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【議論】そもそも議論にならない場合が多すぎる

先日、とある方のツイートでバトルを見かけました。
傍から見たところ、前提となる言葉の定義が違っており、議論が成り立たず、単なるバトルと化し、ツイ主がそれを指摘して終わらせていました。

こういうの、よく見かけますよね。
特にTwitterでは多いような気がします。

私がTwitterを始めたのも、興味のある事柄について自由に意見を交わしたい、と思ったことがキッカケでした。
しかし、多くはそもそも議論にすらならず、バトルになるか、一方的に叩かれて終わる。何なら、エアプで叩かれてブロックされて終わる。
そういうことが多かったです。

何故、議論にならないのでしょうか。

そもそも、議論とは何なのか、そこを理解していない人が多いような気がします。

議論とは、「互いの意見を述べ合うこと」なのですが、議論を成立させるためにはいくつかの前提条件が存在します。

①「何」について議論するか

これは議論する大元の言葉が何なのか、ということです。
実はこの時点で大きな齟齬を生じている場合が非常に多い。同じ言葉であっても、人によって定義が異なるのです。

例えば、「仕事」について議論するとします。
ある人(A)は、「仕事とは、対価をもらって労働力を提供することだ」と考えています。
またある人(B)は、「仕事とは、生き甲斐のことだ」と考えています。

A「今の仕事、やり甲斐はあるけれど見返りが少ない。転職した方が良いかもしれない」
B「やり甲斐があるなら続けた方が良い。給料が良くてもやり甲斐のない仕事ならやる意味がない」

というように、最初の前提が異なることで、Aが本当に話したい内容がBには伝わらない、という現象が生じます。
しかし、お互いそのことに気づかず、このまま議論を始めたところで平行線となるのです。

②「論拠」はあるか

議論したい事柄について、客観的な論拠があるかどうか、は非常に大切です。
主観的な意見だけでは、感情論にしかならず、議論は成立しません。

同じく「仕事」のAとBの例えで言うと、
A「同じ世代の平均収入は〇円で、自分は大きく下回る。しかし、同じ世代の平均勤務時間は〇時間で、自分は大きく上回る。これでは仕事とは言えない」
B「でもあなたは仕事にやり甲斐を感じている。それが仕事にはいちばん大事ではないか」

みたいなことになります。
AはBに何を言っても無駄だな、と感じるでしょう。
しかし、例えばBが、

B「あなたと同じ仕事をする人のデータがあり、幸福度は同じ世代の人よりも高い。また、数年後には平均収入よりも高い収入を得られるというデータがある」

と、客観的なデータを示した場合、Aは有意義な意見を聞いた、と思えるでしょう。

このような、前提条件(定義)の擦り合わせや、客観的な論拠があることで、議論は成り立つのです。
SNSでは短い文章でそこまでの前提条件をクリアすることができず、また、脊髄反射的に感情を爆発させてしまう人が多いことで、議論が成り立ちにくい環境なのかな、と思います。
「日本語が通じない日本人」というのも、ほぼ、この前提条件がクリアできない人なのかな。日本語の意味をはき違えている、という人も見かけますが(定義が違うという意味では同じこと)。

また、客観的なデータの示し方にも意図がある場合もあり、なかなかに難しい問題かもしれません。
統計学ってきちんと勉強するべき学問だったんですね…今更後悔していますが(苦笑)。

SNSに限らず、議論は日常的に起こります。
どうしても食い違うな、話にならないな、という場合は、前提条件を擦り合わせ、客観的な論拠があるかどうかを確認することで、スムーズな議論(話し合い)になるかもしれませんね。

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