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僕は、逃げた。

ジョゼと虎と魚たち。

大学生の時に観て、非常に心を揺さぶられた
映画だった。

(40歳を目前に、今もなお、最も好きな映画だ。)


その理由としては、終わり方だ。


『僕は、逃げた。』


恒夫が、ジョゼ(クミ子)と別れを告げ、香苗と合流
する場面。

恒夫が泣いた所に、この映画の良さが集約されている。

弱さ、脆さ、軽薄さ。

物語の終わりに、ダメな自分を直視し、受け容れる恒夫の言葉。

それとは別に、電動の車椅子に乗って駆けるクミ子。

スケボーで無理やりに車椅子を引っ張ってしまう、
向こう見ずだった恒夫は居なくなっても、自らの
人生を切り拓いていこうとする強さを感じさせる。


障害があっても(あるからこそ)強くあろうとする
クミ子と、
健常者であっても、心の弱さ(傷)を分かち合うことで
支え合っていこうとする恒夫と香苗。

(クミ子も、祖母を亡くしたことで、弱さを恒夫に
受け容れて貰ったからこそ、自暴自棄にならずに
済んだのだけど。)


本来は交わらない二人が、ひょんなことから年月を
過ごし、またそれぞれの道を歩いていくー。


映画でも、現実世界でも、出会いや別れは勿論あるが、
曖昧でなく、きっちり線を引いてくれた結末が
良かったし、あんな泣き方が出来る妻夫木に、
素直に感動した。

くるりの「ハイウェイ」とともに、この映画が突き
刺さったまま、宛の無い人生を過ごしてるとは、
当時の僕は思いも寄らないだろうな。


そういえば、この映画を観た当時、クズの自意識過剰で独善的な大学生だった僕は、思い通りにならない彼女に対して溜まった鬱憤を、

「お前とはセックスする為に付き合った(ことにした)」

という言葉に乗せた結果、彼女の涙が乾かぬうちに、それぞれの道を歩むことになった。


20年前から、あるいはもっとその前から、僕は僕から、
僕に纏わる全ての面倒ごとから逃げ続けているのかもしれない。


折角の良い映画が、糞みたいな話で台無しだ。
(ちなみに、その時の彼女とは卒業して2年ぐらい
経って、会わないか、と連絡を貰ったのを思い出した。今はどこで何をしているのか、全く知らない。)


まあ、これが偽らざる僕自身の思い出なのだけど。


#映画にまつわる思い出 #ジョゼと虎と魚たち #クズ #自意識過剰

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