕が考えるピアノの音は、1台のピアノではなく、何台かが鳴ってるイメージだから、西本(明)君はこのレンジを弾いて、僕はユニゾンでもう1オクターブ上のレンジを弾いて、それをダビングしよう。というように、バンドも人数少なかったし、リハーサル•スタジオは狭かったけど、どうにか六本木の広いスタジオで行われていた大滝詠一『A LONG VACATION』のサウンドに近付けようと思って、工夫に工夫を重ねた。そして僕はそれを全部録音したんだけど、狭いですから、どうしてもエコー感が足りない。残響感が足りないので、ドラム、ベース、ギターそれぞれに適切な深みのあるエコーを入れて、そしてどうにかウォール•オブ•サウンド的なイメージのものをミックスして仕上げて、カセットに入れた。
 でも、僕はそれがすごく気に入ってた。この音こそが僕が奏でたかったサウンド。日本でこのサウンドはまだ誰もやってないはず。次の課題はこの音を誰が理解して、誰がエンジニアリングしてくれるのかということだった。当時それをできるのは自分の中で2人しかいなかった。吉田保さんと吉野さん••••••。
ー 吉野金次。
佐野 はい。吉田さんは、山下達郎さんをはじめ、スパークリングでクリーンなサウンドを作っていた方。一方、吉野さんは、はっぴいえんどのアルバムを手がけた人。ドライなロックサウンドを作っていた。僕は《SOMEDAY》のサウンドを作れるのは吉野さんしかいないと思い、彼に連絡して会いにいき、デモを聴いてもらった。「このサウンドを一緒に作ってほしい」と頼んだら、彼はちょっと考え込んで、ジェントルな物腰で「いいですね、やりましょう」と言ってくれた。そこから《SOMEDAY》のレコーディングが始まった。

EPICソニーとその時代 スージー鈴木

ここでイントロの印象的なフィルを叩いている古田"Mighty"たかしに登場してもらいましょう。

ー「サムデイ」の出だしのあの有名なフィル•インを最初に叩かれたときのことは覚えていますか?
古田 佐野くんがピアノのイントロ•フレーズの前に勢いをつけるフィルが欲しいって言ったんです。レコーディング用のリハをしているときに作ったと思うんですけど、多分いくつかのパターンを叩いて、「それ!いや、もうちょいそこは、それ!」というふうに。佐野くんがお手本で叩いたこともあったかな。ふたりで、みんながいるまえであれこれやっているうちに完成しました。

名盤ライブ『SOMEDAY』佐野元春 THE BOOK

アルバム『SOMEDAY』では、この"SOMEDAY"と"ロックンロール•ナイト"の2曲がThe Heartlandとの録音になっています。
メンバーは
Dr.古田たかし
EB.小野田清文
A.pf.西本明
Sax.柴田光久

AG.吉川忠英、安田裕美、青山徹
Per.高杉登
Timp.金山功
Chorus.プリティ•フラミンゴス、千葉生也

Cha.4 吉野金次のエンジニアリング

元春が六本木のマグネット•スタジオでハートランドのメンバーとともに録音した〈SOMEDAY〉のデモテープを持って吉野金次の事務所を訪ねたのは、八十一年の三月二十二日だった。
「当時はいまのテイク•ワン•スタジオがあるビルの地下に事務所があったんです。初対面のときは、その前日に(三月二十一日)はルイードでライブがあって、テーブルの上から飛び下りるときに失敗したらしくて、足をくじいたんです、と言って、びっこをひきながら事務所に入ってきたのを憶えてます」と語ってくれたのは吉野金次だ。彼は続ける。
「彼のことを初めて知ったのは、ジュリーの《GS•I LOVE YOU》の中に彼が書いた作品が三曲入っていたでしょう。あれからなんです。それで最初は詩に新しいものを感じましたね。そのあと出ていた二枚のアルバムを聴いて、特に《HEART BEAT》に、それまでになかった新しい、とてもピュアなものを感じたんです。そしたら、佐野くんの方からプロポーズがあったんです。『今度、新しいアルバムを作りたいと思っているんですが、その前にシングル一枚と、そのあとのアルバムを吉野さんにミキシングしてほしい』という電話でした。それで彼に会ったんです」
元春は、その日吉野金次に、沢田研二のアルバムを聴いて吉野金次を知ったということ、そして吉野さんは作品にジャストなミキシングをする人だ、という内容の話をして、マグネット•スタジオで録音した〈SOMEDAY〉を聴かせた。
「あの歌を初めて聴いたときは、何をまともなことばかり言ってるんだろうと思いましたね。詩だけ読むとずいぶん生意気なことを言ってる人だなという印象だったんです。それで、今度一度ルイードにライブを見に来てくださいと言うので、翌月のルイード(四月十九日)のコンサートを見にいったんです。ステージを見るとすごく可愛いんだよね。詩だけ読むと変に大人ぶった生意気な感じが、コンサートだと、なんか可愛いくてね。全体的に、サウンドとかビートとかステージ•マナーとかを含めて見ると、彼のそういったあたりまえのことを真面目に繰り返し言う態度が気にならなくなってきて、今度は逆に、ストレートに自分の思っていることを語る彼の姿がかえってフレッシュに思えてきたんですよ。〈SOMEDAY〉〈DOWNTOWN BOY〉、そしてアルバムを一枚一緒に作ってみて感じたのは、彼がクレイジーだということですね。佐野くんはいろいろないい面を持っていますよね。たとえば音楽のセンスが良いとか、声が力強いとか、でもそれ以上に凄いのはクレイジーなところなんですよ。コンサートでもそういう面は出ていると思う。なんか知的な感じもするんだけどクレイジーなんですね。彼の音楽がいままでのロックと違うのは、熱狂があったと思えばクールになったりして、レンジが広いでしょう。でたらめなことも言いだすんですよ。つまり彼の要求してくるのは、常識だと無理だと思われることばかりなんですよね。だから、僕も新たにチャレンジして彼の要求している音を作んなきゃいけないんですよ。だからもう肉体労働でしたね。でも、それが僕にとってものすごい刺激になってパッションが湧いてくるんですけど」

路上のイノセンス 下村 誠

Cha.5 歌舞伎アレンジ

大滝 "吉野さんは『ロンバケ』のエンジニアの吉田保さんと違ってエコーは得意じゃないから"って言った覚えがある。
佐野 覚えてます。
大滝 それともうひとつ、"自分が思ってる以上に派手にアレンジしないと派手な曲にならないよ"とも。ぼくはそれを"歌舞伎アレンジ"って言ったんだけど。自分は10足したつもりかもしれないが、日本の歌謡曲は飾りが多いから自分が思った以上に派手にやらないと•••って。で、そのあとどこかで会ったとき、佐野くんが"大滝さん、歌舞伎アレンジでやりました"って。
佐野 そうです。"歌舞伎アレンジ"(笑)。吉野さんは最初「サムデイ」を聴いて、スティーリー•ダンみたいな、ああいうドライで楽器の定位がきちんとしている音を志向していたんです。だけど、"違う違う"、デモテープ聴いてください。こうゆうエコーが深い大げさなサウンドなんです"って。で、吉野さんもわかってくれて、深夜のスタジオの階段にスピーカーを置いてドラムとベースを流して、そのアンビエントを深夜のビルに響かせてエコーを録って混ぜていった。
大滝 それだと逆相になっちゃうけどね。
佐野 そうなんです。でも、街のざわめきみたいに聞こえたからそれはそれでいいかなって(笑)。で、"歌舞伎アレンジ"。とにかく派手に、シンプルなフォー•リズムじゃなく、オーケストレイテッドされた音像。アコースティック•ギターは2台以上、パーカッションも同時に鳴らして、倍音を出して•••。大滝さんのレコーディングが本当に参考になった。あれを見てなかったら、ぼくは「サムデイ」をどういうふうにレコーディングしていいかわからなかったと思う。

レコード•コレクターズ2012年4月号
特集「ナイアガラ•トライアングルVol.2」再構築版
佐野元春 杉真理 大滝詠一インタヴュー
聞き手 萩原健太 湯浅学

深夜のビルの階段で音を鳴らしたというのは、知られるエピソードだと思うけど、それに対して大滝さんがそれだと「逆相」になると即答していて、それに対して元春もわかってはいたけど、"街のざわめき"に聞こえたの下り、すごいなー。素晴らしい強い意志を感じます。

Cha.6 音像の秘密

ここで音楽評論家の萩原健太さんによる音像の解説

音像の定位に注目してみよう。ヘッドホンでこのシングルを聴き直してみるとよくわかるが、まず中央に定位しているのがボーカル、ドラム、タンバリン。その他の、楽器類はほとんどすべて左チャンネルにおしこめられている。右チャンネルには、左チャンネルのディレイ(リピート1回のエコー)のみ。つまり、左で鳴った音がそっくりそのまま、一瞬遅れて右から聴こえてくるわけだ。これによって、まるで類似ステレオ•レコードのような半ば強引な音の拡がりが生まれている(この画期的な手法は、のちに「ハッピー•マン」でより過激に行われている)。
 サウンド的に言うと、「SOMEDAY」の最大の聴きどころは"窓辺にもたれ夢のひとつひとつを••••••"という歌詞の箇所だ。佐野版ウォール•オブ•サウンドはここで最大のクライマックスを迎える。スネア•ドラム、ベース•ドラム、ティンパニー、タンバリン、アコースティック•ギターのコード•ストローク、ベース••••••これらが同時に同じアクセントを力強く打ちだし、深いエコーの中、まるでひとつの壮大な楽器が鳴り響いているかのようなダイナミックな一瞬を演出する。
 デビュー盤『Back To The Street』や『Heart Beat』で聴かせた、分離のいいタイトなサウンドから、佐野元春はこうして180度の大変身をとげた。フィル•スペクターがモノラル•レコード全盛期に、当時の最先端的技術だった4チャンネル•マルチ•トラック•レコーダーを使って完成させた雄大な音像を、彼は24チャンネルのレコーダーを駆使しながら、よりグレードアップさせた形で現代に甦らせたわけだ。これは強力だった。
 アレンジ面にもちょっとした変化が見られる。曲作りに関する基本的な力学は1枚目、2枚目のアルバムとほぼ変わっていないが、それを支えるバッキング•パターンの構成がより緻密になった。
 それまでの佐野作品は、たとえば「アンジェリーナ」のように、ひとつのメロディに対してひとつのバック•リフがつく、というごく一般的な技法にのっとってアレンジされていた。(譜例1)
 が、「SOMEDAY」の場合、テーマ部のメロディを、実に3つのバック•リフがサポートしている。(譜例2)"C→Am→Dm→G7"という、ありふれた循環コードの中に、4つの違ったメロディが同居しているのだ。これは、従来の佐野作品には感じられなかったポリフォニックな効果を生みだした。そして、このポリフォニックな手ざわりが、これ以降の彼の作品を支配する重要なキーポイントとなっていく。
 何かをふりきったような爽快感と、これから何かが始まろうとしている熱い胎動。「SOMEDAY」にはそんな"成熟"と"予感"がびっしり詰まっていた。佐野元春は、自分の考えるポップ•サウンドとはこういうものだ、ということを、1枚のシングルで明快に、過激に、ぼくたちに向かってアピールしてきたのだ。

GB 1983年12月号 Just my Sound 構成•文 萩原健太
譜例1 譜例2 作成 萩原健太

"窓辺にもたれ〜"からの連打すごく好きなポイントです。しかし、この解説すごくないですか?CBSソニー出版から出ていたGB(ギターブック)は元春をかなりプッシュしていて、1983年はリアルタイムではないので古本屋さんで元春の出ている号を片っ端から探したんです。で、すごい事書いてあるなーって思ってて、知ってる人はもちろんたくさんいるんだろうけど、こんな、左から右に飛ばしているとか、4つの違ったメロディが同居しているとか、聴きはじめの頃は全然わからなかったんだよ。それで後に書いてるの萩原健太さんだ!って発見した。それから今でも健太さんは信頼できる人って思ってます。

ここで少し整理してみよう。前作「Heart Beat』録音時に、サビの部分しかできていなかった
楽曲、「SOMEDAY」。80年の8月に銀次さんに誘われて大滝さんのレコーディングを見学。大いにショックを受けて、もう人任せにしないで、自分でやるぜ、となる。ライヴで実績を重ねていたバンドThe Heartlandもメンバーが固定する。そしてウォール•オブ•サウンドを目指してデモを元春指揮のもとレコーディング。81年3月に曲提供をしていたジュリーのアルバム『GS• I Love You』を聴き、ミックスを担当していた吉野金次さんにお願いする。そして81年4月にリズム•レコーディング•エンジニアとクレジットされている飯泉俊之さんがレコーディング。そして吉野さんがミックスして完成という流れでしょうか。

Cha.7 重要な人生の意味

歌詞に関しては、この2人の対談が好きなので引用します。

2021年SWITCHに記載された小川洋子さんとの対談。3月にコロナ禍でのライヴが終わった後の話から。

小川 ライブ後半では八〇年代の曲を畳み掛けられましたね。
佐野 八〇年代から僕の音楽と共にいろんなことを経験してくれたファンにとっては、きっと特別な時間になると思いました。でも、自分からすれば八〇年代に書いた曲も九〇年代に書いた曲も、時代の差はあまりないんです。皆さんは僕の八〇年代の曲を素敵なノスタルジーとして受け取ってくださります。しかし自分の中にはそうしたノスタルジーはまったくないんです。
小川 でも私はノスタルジーではなく、新たな可能性を発見した思いです。アレンジも変わっていた。「悲しきRADIO」から「アンジェリーナ」まで、本当にときめく時間でした。佐野さんが「SOMEDAY」を作った時には考えもしなかった聴かれ方をしているような気もします。このパンデミック、コロナの時代に"いつかきっと"という願い、「SOMEDAY」で歌われた言葉が別のリアリティを持って立ち現れ、循環している。「SOMEDAY」という曲自体、もしかしたらラブソングかもしれなかったものが今、時代を歌う歌に自然となっていた。
佐野 それは嬉しい。自分があの曲を書いたのは二十四歳。ソングライターとして曲を書き始めた十代の頃は本当にポップ音楽が、ラジオから流れてくるヒット曲が大好きだった。そしていつの頃か"Someday"という言葉が気になりだしていた。この言葉が使われる重要なポップソングが僕の中に二曲あるんです。ひとつは、クリーデンス•クリアウォーター•リバイバルの「Someday Never Comes」、"いつかきっと"は来ないよという歌。もうひとつはシュプリームスの「Someday We'll Be Together」、いつか私たちは一緒になるという歌。Somedayという言葉を使って正反対の表現をしている。どちらの曲も真実を伴って僕の中に入ってきた。そんな"Someday"を使って自分も曲を書きたいといつも思っていた。だから、「SOMEDAY」を書いて僕は夏休みの宿題を解いたような気持ちでした(笑)。
小川 今も途切れずに、その夏休みはずっと続いてます。
佐野 小川さんが言われるように、「SOMEDAY」が時代を経てまた聴き手に新しい意味を提示しているとしたら、ソングライターとしてこれほど冥利に尽きることはありません。
小川 「SOMEDAY」の中の"Happiness & Rest"というリフ、若い頃の私が佐野さんを好きだった理由です。パッションではなくRest。幸福と並ぶものとして静かな安らぎを求めている。四十年経つと、これが全然違う意味を持って湧き上がってきます。
佐野 小川さんが本当に良き聴き手で、僕は幸福です。正直、「SOMEDAY」を書いた時は、"Happiness & Rest"と英語で逃げてしまったという若干の苦味を残しているんです。ここをもっと自分の中で噛み砕き、日本語で表現できていたらもっとよかったというちょっとした苦い思い。それから歳を重ね、今この"Happiness & Rest"をどう訳するのかと問われた時、しばらく考え込みました。"Happiness"は一つの"幸福感"です。でも"Rest"これをどう日本語に訳するのか、ずいぶん迷いました。そして、"静寂"といつ言葉に行き着いた"Happiness & Rest"は"幸福と静寂"だと。
小川 むしろ何もない、でも心地の良い空洞。
佐野 それこそがなかなか現世で得ることのできない世界。しかし重要な人生の意味。

SWITCH JUNE.2021 VOL.39 NO.6
佐野元春40thANNIVERSARY「その歌は時代を照らす」
小川洋子×佐野元春[雷鳴の後で]

そして最後にもし、今そこにギターがあるなら

"まごころ"の"ろ"のコードがFマイナーではなくDm7-5(Dマイナー•セブン•フラット•ファイヴ)のせいで何故一段とグッとくるのか、憶えておくといい。そうして不協和音の妙を憶えられる。

[ギター弾き語り]佐野元春コンプリート•ソング•ブック
監修 佐野元春 文 長谷川博一

さて僕の方はというと、いつかきっとは来たのか、これから来るのか、まごころはつかんだのか、つかめなかったのか、愛の謎は解けたのか、解けていないのか、答えはいまだにミステリー。でも確かな事がある。おとうさん(ダディ柴田)のサックスソロは最高だし、君の"ステキなことはステキだと無邪気に笑える心が好きさ"
#佐野元春


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