太平洋戦争はこうしてはじまった⑬

スペイン風邪のパンデミック

 第一次世界大戦時に日本で発生した出来事といえば、先の述べた大戦特需での成金社会とシベリア出兵による米価暴騰と米騒動が有名だ。しかし、もうひとつ忘れてはならない事件がある。スペイン風邪の大流行だ。
 スペイン風邪とは、大戦後期に世界的に大流行したインフルエンザの一種をいう。発生源はアメリカであるとされ、感染が初めて発覚したのは1918年3月のこと。アメリカ・カンザス州のファンストン陸軍基地にて232人が感染し、うち48人が死亡している。
 このウイルスがアメリカの参戦で、ヨーロッパ大陸に持ち込まれたとされとも考えられている。アメリカ発生であるのにスペイン風邪と呼ばれるのは、連合国が報道を自粛するなかで、中立国のスペインだけが感染を公表したからだという。
 日本への感染は同年5月と、比較的早い時期だった。当時の内務省衛生局によると、横須賀に寄港した軍艦で250人の罹患者が確認されたのを始まりとする。やがてシベリア出兵が行われると、ロシア方面で感染した帰国軍人を通じて国内全土がパンデミックに陥った。
 日本におけるスペイン風邪の流行は、3波に分けられる。第1波は5月からの2か月間。数日で治る弱毒性から「3日風邪」や「春の先触れ」とも呼ばれた。第2波は秋頃から1919年5月までで、熱が38度から40度まで高まる強毒性の変異種だった。これを「前流行」とも呼び、感染者と病死者が最も多かった時期である。
 そして第3波は同年末から翌年の春頃まで。この「後流行」は2波よりも広まらなかったが、それでも20万人以上が感染したようだ。この大流行で原敬首相や山県有朋元老など、政府首脳陣も多数罹患する。当時の皇太子である昭和天皇も、2波のスペイン風邪で病床に伏している。
 そうしたウイルスに日本はどう立ち向かったかというと、現代とあまり違いはない。他者との過度の接近を避け、手洗いうがいを徹底し、マスクで口鼻を覆うことを奨励したのである。予防接種も行われたようだが、あまり効果はなかったらしい。
 スペイン風邪の終息時期は曖昧だが、世界的流行は1920年末ごろから衰えだしたという。それまでの病死者は世界で約5000万人。日本での総数は諸説あるが、感染者約2200万人、病死者約45万人とする説が有力だ。第一次大戦での日本軍の戦死者はシベリア出兵を含めても3700人ほどなので、まさに戦争よりも多くの命を奪ったといえよう。

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