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2-7.多様性を知る新たなアイデアと方法:特別展「海 ―生命のみなもと―」見聞録 その11

2023年08月12日、私は国立科学博物館を訪れ、一般客として、特別展「海 ―生命のみなもと―」(以下同展)に参加した([1])。


同展「第2章 海と生きもののつながり 2-7.多様性を知る新たなアイデアと方法」では、アイソロギング、キーストーン種、ドローン、ストランディング、および、大阪湾で発見されたマッコウクジラの調査概要が言及され、かつ、それらの標本や模型が展示された([2]のp.102-113)。

 

01.アイソロギング

魚の体内には、成長に伴って刻まれる輪のある器官がある。具体的には、眼球、脊椎骨、および、耳石などである。これらの輸には、産まれてから死ぬまでに回遊してきた海の場所が、同位体比などの履歴として記録されている。しかし、これらの輸はとても小さいので、取り出し方に工夫が必要である。眼球は、顕微鏡を覗きながらピンセットで剥く。脊椎骨は、ミクロトームでスライスする。耳石は、ジオミルで削る。

アミノ酸の中には、非必須アミノ酸と必須アミノ酸(例.フェニルアラニン)がある。フェニルアラニンは、一次生産者(例.植物プランクトン)から、頂点捕食者(例.ホホジロザメなど)まで、同じ生態系内ではδ15N がほとんど変わらない。つまり、魚の輸に含まれるフェニルアラニンのδ15 Nを測れば、その魚を支えている植物プランクトンのδ15 Nを調べることができる。

魚の輪に記録されたフェニルアラニンのδ15 Nを内側から外側にかけて測定すると、その魚が産まれてから死ぬまでを支えてきた植物プランクトンのδ15 Nを時間に沿って復元できる。これを、窒素同位体比地図と照らし合わせることで、その魚の回遊履歴が復元できる。

このような輸の同位体(アイソ卜ープ)比と同位体比地図から生き物の行動を知る研究が「アイソロギング」である。アイソロギングによって、サバが稚魚期に南の黒潮域に生息していて成長とともに北上すること、および、サケが産まれた川に戻って卵を産む前にアラスカの近くまで回遊することが明らかになった(図11.01,2のp.102-103)。

図11.01.向かって左から、マサバの目玉 Scomber japonicus スズキ目サバ科 西部北太平洋 切断前と切断したもの。切断面には微小な輪が見える。 所蔵:海洋開発研究機構 実物、
マサバの耳石 Scomber japonicus スズキ目サバ科 西部北太平洋 所蔵:海洋開発研究機構 実物、および、
マスノスケの脊椎骨 Oncorhynchus tshawytscha サケ目サケ科 西部北太平洋亜寒帯 所蔵:福井県立大学 実物。


02.キーストーン種としてのラッコ

生態系において、個体数が少なくとも、その種が属する生物群集や生態系に及ぼす影響が大きい種を、キーストーン種という。古代ローマの石橋には、石組を安定させるために橋のアーチの頂上に小さい楔(くさび)型の石がはめ込まれていた。この石は「キーストーン」と呼ばれ、橋全体から見ると小さな部品に過ぎないが、これが外れると石橋全体が崩壊してしまうことから、重要視される。これに例えて名付けられた概念である。

例えば、北太平洋沿岸に生息するラッコは大量のウニを消費するためウニの増殖は抑えられるが、ラッコがいなくなるとウニ個体群が大きくなり、ジャイアントケルプなどの海藻が過剰に採食され、荒廃して海底が裸地化する。その結果、海藻を採食しているウニ以外の生物も生息できなくなる。この場合のラッコがキーストーン種である。キーストーン種は食物連鎖の上位捕食者であることが多い(図11.02,図11.03,図11.04,2のp.104,[3][4][5])。

図11.02.ラッコ親子 Enhydra lutris 食肉目イタチ科 北太平洋 所蔵:国立科学博物館 実物。 
図11.03.オオ キタ ムラサキ ウニ Mesocentrotus franciscanus。
図11.04.オオウキモ(ジャイアント ケルプ)Macrocystis pyrifera 腊葉標本TSN-AL157341 コンブ目コンブ科 東太平洋 所蔵:国立科学博物館 実物。


03.ドローンを用いるザ卜ウクジラのブロー(噴気)採取

2018年頃より、三宅島近海でザ卜ウクジラが頻繁に観察されるようになった。ザトウクジラは、20℃前後の暖かい海で子育てする。日本周辺にも沖縄や小笠原諸島に多くのザ卜ウクジラが来遊するが、近年、三宅島の海も水温20℃前後を維持しているため、子育て海域になりつつある。その一方、その背景には地球温暖化が影響しているとも推測されている。そこで、まず「このザトウクジラはどこからきたのか?」を知るために個体のDNA情報を他の海域と比較する必要がある。DNAの採取方法は色々あるが、ここでドローンが登場する。ドローンを使ってクジラのブロー(噴気)を採取し、そこから個体のDNAを解析するという国内初の試み、題して「三宅島クジラ鼻水プロジェクト」が始動した。鼻水には細胞、寄生虫、ウイルス、および/または、マイクロプラスチックが含まれている可能性もあり、各個体の健康診断も実施することで、彼らの現状把握に繋がる。日本には11 月頃から5月初旬頃まで来遊する。幾度失敗や試行錯誤を繰り返した結果、ブローから個体のDNA採取に成功し、現在も詳細な解析が進められている(図11.05,2のp.105,[6][7][8])。

図11.05.ドローン。


04.クジラのマスストランディング(大量座礁、集団座礁)

2017年06月09~10日、宮崎県宮崎市田吉の海岸にユメゴンドウ7頭が、国内2例目となるマスストランディング(大量座礁、集団座礁)した。7頭全てが死亡していたため、学術調査が行われた。

ハクジラ類に分類されるユメゴンドウは、体長は250cm前後、北太平洋と大西洋の温暖域に生息し、10~30頭で行動しながら、主に頭足類や魚類を食べる。

温暖域生物は通常、北半球の春から初夏に、暖流の黒潮に乗って北上するが、今回のユメゴンドウも北上途中に何らかの原因でストランディングしてしまったことが推測される。

遺伝子研究より、この7頭(オス3頭、メス4頭) のミ卜コンドリアCR全領域を解析した結果、全て同じハプロタイプ(複数の対立遺伝子それぞれについて片方の親から受け継いだ遺伝子の並び)であることが分かった。つまり、ミトコンドリアは母親由来の遺伝子で、母親と子イルカや親戚関係にある個体が1つの集団を形成するという強い母型集団である可能性が分かった。その他の研究項目も進められており、集団座礁の原因や鯨類の生活史のデータ蓄積が進められている(図11.06,図11.07,2のp.106,[9])。

図11.06.ユメゴンドウ Feresa attenuata 鯨偶蹄目ハクジラ亜目マイルカ科 太平洋、インド洋、 大西洋 所蔵:国立科学博物館 レプリカ。
図11.07.ユメゴンドウ 頭骨 Feresa attenuata。


2017年03月26~28日、鹿児島県熊毛郡種子島にシワハイルカが集団座礁した。当初、13 頭発見され、うち1頭は沖へ戻すことに成功したが、残りの12頭は救助の甲斐なく死亡した。種子島では、多くの鯨類の回遊や生息が確認されている。

シワハイルカのマスストランディングは、今回が国内初事例であった。そのため、死亡個体については、ただちに学術調査が実施された。

シワハイルカ13頭(オス8頭、メス5頭)のうち死亡した12個体についても、ミトコンドリアCR全領域を解析したところ、5ハプロタイプが得られた。ユメゴンドウとは異なり、強い母系集団ではなく緩い関係の個体が群れをつくっており、特にオスとメスは非常に離れた血縁関係にあることが分かった(図11.08,2のp.107,[10][11])。

図11.08.シワハイルカ 頭骨 Steno bredanensis。


05.大阪湾で発見されたマッコウクジラの調査概要

2023年01月09日、大阪府大阪市西淀川区中島淀川河口に体長約15mのマッコウクジラが生存迷入した。11日にメディア映像より死亡と推定され、13日に大阪市は「死亡判定」と正式に発表した。

16日に大阪市が「海洋投棄」正式に発表したので、海遊館、大阪市立自然史博物館、日本鯨類研究所、東京大学、東京農業大学、筑波大学、大阪市、および、国立科学博物館の職員20名からなる調査チームは、17~18日という短期間で調査せざるを得なかった。

とはいえ、本個体の体長(上顎骨先端~尾椎後端)と全長(頭部先端~尾椎後端)がそれぞれ1,469cmと1,598cmであること、本個体の年齢は46歳で寿命が死因ではないこと、北太平洋の深い場所に生息するイカ類を捕食していたこと、一生涯の生息域や食性の変化は小さかったようであったこと、外部寄生虫として表皮に寄生するペンネラ類(Pennella、カイアシ、甲殻類の仲間)と皮脂内にフィロボツリウム類(Phyllobothrium、条虫の仲間)が発見されたこと、太平洋で比較的新しく誕生した母系集団の個体であること、そして、環境汚染物質解析から皮脂と筋肉に残留性有機汚染物質が高濃度に蓄積されていることが分かった(図11.09,図11.10,図11.11,2のp.108-111,[12][13])。

図11.09.大阪湾で発見されたマッコウクジラの調査概要。
図11.10.成果1 大阪湾のマッコウクジラの上顎歯(右側)。
図11.11.成果2 大阪湾のマッコウクジラの胃内容物。  


アイソロギングやドローンを用いるザ卜ウクジラのブロー(噴気)採取などの最新技術に驚いた。

また、キーストーン種としてのラッコの重要性を思い知らされた。

そして、ストランディングした鯨類の調査という地道な調査の重要性も思い知らされた。大阪湾で発見されたマッコウクジラの調査期間が更に長ければ、より多くの事柄が発見されただろうに…。



参考文献

[1] 特殊法人 日本放送協会(NHK),株式会社 NHKプロモーション,株式会社 読売新聞社.“特別展「海 ―生命のみなもと―」 ホームページ”.https://umiten2023.jp/policy.html,(参照2024年01月28日).

[2] 特別展「海 ―生命のみなもと―」公式図録,200 p.

[3] 一般財団法人 環境イノベーション情報機構(EIC).“キーストーン種”.EICネット ホームページ.環境用語集.2015年01月22日.https://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&ecoword=%A5%AD%A1%BC%A5%B9%A5%C8%A1%BC%A5%F3%BC%EF,(参照2024年02月11日).

[4] 株式会社 トライグループ.“5分でわかる!生態系のバランスに影響を与える種”.Try IT ホームページ.理科.高校理科.高校生物基礎.生態系.生態系と物質循環、エネルギー循環.https://www.try-it.jp/chapters-10823/sections-10824/lessons-10834/,(参照2024年02月11日).

[5] 株式会社 日経ナショナル ジオグラフィック.“ラッコがいると海草が強くなる、アマモの遺伝子が多様化、研究”.ナショナル ジオグラフィック トップページ.ニュース.動物.2021年10月18日.https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/101800504/,(参照2024年02月11日).

[6] 有限会社 沖倉商店.“三宅島クジラ鼻水プロジェクト ホームページ”.https://sites.google.com/view/miyake-whale-blowpj/,(参照2024年02月12日).

[7] カール ツァイス ビジョン ジャパン株式会社.“三宅島へやってきたザトウクジラの鼻水から地球環境を読み解く。(前編)”.ZEISS PEOPLE ホームページ.記事一覧.伝える人.2024年01月24日.https://www.people.zeiss.co.jp/article/article-041/,(参照2024年02月12日).

[8] 株式会社 テレビ朝日.“【日本初】クジラの“鼻水” ドローン採取が成功”.テレ朝ニュース トップページ.社会.2023年04月15日.https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000295542.html,(参照2024年02月12日).

[9] 独立行政法人 国立科学博物館.“和名ユメゴンドウ、科博登録ID8580”.国立科学博物館 ホームページ.研究と標本・資料.標本・資料データベース.海棲哺乳類データベース.海棲哺乳類ストランディング データベース.「ユメゴンドウ」で検索.発見日2017年06月09日.https://www.kahaku.go.jp/research/db/zoology/marmam/drift/detail.php?id=8580,(参照2024年02月12日).

[10] 赤目エバ.“長浜海岸にシワハイルカが打ちあがる!”.ふるさと種子島 ホームページ.中種子町の情報.2017年03月28日.https://www.furusato-tanegashima.net/tanegashima/nw/nagahamakaigan-siwahairuka.html,(参照2024年02月12日).

[11] 公益財団法人 鹿児島市水族館公社.“「さくらじまの海78号」(2017年6月発行 全8ページ PDF:1.84MB)”.いおワールド かごしま水族館 ホームページ.教育・研究.ニュースレター「さくらじまの海」.https://ioworld.jp/aqua/wp-content/uploads/2017/09/newsletter78.pdf,(参照2024年02月12日).

[12] 独立行政法人 国立科学博物館.“和名マッコウクジラ、科博登録ID 10964”.国立科学博物館 ホームページ.研究と標本・資料.標本・資料データベース.海棲哺乳類データベース.海棲哺乳類ストランディング データベース.「マッコウクジラ」で検索.発見日2023年01月09日.https://www.kahaku.go.jp/research/db/zoology/marmam/drift/detail.php?id=10964,(参照2024年02月12日).

[13] 独立行政法人 国立科学博物館.“2023年1月9日 大阪府の淀川河口にストランディングしたマッコウクジラ 調査概要”.国立科学博物館 ホームページ.研究と標本・資料.標本資料データベース.海棲哺乳類情報データベース.2023年02月24日.https://www.kahaku.go.jp/research/db/zoology/marmam/2023OsakaPm/,(参照2024年02月12日).

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