太平洋戦争はこうしてはじまった65

そして日米戦ははじまった


 日本が開戦を決定した一方、米英もそれぞれの戦争準備をつづけていた。1941年12月2日(現地時刻)には、イギリス東洋艦隊の戦艦「レパルス」と「プリンス・オブ・ウェールズ」がシンガポールに入港。アメリカも南シナ海にて偽装船による挑発行為を行いつつ、外交暗号の解読で日本の動向を伺っていた。
 6日の午後9時ごろ、日本の交渉打ち切り通告の14部中13部をアメリカは解読。残る14部目も7日に解読し、現地時刻の午前10時ごろにホワイトハウスへ届けられている。開戦の動きをほぼ掴んでおきつつも、ルーズベルト大統領は民主主義国家である以上、先制攻撃はできないとして日本の出方を待っていたようだ。
 その一方、大統領は6日午後9時に昭和天皇へ向けて親電を発している。アメリカ軍不介入を約束しての仏印撤退要請で、戦争回避の最後の悪あがきとも、世論へのアピール目的ともいわれている。
 どちらにせよ、アメリカからの親電を日本が受け取ったのは8日午前3時(日本時間)である。
 日本時間1941年12月8日午前1時30分、マレー半島において第25軍侘美支隊5300人がコタバルに上陸を開始。タイ領パタニとシンゴラにも、事前の取り決め通りに陸軍部隊が上陸した。そして翌日中にシンゴラ市内は陥落し、軍はシンガポールに向け南下を始める。
 同時刻、オアフ島北方約426キロの洋上に布陣した日本機動部隊より、第一次攻撃隊約183機が発艦。目指したのはオアフ島の真珠湾だ。午前2時45分には第二次攻撃隊として170機が発進する。
 3時19分、第一波空中攻撃隊は真珠湾上空に到達し、3分後に攻撃隊総指揮官の淵田美津雄機は機動部隊の旗艦である赤城に対し「トラトラトラ」を打電。「ワレ奇襲に成功セリ」を意味する真珠湾への奇襲成功を告げる暗号だ。
 そして3時25分、現地時間7時55分、急降下爆撃隊がフォォード島のウィーラー陸軍飛行場へ爆撃を開始。初弾である250キロ爆弾が投下されたのである。

―了―

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