見出し画像

スイミー・レオニ・延藤安弘|それぞれの持ち場でいろいろな眼になる

今日は次女の保育園で「生活発表会」。出し物は『スイミー』の劇で、娘は重要キャストの「赤い魚」です。実は10月にあった長女の学芸会も『スイミー』とあって、今年は「スイミー尽くし」なのでした。

スイミーのお話ってどんな内容だった?

自分の『スイミー』初体験はたぶん小学2年国語教科書にて。調べてみると、どうやら光村図書版『たんぽぽ:こくご2上』昭和55年度版らしいです。出版社の教科書クロニクルを辿ってみると、30年たっても案外覚えている作品と、まったく記憶にない話があって興味深い。

で、『スイミー』はというと、やはり覚えている部類。

ひろい うみの どこかに、 ちいさな さかなの きょうだいたちが
たのしく くらしていた。
みんな あかいのに、 一ぴきだけは からすがいよりも まっくろ
でも およぐのは だれよりも はやかった。
なまえは スイミー。

この出だしはいまだに覚えてる。

じゃあ、どんな話と受け取っていたかというと「一匹だけ黒い小魚スイミーを筆頭に仲間の赤い小魚たちが一緒に泳いで大きな魚のふりをすることで、脅威だった大きな魚を追い払う話」といった程度でした。

なお、日本語版絵本は谷川俊太郎訳によって『スイミー:ちいさなかしこいさかなのはなし』(好学社、1969)として出版されています。

もとのタイトルは『Swimmy』(Knopf Books for Young Readers、1963)。日本語の副題は余計じゃないかなぁ。

力を合わせて協力することの大切さだとか、スイミーのような行動力・統率力・発想力の重要性、そんなメッセージが込められた勧善懲悪ストーリーが語られている。。。

はたしてそうか。大人の後知恵的に言葉にすればそういう路線ですよね、となっちゃいがちなのですが、原作者の経歴や思想なんかを知っていくと、どうもそう単純な話ではなさそう。

原作者のレオ・レオニはイタリアからアメリカに移住したのちに、絵本作家としてデビューしている。もともと裕福で文化的にも恵まれたユダヤ人家庭で育ち、イタリア未来派とも親交を持ったけれど、ファシスト政権による人種差別を恐れてアメリカに亡命。ヨーロッパでのユダヤ人の運命を抜きにして『スイミー』は語れない。

ところが あるひ、 おそろしい まぐろが、 おなか すかせて
すごい はやさで、 ミサイルみたいに つっこんで きた。
ひとくちで、 まぐろは ちいさな あかい さかなたちを、
一ぴき のこらず のみこんだ。
にげたのは スイミーだけ。

絵本の冒頭で仲間達がみなマグロに食べられてしまうのは、反ユダヤ主義の猛威の象徴だと連想するとまたちがった視界が開けるけれども、とはいえ、それを反ユダヤ主義にまで直結してしまうと、結局は勧善懲悪モデルから脱せない。

むしろ、マグロは人生・人類にふりかかる「困難な状況」の象徴といったところかな。マグロは「大きさ」ゆえに脅威だったわけだけど、スイミーの機転で「大きさ」の優位が関節外しされる。それは困難を〈解決〉したんじゃなくって〈解消〉したともいえる。

そんなしなやかな発想ができるのも、かつてスイミー自身が「困難な状況」のなかで心に傷を負った経験があればこそだろうか。スイミー、そしてレオニはそういう経験を経て世界を見ているように思えます。

スイミーは およいだ、 くらい うみの そこを。
こわかった、 さびしかった、 とても かなしかった。

けれど うみには、 すばらしい ものが いっぱい あった。
おもしろい ものを みる たびに、
スイミーは だんだん げんきを とりもどした。

もともとあちこちに移動したレオニ。後に祖国を追われた経験を発端にオランダ、ベルギー、イタリア、アメリカとさまざまな国を渡り歩くことになります。移動遍歴を年譜(松岡希代子『レオ・レオーニ』2013年)から抜き出すとこんなカンジです。

1910 アムステルダムに生まれる
1922 ブリュッセルに移る
1924 フィラデルフィアに移る
1925 ジェノヴァに移る
1928 チューリッヒ大学へ入学
1933 オランダに帰国するもまたミラノへ
1939 アメリカ亡命
1947 イタリアへ戻る
1948 ニューヨークに事務所を持つ
1969 トスカーナ州へ引っ越す

そんな境遇があったからこそ体得できた多面的で両義的なモノの見かた考えかたがレオニにはあったのだろう。世界は多様だ。スイミーでいうところの「面白いものを見る」シーンで描かれている。

 ①にじいろのゼリーのようなクラゲ
 ②水中ブルドーザーみたいな伊勢エビ
 ③みたこともない魚たち
 ④ドロップみたいな岩から生えてる昆布やワカメ
 ⑤顔を見る頃にはしっぽを忘れているほど長いウナギ
 ⑥ヤシの木みたいなイソギンチャク

これらを「見る」経験だったのだろう。困難な状況で心を痛めたからこそ、多様な世界の素晴らしさを実感することができたのでは中廊下とも思います。たぶんスイミーにとっては、仲間たちを食べてしまった宿敵マグロにすら価値を見出す眼差しをもっているはず。

マグロにだって「困難な状況」はあるし、泣きながら小魚を食べているかもしれない。小魚はもちろんマグロにも「居場所(own place)」がある。

単純な勧善懲悪モデルは問題を〈解決〉しようとする。でも〈解決〉は実は恐ろしい。いわば『最終解決』。「相互対立」の〈解決〉は虐殺につながる。

みんな いっしょに およぐんだ。
うみで いちばん おおきな さかなのふりをして!

スイミーたちは大きな魚の「ふりをした」。大きな魚「のような」小魚の群れ。曖昧で両義的で入れ替え可能な発想。タイトなtogetherしか許されなかったら、それはもうスイミーのパターナリズム、あるいは変革者をただ待ち望むメシアニズムだろう。ルーズなtogetherもありつつ、な曖昧さが大事ということか。

最後の幻燈会

タイトとルーズを併せ持つ道を考えることをスイミーは「We must THINK of something」と言った。togetherへ向かって。そんな『スイミー』への妄想をかきたててくれたのは、もうすぐ2年経とうとしている、故・延藤安弘先生の最後の幻燈会。2018年1月18日のことでした。

リビング・トゥゲザー
-絵本「スイミー」×ブルガリアのマチ・ヒト・コト


延藤安弘先生のまち育て幻燈会が、音楽と料理と絶妙なハーモニーを奏でる「おいしい幻燈会」シリーズ、2018年1月はブルガリアです。延藤先生の海外プロジェクトを聞ける機会は中々ありません。かの地の人々の強さ、暮らしぶりはなんと美しいことでしょう。今回もまち育て現場と絵本にあわせた、季節のお料理をフレンチツキダテが創作してくれます。ぜひお楽しみください。

画像1

その翌月、2月8日に先生は天国に赴かれてしまうのですが、最後になった「幻燈会」の演目が絵本『スイミー』だったのは象徴的だなぁ、と思います。

スイミーはおしえた。
けっして はなればなれに ならないこと。
みんな もちばを まもる こと。

みんなが、 一ぴきの おおきな さかなみたいに
およげるように なった とき、
スイミーは いった。 「ぼくが、 めに なろう。」

絵本に出てくるスイミーは、困難な状況におびえ立ちすくんでいる仲間たちに、そんな困難を乗り越え、豊かに生きるための「自分の持ち場」を気づかせてくれる存在でした。そんな頼もしいスイミーも、物語冒頭で多くの仲間を失う経験をしています。

そういえば、延藤先生が西山夘三への師事を心に決めた運命の本『これからのすまい-住様式の話-』(1947)も、冒頭いきなり「住宅の戦災比率図」から始まる内容。

画像2

先生は1940年大阪生まれ。多感な幼少期に目にした焦土の大阪は、スイミーが直面した困難と重なるといったら言い過ぎか。

そして「ぼくが目になろう!」というスイミーの決意は、自分こそが心のなかのイメージを形にできる芸術家なのだという、作者レオ・レオニ自身の矜持でもありました。

主人公のスイミーは、ほかの小魚とは違う。そんな異分子の「ぼく」が「目になろう」というのである。それは、自分がほかのものとは異なっていることを認め、自分しかできない役割を担うという決意表明だ。レオは、人にはそれぞれの個性と役割があるということ、そして、芸術家としてほかの者が見えないものを見ることができる人間がいるということを伝えようとしている。
(松岡希代子『レオ・レオーニ』2013年)

同時に、カメラをもってヒト・クラシ・イノチの渦から物語りを汲み(酌み)取り、それを表現することで皆にそれぞれの「自分の持ち場=自分らしい生き方」の気づきを与え続けた延藤先生自身の矜持でもあったのだと思います。

まさか娘ふたりの「学芸会」や「生活発表会」が、そんな思いを振り返る機会になるとは予想もせず。さて、自分はいま「自分の持ち場」で豊かに生きているんだろうか。

(おわり)

参考文献
松岡希代子『レオ・レオーニ:希望の絵本をつくる人』美術出版社、2013年



この記事が参加している募集

コンテンツ会議

サポートは資料収集費用として、今後より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。スキ、コメント、フォローがいただけることも日々の励みになっております。ありがとうございます。