見出し画像

私の職業遍歴③ー退職と失業・新しい職場

アルバイト時代から通算すると在籍12年の飲食店勤務でしたが、

ホールの仕事をすると普段の数段上のテンションになるため帰宅後もテンションを下げられず眠れなくなり、

キッチンの仕事をすると暑くて全身汗だく(冬でも)で帰宅後は疲れてしまって何もできない、

という状況だったので長女が小学校へ入学するタイミングで働き方について考えました。



小学1年生の壁を前に

今後の働き方を考えた時に、

・土日祝は学校の休みに合わせて休める(長期休みは除く)
・入学後の最初の1か月は、登校についていきたい
・最初はパートでもいいが、落ち着いたら正社員もしくは社保パートになりたい
・将来を考えると、体を動かす仕事は避けたい

こんな感じの希望が出てきました。

飲食店は辞めることにしましたが、長く勤めていたこともあり有給休暇がたくさん残っていました。

なので、
4月から5月は始業時間を遅くしてもらったり、
小学校の行事の出席で半休をもらったりしながら働き、
6月は残っていた有休をあるだけ使って退職させてもらいました。

6月に店長の異動があり、スムーズに退職できてちょうどよかったです。

スキルを手にする

まず、6月の有給消化中に独学で日商簿記3級を取得しました。

日商簿記3級を選んだ理由は、わかりやすい資格だったからです。

事務経験がなく30歳を過ぎていたので、事務職の応募に不利な状況でした。

その未経験をカバーするためには、1つでも有利になりそうなスキルを手に入れておきたいと思ったのです。

また、退職後は失業保険をもらいながらハローワーク経由の職業訓練で、WordとExcelの基礎講座に通いました。

こちらも、自分にパソコンスキルがあることをアピールできるようにと受けました。

スキルを手に入れつつ、
少しゆっくりする時間を得つつ、
収入も少しですがありつつ、
長女の1年生の壁を乗り越えました。

新しい職場

そうして10時から15時の、最初にするにはちょうどよい感じの時間帯で、
介護用品を取り扱う部署の事務員として入社したら。


私の入った部署には、誰もいませんでした。


本社は別にあり(隣の社長の住居)、
敷地内に建てられていたプレハブが私の新しい職場だったのですが。

そこには、大量に積み重ねられた書類の束やパソコンがありました。

呆然とする私に、別の事務員さんが話してくれました。

「社長の息子がやっていたんだけど、けんか別れして出て行っちゃったんだよね~」
「とりあえず、わかる範囲のことは教えるから」

とりあえず、頑張ることにしました。
入社するって伝えちゃったし。
残った失業保険は、再就職手当になるし。

まずは、介護保険についての勉強。
介護用品についての勉強。
使用するソフト(介護保険請求などに使う)の勉強。
そして、書類の整理。

私は事務員として入社し、もう一人実務を行う人が入社したのですが、
その人は、2週間ほど介護施設の現場で研修を受けるというので、
スタート時は私一人だったのです。

実務をする人も、結局はあんまり仕事される方ではなかったのですが。


何とか形になってきた 

基礎的なことを教えていただき、書類の整理にも取り掛かりたいところですが。
なんといっても、書類やカタログが多い。

また、大事なものなのかそうでないものなのか、わからない。

情報不足も甚だしかったですが、どう見てもいらないもの(同じカタログの古いバージョンのものや、汚れがひどく、重要ではない書類などを捨てながら考えることにしました。

徐々に、利用者さんの名前や現在利用しているかなどを把握できていったので、年度ごとに名前ごとに整理していきました。


また、部署内の会計業務も滞っていたので、少しづつ整理していきました。

会計ソフトはその会社にあわせて作られたもので、一般のものではなかったようですが、使い方を本社の事務員に教えてもらったりマニュアルを見たりして覚えていきました。


パソコンの中もひどかったです。
大量のフォルダが枝分かれしているのですが、半分以上がからっぽで。
慣れるまで何がどこに入っているのかわからず、毎回迷子になっていました。
消していいのかもわからないので、結局よく使うものをコピーして別のフォルダに入れていました。

新しい業務

私に最初に基礎を教えてくれた事務員さんの退職に伴い、私が彼女の業務を引き継ぎ社員になり、介護用品の方は新しく事務員(パート)をとることになりました。

介護用品の方に入社される事務パートのみなさんは数カ月で辞めていくので、その都度私が引き継ぎ作業をすることになるのですが。

私の新しい業務は、

・介護系の事業所(介護用品・デイサービス2つ・施設3つ・訪問介護)の従業員のお給料計算
・シフトを基にした、毎月の人員配置の確認
・必要な書類の作成
・必要な書類の提出(ハローワーク、年金事務所、市役所、県、など)
・全従業員の有給の確認(パートには有給がないと考えるタイプの社長でした)
・入退社時の手続き
・県の立ち入り検査時の立会い(書類について聞かれた時の対応)
・新しく施設に入所した方の契約書の作成

などなど。。。
必要なものはその時によって違うので、なんでもやる感じでした。

有給休暇

従業員の有給は全く把握されておらず、そもそも週5で出勤しないパートの方々に有休があるのさえ、社長はわかっていないようでした。

それでは困る。
私が困る。
従業員からつつかれるのは私ですし、私自身も有休がないと困る。

ということで有給休暇についての勉強と、管理方法の構築を開始しました。

当時、働き方改革による従業員の有給休暇取得義務化に向けて、【年次有給休暇管理簿】の作成も必要になるという頃でした。

パートが取得できる有給休暇についてや、管理簿でどうやって把握するかなどを調べ、過去のタイムカードを確認して、一つ一つ作り上げていきました。

介護関係の書類

介護用品の事務員(パート)のときに、教えてもらいながら数回変更届をつくりました。

その時に教えてもらっていなければ、その後のデイサービスや訪問介護などに関係する書類をつくることはもっと難しかったと思います。

管理者の変更があれば変更届、
営業時間の変更があれば変更届、
許可証の期限が来ることには更新手続き、
県から職員が来ることがあれば、書類の確認や当日の説明。

回数を重ねるごとに、徐々に理解できる項目が増えていく感じでした。

私に言われても

私の前任者は、私よりお給料が5万円以上高く設定されていました。
その分、時間外に対応することもあったようです。

私は決められた時間内(平日のみ、8時半~17時半)のみでいい、
そのぶん金額も少ないということだったのですが、
だんだん皆さんのあたりが強くなっていきます。

社長夫人(専務)を筆頭に。

深夜に施設で何かあったからって、
事務員が呼び出されるのは違うと思うんですけど。

また、有休を使っていいかを私に聞かれても、という感じでした。
その判断は私がするものではないし、
せめて社長や現場の管理者と話し合ってもらいたい。

社長もパートに有休があることを理解できないようで、
時々私に詰め寄ってきました。

そういう時には、
「有休もくれず時給も安い職場には、募集しても誰も来てくれませんよ」
とお話しました。

ずるい人たち

介護系の施設は県の許可を受けているので、
数年に1度、県の職員が立ち入り検査をします。

毎日の記録すべき書類がすべてきちんと揃っていないといけません。

本社から車で1時間半のところにあるデイサービスにも、立ち入り検査が入ることになりました。

そちらで働く職員のみなさんは、ずるい人が多い印象でした。

遅刻しても他の人がタイムカードを打刻したり、
帰宅時間ではないのに帰ってしまったり。

時給制で働く人たちがやっていいことではないのですけれどね。

また、よくあることかもしれませんが、稼ぎたいからと必要ないのにたくさんの人間をシフトに入れる。

主要メンバーの3人が母親と娘2人だったこともあって、
好き勝手なふるまいをしていました。

社長は叱るものの、辞められたら困るようで、3人の態度が大きくなっていったのだと思います。
そのうちに、一緒に働く他の人も態度が大きくなっていきました。

前職を退職してそのデイサービスで働き始めた人は、
「前の職場では市民税を給料から引いてくれていたのに、この会社では引いてくれない、意地悪だ!」
と言い始めたり、

立ち入り検査のための書類をきちんと保管できていないことを聞くと、
「事務がやれ」
と言ったり。

管理職にはそのあたりの職務も含まれているから、
手当がつくのではないのでしょうか…。

たくさんのトラブルがありましたが、何とか当日を持ちこたえることができました。

我慢の末に

そして、次は専務(社長夫人)が辞めてしまいました。
経理の仕事を残して。

その穴埋めに、私が入ることになりました。
結構、ぐちゃぐちゃな状態で。

長年専務が行っていたものを急に引き継ぐことになったのですが、
私が未経験なせいなのか、整理されていないからなのか、
わかりづらいことが多く大変でした。

会社とお付き合いのある会計事務所も適当で、顔を見せるのは年に数回。
聞いてもイマイチ教えてもらえず。
かなり困りました。

何がどうなっているのか確認しながら、
それまでの業務を変わらずこなしながら、
新しく経理を覚えながら仕事をしていたのに。

始まったのは、本社の事務員からのいじめでした。

ずっと以前から、きつい人だと思っていました。
言い方や言葉選び、自分は大変だアピール。
これまでの、介護用品の事務パートのみなさんが辞める理由も彼女でした。

でも、仕事をする場所が少し離れていたのでましだったんです。

机の向きも良くなくて、事務員さんがイライラして大きい音を出し始めるとすべて聞こえます。

金庫の開け閉めの音も、
電話をかける音も切る音も、
キーボードを打つ音も、
すべてが大きくなるんです。

そして、ちょこちょこ離席して隣のプレハブの他の従業員たちとひそひそ話に行くのです。

その間、彼女宛に電話がかかってきたのに出てメモを置いておくと怒り、
私が電話に出られないと怒り、
またひそひそ話をしに行きます。


その方は勤続20年とかで、社長や専務との付き合いも長く、誰も注意できない状態になっていました。


半年ほど我慢し、年を越しました。


結果として

年明け、社長の息子が戻ってきました。

私が入社前にいなくなってしまった、彼です。

その日からたったの2週間で私は限界を迎えてしまいました。

まず、私以外の3人(事務員、営業、社長の息子)の全員が喫煙者でした。

10畳ほどの事務所でひっきりなしに誰かしらが喫煙していたので、
コートもかばんも臭くなるくらいでした。

ちなみに、空気清浄機的なものはありません。


また、社長の息子さんはパワハラ気質だったので、話し方や内容が威圧的でした。


本社の事務員からのあたりの強さも新年を迎えようが変わりません。

年が明けて1週間で無理だと思ったので、社長に春までに退職したいと伝えました。
引継ぎをちゃんとするから、と。

ところが、体はもうすでに限界を迎えていたようで、
のどのあたりの違和感がどんどん強くなり、
その週の金曜日に過呼吸で早退、以降出社できませんでした。

食べることも起き上がることもできなくなってしまったのです。

1週間ほど寝込んで、病院に行きました。

そのまま薬をもらって、
先生は
「もう会社に行かなくていい」
と言ってくださりました。
必要なら診断書も書くよ、と。

ほとんど動くことも食べることもできなくなってしまい、
世の中がコロナで大変な状況になっていくのを横目に、
しばらく寝込んでいました。

休みの間、まずは有休を使ってもらい、
そのあとは傷病手当を使ってもらうように手配したのですが、
社長が書類に判を押してくれませんでした。

傷病手当は健康保険の方から支給されるものなのですが、
会社が損をすると勘違いしたのか、
書類を全て用意してハンコを押すだけにしても全く動いてくれませんでした。

その後何度連絡しても、
3月いっぱいで退職し、
冬頃直接ハンコをもらいに行くまで、
ハンコを押してくれることはありませんでした。


続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?