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夜の川を走る

2020年5月、世界中の人々がウイルスの影響で自宅に閉じこもっていたころ、僕はランニングを始めた。始めたきっかけはエクササイズとかトレーニングとかいった意識高いものではなく、ただただ自粛期間で時間ができて、所属しているオンラインコミュニティでおすすめされていたから、という消極的なものだった。ちょっと試しに走ってみようという軽い気持ちで始めたところ、走るたびに新しい発見があって意外に面白く、週に一回か二回、5kmから10kmくらいの距離を今も走り続けている。もともと散歩しながら街の様子を見るのが好きだったこともあり、その延長のような感覚で街を観察することを目的にランニングを楽しんでいる。今回はランニングを約半年続けてきたなかでの、「川」に対するイメージの変化について書こうと思う。

ランニングを始めてすぐのころは、よく昼間に街中を走っていた。というのもウイルスで大学が閉鎖されたことで、大学院生の僕は昼間の時間が空き、そして自宅のすぐそばに広い歩道の幹線道路が通っていたからだ。気の向くまま自宅を出て幹線道路沿いを走っていると、次々に景色が移り変わり、ここにこんな変な建物があったのかとか、この道がこの道と繋がっているのかといった発見があって面白かった。散歩よりも速く自転車よりも遅い、観察に適した速度で移動することで、街と街の関係性を体で感じられていた。

半月ほどで街中でのランニングに慣れてきた僕は、少し足を伸ばして多摩川沿いを走ってみることにした。ランナーの定番コースとなっている川沿いでのランニングにある種の憧れを抱いていたし、なによりアニメ『まちカドまぞく』に登場する“多魔川”の聖地巡礼がしたかったのだ。僕の自宅は神奈川県の横浜市と川崎市の境目に位置していて、2kmほどのところに多摩川が流れている。自宅から多摩川まで走り、川沿いに5kmほど走ってから自宅に向かって戻れば、ちょうど10kmのコースになる。いざというときのための500円玉をポケットに入れ、いつもどおり昼の時間帯に颯爽と家を出た。

期待に胸を膨らませながら自宅から多摩川までの2kmを快調に走り切り、いよいよ川沿いのコースに入った。しかし、いざ走り出してみると、ほどなくして違和感に気づいた。これまでの街中でのランニングと比べて、あまり楽しさや気持ち良さを感じず、代わりに若干の退屈さすら感じていたのだ。じっくりと川を観察しながら走っても、視界に入ってくるのはずっと同じ川で、水面に変化はほとんどなく新たな発見がない。川沿いの道自体も、ほぼランナー専用道路のように整備されていて、街中のように段差もなければ信号で待たされることもない。確かにそこは安全で走りやすい道であり、トレーニングを目的としたランナーには最適かもしれない。しかしそれゆえに変化がなく、僕のように散歩の延長としてランニングを捉えている場合には、走っていて楽しい道ではなかった。いわばそこはランナーのために用意された、「走りやすい」道で、その誰かが用意した道を「走らされている感」に馴染めなかったのだ。あらためて考えてみると『まちカドまぞく』の“多魔川”でも、散歩を楽しんでいたのではなく、トレーニングをしていたことを思い出した。

また街中でのランニングとは違い、川沿いを走っても街の姿が見えてこなかった。その原因は川が街と街の境界線という役割をもつことにある。川は橋を人工的にかけない限り渡ることができず、行政などの歴史的に街と街の境界になっていることが多い。例えば多摩川の場合は、川を境に南側は神奈川県で北側は東京都といった具合に分かれている。そのため川は街と街の境目であり、同時に一つの街の輪郭線、すなわち表面になっている。つまり川に沿って走っていると、その街の内部に入り込むことはできず、表面をただなぞっているような感覚になり、街の姿が見えてこないのだ。

この多摩川での苦い経験をして以来、川沿いを避け、街中だけを走るようになっていた。そんな川への苦手意識を抱えながらも、自分のペースで街中でのランニングを楽しんでいたところ、ある転機が訪れた。ウイルスの脅威が若干弱まり、大学の閉鎖措置が徐々に緩和されることになったのだ。その結果もとの生活リズムに戻るとともに、ランニングをする時間帯が昼間から夕方や夜に変わった。夜の街中は、昼間とは全く違う顔をみせ、その変化を楽しみながらランニングを続けていた。

夜のランニングに慣れてきたある日、ふと思い立って因縁の多摩川にリベンジすることを決めた。昼間の川は自分に合わなかったが、夜ならばまた違うかもしれないと思ったのだ。夕暮れ時に家を出て2kmほど走り、多摩川についたときにはすでに完全に日が落ちて真っ暗になっていた。辺りは静寂に包まれ少し危険を感じ引き返そうとも思ったが、せっかく来たのだからと自分に言い聞かせ、ゆっくりと走り出した。川には基本的に街灯がなく、道はほぼ見えない。そのため最初は足下に注意しておそるおそる走っていた。ただ少し走っていると、だんだんと目が慣れてきて、以前日中に走った経験もあり足元を見る必要がなくなった。するとしだいに自然と目線が足元から上がっていき、まわりの風景を見渡せるようになった。

するとそこには昼に走る川とは全く別世界が広がっていた。川には街灯がないので川そのものはほとんど目に入らず、その代わりに明るい街の内部の夜景が目に入ってくる。前を走るランナーはポツポツといるものの、日中と比べると数はかなり少なく、一定の速度で走り続けることで完全な1人になって、この夜景を独り占めできる。また、整備された道がはっきりとは見えず、走らされている感覚というより、自らの足で闇を切り開いて進んでいく感覚になり、気持ちがいい。

こうして夜に川沿いを走ると、境界線としての川そのものではなく、川という特等席から街の内部を観察でき、街の様子や特徴が手に取るように分かった。特にこのときひときわ目を引いたのが武蔵小杉周辺のビル群だ。その一点にビルが集中し明らかに周りの街と比べて異質で、都心から少し離れた場所に人工的に作られた「住みたい街」だということが分かった。まるで第3新東京市のようなそのビル群は、きっと使徒が攻めてきた時はけたたましい警報とともに地下に収容され、代わりにケーブルにつながった猫背の人造人間が出てくるのだろうと妄想し、ひとりでにやけながら、川に対する苦手意識が和らいでいくのを感じていた。

#PLANETSSchool


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