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知られざる太平洋戦争のドラマ②

駆逐艦「夕立」による敵艦隊中央突破の真相

常識をくつがえした単艦攻撃

現在も昔も、集団と集団が戦う海戦では味方艦同士の連携が重要となる。単艦がどれだけ強くても、突出すれば集中砲火にさらされ、活躍は期待できないのが常識とされる。

だが、単騎で複数の敵艦を圧倒したとされるケースも存在する。その戦いが、「ガダルカナルの戦い」にて発生した「第三次ソロモン海戦」だ。

1942年8月からはじまった島の飛行場をめぐる戦いの中で、日本海軍は戦艦部隊での夜間砲撃作戦を発案。飛行場を砲撃で使用不能にし、陸上部隊を援護するという内容だ。

同年10月に決行されたこの作戦は成功したものの、占領していたアメリカ軍による迅速な修理と滑走路の拡大によって効果は一時的なもので終わってしまう。

そこで海軍上層部は、飛行場への二次攻撃を計画。戦艦「比叡」と「霧島」を主力とする軽巡洋艦1隻、駆逐艦14隻の艦隊で飛行場を破壊すると同時に、輸送船団を湾内突入させて形成を逆転しようとしたのだ。

日本の行動を察知したアメリカ海軍は、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦8隻からなる艦隊を迎撃に向かわせ、11月13日から14日にかけて島沖合にて海戦が勃発した。「第三次ソロモン海戦」である。そして、この戦いで獅子奮迅の活躍をしたとされる駆逐艦が、白露型4番艦の「夕立」だ。

「夕立」は開戦時から南方方面の主だった戦いに多く参戦。ガダルカナルでも輸送任務で活躍した歴戦の艦である。そのため第三次海戦でも、ある程度の活躍は期待されたであろう。しかし夕立の出した戦果は、それまでの常識をくつがえすものだった。

敵艦隊の混乱に乗じた縦横無尽の活躍

日米両軍の艦隊は13日の午前1時頃に接敵。ただし、日本側は戦闘前から、ある問題をかかえていた。長引く悪天候で陣形が崩れていたのだ。

一方のアメリカ艦隊も、索敵の遅れで多少の混乱が起きていた。そのような事実を知らない「夕立」の吉川潔艦長は、出現したアメリカ艦隊に思い切った行動に出る。駆逐艦「春雨」と共同の正面突撃である。

予想外の突撃にアメリカ艦隊は大混乱に陥り、同士討ちすら多発する大乱戦に突入。アメリカ側が「停電した後の酒場の大乱闘」と称したともいわれる敵味方入り乱れての戦いで、「夕立」は縦横無尽の活躍を見せる。

魚雷で軽巡洋艦と駆逐艦を瞬く間に沈めると、至近距離の砲撃で駆逐艦2隻を大破炎上させる。さらに混乱冷めやらない敵の中を暴れまわり、最終的に出した戦果は軽巡洋艦と駆逐艦をそれぞれ1隻撃沈、駆逐艦2隻撃退、重巡洋艦1隻大破。駆逐艦が単騎で出したとは信じられないほどの大戦果であった。

疑問視される「夕立」の戦果

だがこの「夕立」の大活躍は、ほとんどがデタラメともいわれている。

たしかに突撃で敵をかき乱したのは事実だが、極度の混乱状態の中で戦果を逐一チェックすることは非常に難しい。電子技術が発達した現代ならまだしも、目視や乗員の報告が重視される太平洋戦争時では、さらに難易度は高くなる。

そのため「夕立」の大活躍には、当時ですら疑問視されやすく、軍令部も奮戦そのものは評価しつつも、撃沈数についてはノータッチだった。現代でも、戦果は甘めに見積もっても駆逐艦数隻、もしくはアメリカ側の報告と照らし合わせて重巡洋艦中破のみと考えられている。

ただ、単艦で複数の敵艦を圧倒した事例がないわけではない。

13日の戦いが終結した翌日夜間、援軍を加えて再開された第二戦の最中に、特二型駆逐艦「綾波」がアメリカ艦隊に甚大な被害をあたえている。戦艦を含む敵艦隊に単騎突撃してあたえた被害は、駆逐艦2隻撃沈、1隻大破、さらには戦艦「サウスダコタ」を損傷させ、一説にはレーダーを使用不能に追い込んだとされている。

しかもこれらは「夕立」とは違って確認された戦果であり、最後に「綾波」は沈みはしたものの、敵艦隊が6隻だったことを考えれば、単独で敵を半壊させる異例の大戦果であった。

このような事例があったからこそ、「夕立」の未確認戦果も真実味を帯びたのだろう。

さて、大立ち回りを演じた「夕立」も、最後は態勢を立て直したアメリカ艦隊に圧倒されて航行不能におちいった。このとき吉川艦長は、ハンモックで帆を作って戦闘を続けようとしたという逸話が残っている。だが、そんな無謀が通用するはずもなく、最後は総員退艦を余儀なくされた。

「第三次ソロモン海戦」も戦艦「比叡」を喪失し、続く第二戦も「綾波」の活躍もむなしく「霧島」を失い、日本の敗北で終わっている。こうして日本海軍はガダルカナル沖の制海権を半ば奪われ、「夕立」も謎とともに海の藻屑となったのだった。

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