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【映画感想】『STAR WARS エピソード7~9』原作者至上主義を唱えたい※ネタバレ有

この文章では、

エピソード1~3→新三部作

エピソード4~6→旧三部作

エピソード7~9→続三部作 とします。

私はスターウォーズが大好きである。映画はスピンオフ含め全作を繰り返し見たし、『クローンウォーズ』(最新のシーズン7も含め)、『反乱者たち』など映像化されたものもほぼ見た。また、スピンオフの小説やコミックも何冊か読んだ。つまり、スターウォーズに対する思い入れが人よりも強いのである。

スターウォーズ続三部作の最後の作品『スカイウォーカーの夜明け』は2019年12月に公開された。映画館では、公開日とその1か月後の計2回見た。2回とも見終わった後の感想は「最悪」である。これがスターウォーズの最後の作品かと思うとモヤモヤした。

しかし、スターウォーズは私が大好きな映画である。だから、どうしても続三部作も好きになりたくて、公開から約1年後、再び続三部作を見返した。何か自分の中で納得できる要素を見つけたかったのである。

しかし、続三部作に対する感想は変わらなかった

とりあえず、続三部作に関して何に納得できないか、なぜ好きになれないのかを記録しておきたいと思い、noteに残すこととした。いつか続三部作が好きになって、この感想を見返すことを祈って。前置きが長くなってしまいましたが感想です。

面白かった『最後のジェダイ』

実はエピソード8にあたる『最後のジェダイ』は私としてはなかなか楽しんで見れた作品だった。

ルークがジェダイの存在自体を否定し、隠居する捻くれたおじいさんになってる設定は好きだった。ジェダイはその精神性の高さから、超人や神話に登場する神々のような扱いを受ける。

しかし、例えばそもそもアナキンが暗黒面に堕ちたのは、パドメに対する愛情をパルパティーンに利用されたからであり、ジェダイの厳しい掟(他人を愛することは独占欲に繋がるとして禁じられている)を破ったアナキンはその代償を払うことになった。

他にも『クローンウォーズ』では、ジェダイの在り方に疑問を持ち、ジェダイを裏切って暗黒面に寝返るジェダイマスターのエピソードもあるし、『クローンウォーズ』の準主役級のキャラクター、アソーカもジェダイに対するる不信感から、ジェダイを去る決断を下す。

つまり、ジェダイとは優れた存在のようだが、その綻びが垣間見えるエピソードも多いのだ。だから、ルークがあのような態度に出るのもすんなり受け入れられたのである。

そしてもう一つ好きな設定がレイの血筋が何者にも繋がっていないというもの。続三部作で多くの人が注目していたであろう「レイは一体何者か」というテーマ。その答えは何者でもないというものだった。

スターウォーズと言えば、広大な銀河を舞台にした戦いの物語だが、その枢軸はスカイウォーカー家の愛や絆の物語でもある。これまでのスターウォーズは血縁に重きを置いていたが、続三部作における「フォースにバランスをもたらす存在」は「辺境の星のゴミ漁りの少女レイ」。スターウォーズの新たな試みとしては非常に面白い。映画の最後に奴隷の少年がホウキを何気なくフォースで手繰り寄せるシーンなんかも、希望の芽はそこら中に存在することを告げているようでワクワクした。

アナキンだって「何者でもない」存在だったところをたまたまクワイガンジンが見つけてきたという歴史がある。『最後のジェダイ』は多くの新しい試みがあって賛否両論あるのは分かるが、私にとっては総じて納得のいく範疇だったのである。

二転三転する設定

友達と一緒に見た『最後のジェダイ』。見終わった後の友達の感想も「面白い」だった。だから公開から数日後、『最後のジェダイ』が大不評を受けていることに驚いた。

見る人によって色んな感想があるのは当たり前だ。面白くなかったという人の意見や批評を見たが、「確かにな~」なんて共感する意見もあったけど、すぐ忘れてしまった。人がどう言おうと私は面白かった。だから続編には期待していた。光と闇の象徴であるレイとレン。そして何者でもないレイがその戦いに勝利し、フォースにバランスがもたらされる。なんてことを想像しながら公開を待っていた訳だが、突然最後の黒幕としてパルパティーンの復活が予告された。この辺から雲行きが怪しくなってきた。

スターウォーズ、いや映画史におけると言っても過言ではない絶対的な悪役、パルパティーンの登場に少し嬉しい気持ちもあった。しかし、過去のキャラクターであるパルパティーンに頼った感もあって、少し複雑な気持ちのまま、公開日を迎えたのを覚えている。

そして、最終作。前作の設定の帳消しが繰り返された。そもそもパルパティーンがどういう経緯で復活したかが消化できないまま、物語はどんどん進んでいく。レイがパルパティーンの孫であるという新たな事実まで分かった時点で私の気持ちは映画から離れていった。なぜこんなにもコロコロ状況が変わるのだろうかと。

そのまま映画は最終局面へ。レイとパルパティーンの最終決戦でパルパティーンは、「怒りのまま私を殺して、暗黒面の女帝となれ」と言う。さすがシス卿。この言葉でレイはパルパティーンとの闘いには勝利しても、それは怒りという邪悪なパワーを使ったことによる勝利であるため、後々レイがダークサイドに堕ちることを暗示していることが分かった。肉体は滅びるが邪心という形でレイの中にパルパティーンの意思を残すのが目的だったのかと。

少し納得したが、その後レンが登場した時にパルパティーンは今度はレイとレンがフォースにおける一対の力であり、生命力そのものだと驚嘆する。そして、その力が皇帝(パルパティーン)を復活させる!と言って2人からパワーを吸い取り始めた。

レイを新たなシス卿として迎えるのが当初の計画だったが、レイ&レンの強力なフォースを目の当たりにして、急遽再び自身が復活する計画に切り替えたのか。二転三転するパルパティーンの言動と行き当たりばったり感のある展開に興醒めした。こうして前作からの大量の変化点についていけないうちに映画は終了した。

『スターウォーズ』は誰のもの?

ここまで散々エピソード9に対する不満を書いてきたが、実はこの記事で私が一番主張したいことは、ストーリーの出来の悪さではない。

私が何故続三部作を好きになれないのか。その最大の理由は映画を作る上での制作陣の迷走っぷりにある。

何故、続三部作はこうも話に一貫性が無いのか。まず監督や脚本家は7~9で様々に違っている。すでにここが問題ではないか。スターウォーズは3作で1セット(なんなら1~9すべてが一つのスターウォーズという世界)なのに、それを指揮する人がコロコロ変わっていたら全体の統一性が無くなるのは当たり前だ。スターウォーズの世界観をきちんと理解する人がすべての作品に関わり、全体の流れを指揮する権限が与えられていないと状況が複雑になるのは当たり前のことだろう。ってかそもそもスターウォーズはジョージルーカスが作ったものだ。それを他人が好き勝手な解釈で作るからこんなことになるのではないか。

『最後のジェダイ』に満足行かなかった一部のファンが『最後のジェダイ』を無かったことにする署名運動をしていたことは知っていた。また、エピソード7の企画時に旧三部作の熱烈なファンがスターウォーズはこうあるべきだ、という主旨のメッセージを監督のJJエイブラムスに突き付けていたこともあったらしい。こういうファンの言動に右往左往させられたのは、確固たるスターウォーズ像を持ってる人(=ジョージルーカス)が指揮権を持ってないからだろう。だから、最後は往年のファンに媚びた内容で着地せざるを得なくなったのではないか。

もし続三部作がどんなに新しく斬新なスターウォーズであっても、それがジョージルーカスによって作られたものであれば、私は納得すると思う。気に入らなければそれだけの話であり、「続三部作は好みじゃないな」の一言で終わること。

繰り返すようだが、続三部作が問題なのは、ジョージルーカスが意図したものと全く違う形(最近ジョージルーカス本人が続三部作の全く違う構想を明かしています)で、第三者の手によって、もはや「自称ファン」を含む第四者、第五者とでも言うべき沢山の人の意思をもって作られたことが問題なのだと思う。そして確固たるスターウォーズ像を持っていない制作陣が「大衆に受け入れられるスターウォーズ作り」に試行錯誤していることが、手に取るようにわかるのだ。

ルーカスが作るスターウォーズはスターウォーズ以外の何物でも無い訳で、それは受け入れる、受け入れられない、という話ではない。受け入れられなくてもそれがスターウォーズなのだから、ただの好みの問題である。作品の改変のために実力行使するなんてもっての外だ。

スターウォーズはジョージルーカスのものであって、彼以外誰のものでもないのだ。

新たなる希望

スターウォーズの魅力の一つはその広大な世界とそこに登場する多種多様なキャラクターだ。キャラクター一人一人に歴史があり、描くべきストーリーがある。マンダロリアンみたいに映画の本編にほぼ関わらないキャラクターが主人公でも十分過ぎるほど面白い物語ができるのだから、今後もどんどんと様々なキャラクターの作品を生み出してほしいと思う。とは言っても、それら全てにルーカスが関わることは不可能だろう。

しかし、ルーカスの代わりを務められそうな人物がいる。その名はデイヴフィローニだ。コアなスターウォーズファンなら当然知っているであろう彼は、『クローンウォーズ』や『反乱者たち』を監督した人物である。

ルーカスが名指しで後継者に指名した彼こそが、ディズニー傘下のスターウォーズにおける『新たなる希望』なのだ。彼は『マンダロリアン』やそれに続くテレビシリーズ『オビワン』や『アソーカ』にも携わることが発表されている。

最後に

大好きな映画だからこそ長文で、かつ批判的な口調になってしまった。

ディズニー傘下の影響からか、今後沢山のスターウォーズが作られることが発表されている。先述の通り、スターウォーズの魅力はその広大な世界と沢山の登場人物だ。それらの一人ひとりにフォーカスを当て、新たな物語が生まれることには大賛成だ。そして、それらの作品がルーカス、あるいはルーカスの意思を継ぐ者たちの手によって作られることを願っている。

また、旧三部作→新三部作みたいに時系列を逆行して描くことで、すでに出来上がっていた作品に深みや新たな感動を吹き込むことができる。新三部作のおかげでダースベイダーが土壇場でルークを助けた場面により一層感動できるし、エピソード4の『新たなる希望』というタイトルだけでジーンとくるものがある。となると、ぜひ続三部作の前日譚を描いてほしい。そうすれば、いつか続三部作を好きになれる日が来るかもしれない。

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