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つれづれ雑記 思考スケッチ①

 言葉というのはどんなに細心の注意を払って放ってもあるいは綴っても、自分の考えにぴったり添うのは難しく、ましてや他人にそれを正確に読み解いてもらうのはさらに難しい。
 物語であれば、その読み解き方(あそび)が多い方が楽しめる人が多くなるだろうと思うけれど、自分の考えを述べて、なるべく正しく解釈してくれる人に届けたい場合は、なかなかうまくいかないかもしれない。
 何かを伝えようとするのは、同じような考えの人(時に異なる考えの人)と意見を交換したい、ひいては自分が(相手を含めて)より好ましいところに到達したいということだろうと思う。その到達目標点が、場所なのか事象なのか気分なのか考え方なのか人なのか組織なのか、などはとりあえず置いておくとして。

 伝えようとした時に、正しい文法や単語を用いなくても、根本的な考え方が似ていて同じような場所に着地したい相手であれば、大して言葉を費やさなくても簡単に意思疎通ができることもあるだろう。あるいは、受け手が相手の伝えたい事柄を的確に読み解くのに長けていれば、多少のブレはあっても伝わる場合もあるだろう。
 逆に、根本的な考え方が違って、着地したい場所が違えば、どんなに文章が正確であろうと、文法が正しかろうと伝わらないこともあるし、相手がそもそも話を聞く気がなければ、もうなんというか、言葉は無力としか言いようがない。
 それでも何かを伝えようとするのは、根本的な考え方が違っても着地点が違っても、話が通じる誰かに接続したいから。今よりいい感じになりたいから。閉塞しないでいたいから。理解し合える誰かと時間を共有したいから。なるべく生き延びたいから、なのかもと思う。

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