見出し画像

タブレットで学ぶ/タブレットに学ぶ|わが家の学習デジタル化

突然投げ込まれた「小学校の休校=自宅での学習」の世界は、わが家の学習デジタル化を大いに促進しました。以前から利用していた某学習教材を、冊子版から学習タブレット版へ変更したのです。非常事態が新技術の社会受容を加速化するのは歴史の常。わが家もその例外ではなかった。

この学習デジタル化の動きが次女をも刺激することに。「お姉ちゃんみたいにやりたい」と言うのです。でも、次女も取り組んでいる某学習教材は、幼児は残念ながらタブレット未対応です。さてどうしたものか。そこで出会ったのが幼児向け学習タブレット「RISUきっず」。我が家のタブレットでの学びは、タブレットから学ぶ機会にもなりました。

新型コロナが我が家のデジタル学習化を促した

新型コロナウイルス第一波の頃、長女(小2)が通う学校も突如休校となり、親子ともども、突如「自宅学習」に投げ込まれました。自分自身も在宅勤務とはなったものの、さて、親子で自宅に在りながら小学校での教育を代替するとなると、その無理さ加減に絶望的になりました。

学校という勉強に適した空間と什器、教え励ましてくれる先生、わからないときに真似る対象となり、ともに競いあう関係にもなる同級生たち、バランスのとれた給食、適度に体を動かす体育や行事、そんな学校という環境や時間が別にあるからこそ成り立つ親子の心の余裕、などなど複雑な関係性の網の目上に「教えること/学ぶこと」が成り立っている。理屈ではわかっていたことを日常を介し痛感することになりました。同時に、その学校の不在を自宅で代替するために必要なコストときたらもう気が遠くなります

とはいえ、そんな内省ばかりしてられないので、どうにかしないといけない。そこで実行したのが、いままで長女が取り組んでいたB社の「小学講座」を紙テキスト版からタブレット版に変更したこと。

新型コロナが我が家の学習デジタル化を促したのです。非常事態が新技術の社会受容を加速化するのは、あのジオングが足をつけないまま戦場へと駆り出された史実でよく知られています。「紙・鉛筆がない」「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」と。

なんということでしょう。これまで解答を添削したり、つまづき箇所の解き方を教えたり、教えてる最中に機嫌がわるくなったり、飲み込みの悪さにこっちがイライラしたりと、さんざん四苦八苦していたプロセスをタブレットが全部やってくれるではありませんか。

 勝手に自分ひとりで取り組むことができる。
 取り組みに対して即座にレスポンスがある。
 取り組みが楽しくなる仕掛けが随所にある。
 間違った問題も気持ちよく解き直しできる。

などなど、思いつくだけでもいろいろとタブレット学習のメリットが思いつきます。

子どもの学習に特化された学習タブレットは、解いた問題の正誤をすぐに投げ返してくれる。そして正解していれば励まし、間違っていれば再考を促す。このやり取りが「親と子の関係」だとなかなかうまくいかない。学習タブレットにはそんな「関係」がない。人間としての感情や親子の関係を持たない学習タブレットは当然にイライラしない。教える立場に求められる「常に上機嫌であること」(堀裕嗣)という鉄則をいとも簡単に実践して見せるのが学習タブレットなのでした。

次女のタブレット学習デビュー

そんなこんなで我が家にやってきた学習タブレットは、当然にいろいろな余波をもたらします。

その最たるものが、長女と同じようにタブレット学習をやりたいという次女の登場です。一人っ子の自分にとって、この姉妹の関係性はとっても興味深い。長女は常にマイブームを自らが開拓し、実践してきましたが、次女はそんな長女の実践を眺め、憧れ、模倣する。しかも、その模倣たるや大したもので、往々にして姉というオリジナルを乗り越えたりする。これはもう妹の役得なんだろうな。

さて、次女からのオーダーを叶えたいものの、今現在、姉妹ともに取り組んでいる某B社の学習教材は、残念ながら年中児向けタブレット学習は未対応の模様。さあ、困った。そこで縁を得たのが「RISUきっず」でした。

年中・年長に特化したタブレット学習教材「RISUきっず」。その特徴は。ホームページではこう謳われています。

タブレット自習+東大生らトップ大学生の個別フォローで
小学校入学前から『算数の基礎固め』+『思考力の育成』

年中後半~年長のお子様向けタブレット学習
小学校1年生の算数前半内容をしっかり先取り!
学校や計算塾では身につかない「思考の柔軟性」も育みます!

算数に特化した学習がウリなのだそう。たしかに未就学児の段階では、タブレット学習には算数をカバーしてもらい、他の科目(というか能力)については絵本や日々の体験・対話などでカバーするのもいいかな、と納得。いわゆるベスト・ミックスですね。

画像2

タブレットはこんなかんじ。素っ気な…、いや、シンプルかつスマートなデザインが印象的です。「いかにも子ども向けなデザイン」が施されていない。「ピンクとブルーとグリーンから選べます」的展開を敢えてしないのでしょう。とはいえ、学習を進めるにあたっての細かな配慮は、ちゃんと子ども向けにデザインされています。このシンプルかつスマートさの徹底は、長女が取り組んでいるB社の学習タブレットと比べてみても歴然としています。B社のそれは、終始、オレンジ色をした「〇ラショ」はじめいろんなキャラクターがあの手この手でエンカレッジしてくれます。ゆえに徹底して賑やか。

一方で「RISUきっず」はというと、もちろんイラストなどを用いながら、学習をしやすく配慮されていますが、ガチャガチャした画像や音声はなく抑制されてる。文章を読み上げてくれる機能もこんなカンジ。

そして、学習達成の都度、エンカレッジしてくれるのは架空のキャラクターではなく、実在する大学生のお兄さんお姉さんたちです(下図、RISUキッズHPより)。

画像1

学習データをもとに、東大生らトップ大学生チューターが、メールフォローとレッスン動画で、お子様の学習つまづきをピンポイントでサポート。
ご自宅でお子様一人一人の学習状況に沿った「最適なフォローアップ」が可能です。
(RISUきっずHPより)

キャラクターたちがにぎやかに応援してくれるのでなく、権威をもった先生が誉めてくれるのでもなく、大学生のお兄さんお姉さんが励ましてくれる。これもまた「RISUらしさ」を徹底しているなぁ、と興味深く思います。

たぶん、短期的には賑やかなキャラクターのほうが、子どもの学習意欲を刺激するのに有効なはず。競合他社のようにキャラクターを設定する道もありえたでしょう。ただ、そこで醸し出される演出過多な賑やかさは「子ども扱い」してることと一体です。中長期的にみたときに、継続して学習していく下地づくりには、演出過剰ではないエンカレッジが重要なのではないだろうか、とも思ったりします。あとやっぱり、お兄さんお姉さん、いってみれば従兄弟的ポジションからの励ましやアドバイスは聞き入れやすいよな、とも思ったり。プリキュアの靴を買い与えるかどうかといった育児路線の違いでもあるので、どっちが正解というわけではありませんが、一つの有力な選択肢として「RISUらしさ」があるでしょう。

とはいえ保護者の寄り添いは必要

届いた学習タブレットに興味津々な次女は、さっそく母親と一緒に学習に取り組みました。ペンもいたってシンプルです(なのに学習環境が賑やかなのは、なにとぞご容赦ください)。

画像3

数の概念を理解するということで、次女が1、2、3、4、5…と一つ一つ数を数える課題に取り組みます。まだまだ1から10まで数を数えるのも、6あたりからあやしかったのですが、徐々に慣れていきました。問題をクリアしていく喜びを得て、次から次へと取り組む次女。

「RISUきっず」で取り組む12のステージはつぎのとおり(RISUキッズHPより)。ひとつひとつステップアップしながら学びを深めていきます。

画像4

全12ステージで「数の読み方」「足し算・引き算」「時計」等、小学1年前半までの内容を先取り『算数基礎力』を養います。「思考力を問う良問」も多数出題されるので、『生涯使える様々な能力』も身についていきます。
(RISUキッズHPより)

まずはタブレット上に映されたイラストを数えるわけですが、数える際にペンで画面上に書き込むことができます。数えたイラストに斜線を引くなどメモ的に使えます。この手書き感覚がちゃんと確保されているのがいい。解答を入力し、答え合わせをする。いくつかの操作のステップ、異なるボタンの位置など、とまどっていましたが、それもすぐ慣れました。

とはいえ(まあ、あたりまえですが)、小2の長女のように放置しててもサクサクやってくれるわけではない。年少の段階では保護者が脇について、あれこれサジェスチョンする必要はあります。子どもとタブレットの関係に、保護者が寄り添い、状況に応じて励ましたりアドバイスしたり。そういう関係をもたらしてくれるツールとして、とても有効だと思います。

さて、数日後困ったことが起きました。それはタブレット学習の先達である長女のお節介です。お勉強したいという次女の願いをかなえるべく、長女があれこれとアドバイスしながら問題に取り組むことになったようです。で、どうなったかといいますと、ほとんど長女が答えを教えながら次々と問題をこなしていくことに。その結果、ステージは先へ進むものの、肝心の次女自身の理解が伴っていないために学習としては空回り。前のステージを解き直すこともできますが、「もうそれはおわったよ!」と拒否する次女。とはいえ新ステージにいってもさっぱりわからない。だからさらに長女のアドバイスに依存するという循環に陥りました。ただ、この二人のやり取りがとても楽しそうにやっているのも事実で(ふだんはケンカばっかりなのに)、学習スタイルとしては間違っていますが、二人の時間としてはこれもありなのかなぁと思ったり。なにはともあれ、年中児(あるいは我が家の次女)の場合は、まだ保護者が見守りながら学習し、次第に保護者という補助輪を外していくのだと思います。

この長女のお節介をみていてわかったのですが、嬉々として長女が教えていたことからもわかるように、長女が次女へ勉強を教えるツールとしての威力を垣間見ることができました。また、そんな長女自身がステージを進めていくことに喜びを見出してもいる。次女も学齢が上がり理解がすすめば、次から次にどんどん問題を解いていくことになるはずです。

自分のペースでどんどん問題を解いていけるのは「RISUきっず」の特徴の一つ。B社(それしか比較の対象を持たないので申し訳ありませんが)の場合は小学校での学習内容・進捗度に準拠していますが、「RISUきっず」はできればできただけ先に進んでいける。(我が家は縁がありませんが)中学受験などを検討される場合はもってこいの仕組みだろうと思います。

もちろん、タブレット学習についてはデメリットもいくつか指摘されています。それらの指摘をみてみると「タブレットか冊子か」といった極端な二択になっていたり、タブレットでの学習時間以外の日常、親子のやりとりがまるで存在しないかのような条件で批判されていたりもします。タブレット学習に足りないものを指摘して拒絶したところで、冊子での学習もまた同じロジックでもって拒絶することができてしまいます。大事なのはどうやって組み合わせるか。タブレット学習はそれが一つあればすべてを解決してくれる魔法のツールではないのですから。

今回、お試ししてみることでいろいろなことが見えてきました。現在、キャンペーン実施中とのことです。実際にふれて、子どもの反応をみてわかることがいろいろあります。

それぞれの自分らしい学びへ向けて

今回、長女、そして次女がタブレット学習デビューし、その「タブレットで学ぶ」姿をそばで見守る機会から「タブレットに学ぶ」こともできました。普段、ひとに教える立場に立つ自分自身を振り返る機会として。

取り組んだ内容について即座に反応すること。できたことを励ますこと。できなかったことをできるように促すこと。学習の進捗具合を可視化すること。その他いろいろ続いたあとに、とどめは、常に上機嫌であること。これらのことを学習タブレットはいとも簡単に(その背後には綿密なプログラムがあるわけですが)やってみせます。

コンピュータと教育の関係について研究を行った佐伯胖(工学から教育学へ転身した人物)が、もう30年以上前に『コンピュータと教育』(岩波新書、1986年)にこう書いています。

人間はときに「機械的」になる。そのこと自体が悪いわけではない。機械的になるからこそ、「人間的」になることだってある。子どもが誤答すると「バカだ」とか「アタマがわるい」とかいう教師よりも、子どもがどんなにまちがっても何回もていねいに説明して、決しておこりだすことのないコンピュータのほうがはるかに「人間的」であるとも言える。
(佐伯胖『コンピュータと教育』、p.216)

また、問題を解くことができれば次々と新しく、難しい問題にチャレンジできるというのも、タブレット学習の凄みでもある。初等・中等教育では、原則としてどの時期にどのような内容を学習するかが一律定められています。一定の質を保つための仕組みとして重要な設定です。でも、タブレット学習は、教室での一斉授業ではないために、この縛りから自由になれる。

それは「学びの個別化」。苫野一徳『教育の力』(講談社現代新書、2014年)には「学びの個別化」に関連して、こう書かれています。

いつ何を学ぶかがかなり決められてしまっている学びのあり方は、考えてみればひどく非効率なことです。子どもたちの興味・関心はそれぞれ異なっているし、学ぶスピードも、また自分に合った学び方も、本当は人それぞれ違っているはずだからです。にもかかわらず、いつ何をどのように学ぶかが一律的に決められてしまうのは、少なくとも子どもたち一人ひとりの学びの観点からすれば、やはり非効率的なことといわなければいけません。一律に”やらされる”勉強は、子どもたちの学習意欲を削いでしまう大きな要因にもなっているでしょう。(苫野一徳『教育の力』p.73)

自分自身の小中学校時代を振り返ってみても、やっぱり得意な科目、苦手な科目がありましたが、実はそれは「科目」の得意・不得意だったのか、「学びのあり方」の得意・不得意だったのかわからなくなります。受験勉強にまったくついていけなかった人が、大学で研究の世界に触れて、俄然、学習意欲がわくという話もよく聞きます(というか自分がまさにそう)。その人にあった学びを得られれば、人はもっと成長できる。

自分にあった興味・関心、学ぶスピード、学び方を得ることができれば、人はおどろくほど学ぶことができるはず。

それは子育てしていて思い当たることしばしば。本来、人間はこんなに知ることやできるようになることに貪欲だったのだと。少なくともその可能性をわざわざ狭める必要はない。とはいえ、一つの教室のなかで、児童それぞれの学びのあり方を尊重して授業展開するのは、いろんなハードルがあります。タブレット学習、オンライン学習はその数々のハードルを越える力を持っている。

質の高いオンライン学習のコンテンツは、近年爆発的に増え続けています。(中略)質の高い学習コンテンツを、自分の関心に応じて、完全に理解できるまで何度でも繰り返し、しかも無料で見ることができる。これは、決められたカリキュラムに従って一斉に授業を行う、従来の教育に大きな転換を迫るものといえるでしょう。(苫野一徳『教育の力』pp.75-76)

さて、我が家の子どもたちは、どんな興味・関心を持ち、どんな学ぶスピードが最適で、そして、どんな学び方を得意とするのか。いろいろと楽しみながら試していこうと思います。

(おわり)

サポートは資料収集費用として、今後より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。スキ、コメント、フォローがいただけることも日々の励みになっております。ありがとうございます。