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中学生になってまもなくの手術も無事に終わり、退院時に医師から言われた約束は「今年の夏はプールに入らないこと」でした。退院後に息子は入部する部活動を決めなければなりません。検討する際、当然ですが「水泳部」以外…と親の私は考えていました。

息子は4歳年上の兄と一緒に、自宅近くのスイミングスクールに通っていましたが、小学校卒業と共に辞めていました。耳のことがなければ「水泳部」も選択肢の一つになると思っていました。結局彼は水泳部へ入部を希望。理由は「仲の良い友だちがいるから」。

水泳部の活動は春の基礎トレーニングを経て、6月くらいからプールに入り始めます。水の中に入れない息子はどうしているのかと思えば、プールサイドで仲間の泳ぎを見学していました。同様に体育の時間も見学です。中学校のプールは道路際から見える場所にありました。買い物の途中、少し遠回りをして息子の姿を見に行ったことがあります。彼はプールサイドに座り、友人達の泳ぐ姿を黙って見ていました。どんな気持ちで見学していたのか、彼に聞いたことはありません。彼の姿を見る私が切なかったからです。

盛夏を超え、秋の気配が感じられる頃にドクターから「耳栓を付けて」泳いでよいと言われました。その後も息子は水泳部に所属し、仲の良い友人もできました。市主催の大会にも出場しましたが、予選を通過することは一度もなく部活動引退となりました。

   「僕は運動では一番になれないから、勉強を頑張る」

どのタイミングだったのか、水泳部の成績が原因だったのか、もはや忘れてしまいましたが、彼がこう言ったことを私は覚えています。ある頃から息子は勉強に打ち込むようになりました。入学当初、学年で中程度の成績だった彼が3学年に進む頃は上位になり、受験を経て国公立大学現役合格者数が、県内1位と言われる高等学校に進学しました。

息子にとって真珠腫性中耳炎は、人生最初のターニングポイントだったのだと思います。


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