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真珠腫性中耳炎の治療のため、4歳から通院を始めた息子。最初の頃は自分が何をされているのかもわからずに、治療のたびに泣きわめく彼。その姿が哀れで情けなくて、彼と一緒に涙を流していた私のことを前回書きました。

彼と一緒に泣いてしまったのには理由があります。私は弱難聴のため現在は補聴器をつけて生活しています。(補聴器利用者の絶対数が少ないだけで、理論的には視力が悪い人がメガネをかけるのと同じ感覚)原因はわからないのですが、子ども時代から耳の聞こえが悪かったため、彼の病気は私の耳の聞こえの悪さが関係しているのではないか。私のせいなのではないかと勝手に思い込んでいたのです。そのことについて長い間、彼の主治医に尋ねることができませんでした。

なぜ聞くことができなかったのか?当時はその理由がわかりませんでしたが、今にして思うと、私と担当医とが良い関係性を築けていなかったからですね。

診察のためベッドに横たわる息子に先生は言います。「痛いところがあればすぐに言ってね」と。実際に耳の中をいじられた息子が表情をゆがめると、その手を休めることなく「痛くないだろう」診察を続ける。診察後、早口で息子の症状について話してくれるのですが、聞き取りにくいことがしばしばありました。もちろん聞き返すことができない私が悪かったのです。厳しい表情で接するドクターに自分の気持ちや疑問を(インタビューの仕事のときのようには)率直に話せなかったし、聞けずにいました。

息子が中学生になるタイミングで「手術をしましょう」と声をかけられ、中学1年生の春に手術。無事に終わり、最初の診察時に初めて息子の耳のことをきちんと聞けました。息子の耳の病気は「遺伝ではありません。お母さんのお腹の中にいるときに、たまたま耳の中で悪さをしたのでしょう」と言われたときの安堵感。長い間心の中に抱えていたわだかまりが静かに消えていった瞬間でした。

手術後ドクターの態度はがらりと変わりました。どう変わったのかというと息子に接する時の声が明るくなったのです。耳の手術のとき、中心になったのは長年息子の耳を診てきたドクターではなく、県内では真珠腫における第一人者と言われている別のドクターでした。その方の話ではいつも息子の耳のことを気にかけていたという主治医の様子。それは私たち親子には見せなかった表情でした。

医師として患者に見せる顔、声のかけ方、治療にたいする伝え方。主治医なりに息子のことを気遣っていたのだと知るまでに、約10年の月日を要したのでした。


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