靖国神社という新興宗教

皆さんは靖国神社が新興宗教の総本殿だといったら信じるでしょうか?

信じるも信じないも事実だから仕方がないのです。
元々靖国神社は、靖国招魂社として江戸幕府と新政府軍が行った戊辰戦争で、新政府軍のために戦って死んだ人の魂を招き鎮魂するための一つの社に過ぎなかったのです。

こういうとなんとなく祟り神を抑えこむような、日本らしいやり方だと思われるかもしれませんが、過去にそういう鎮魂のために社を建てられたのは、菅原道真、崇徳天皇、平将門の三人しかいないのです。

そしてこの鎮魂の考え方は、神道のそれではなく民間信仰である道教の考え方に基づいているといってよいでしょう。

従って神仏分離令を出した後の神道とは、それまで神仏習合として身近にあった神道とは、違うものになってしまったといえます。
そしてそれを証明するそのもう一つの存在が、現人神としての天皇の存在です。

明治政府は紀元節つまり建国記念日を決めるために、古事記からなんとなくこの日というのを決めたのです。つまりそれまでは天皇は神ではなかったという証でもあります。
大体鎌倉武士に三種の神器でもって、天皇の継承を認めるといわれたのだから、全然神らしくはないでしょう。

とはいえ、いかな創作といえども、その物語を真実とし信じよといい、信ずる者がいればそこに神は座すことになります。従ってそう信ずる者がいる限り、象徴天皇制になったとしても、天皇の系譜は神の系譜であるといえなくもないのです。

それを主張するのが靖国神社です。
日本には憲法によって個人の信教の自由が謳われているので、別に靖国独自の新興神教を信じたければそれは構いません。
構わないのですが、些か問題はあります。
それは靖国が誰を招魂するかは我々が勝手に判断すると宣言していることです。

一応の基準はあるのです。
国家に殉じた者というのが条件で、勤務中に亡くなった警察官や消防士も含むことになっています。

また兵士や軍属も戦闘行為でなくなれば、招魂されることになり、そういう存在を明治の終わりくらいから、英霊と言ったりするようになったようです。

しかし、なんとも納得し難いことが、私にはあります。私の祖父は日清戦争を帝国陸軍で戦い、死ぬこともなく生き残り、晩年は東京の叔父の家で認知症で徘徊しないようにと足を鎖で繋がれていたのを、父が開通したての新幹線で背負って帰ってきて、私が生まれてすぐに死にました。
祖父の戦死した戦友は英霊として靖国に祀られているのに、祖父は自然死であったため靖国には入れないのです。祖父は日本が負けるはずはないと、朝鮮から引き揚げるのを拒んだほど、大日本帝国を愛し信じていたはずなのに、ですよ。

私にしてみれば、私の祖父だって英霊として祀られる権利はあるはずだと思わなくもないのですが、靖国神社の設定を鑑みるに英霊なんぞにならずに良かったと思い直すのです。

それは靖国が鎮魂しかせず、霊魂の救済をしないということです。これは靖国がハッキリと宣言している事実です。

ちょっと分かりにくいので説明しますと、例えばキリスト教では魂に死という概念はなく神のもとへ召されたり、仏教では六道を輪廻するということになっていますよね。神道では黄泉の国か常世の国へ行くことになっているのですが、なんと靖国に招魂されると鎮魂のために靖国に留め置かれることになるのです。

日本人は死ぬと殆どが戒名を戴く仏教徒なのですが、靖国に招魂されると六道も輪廻できなくなるという理屈が成立してしまうのです。

こんな不公平で一方通行な宗教を、皆さんは他にご存知ですか?

更に靖国神社には、天皇はいないという問題もあります。
明治天皇は明治神宮に御坐す。これは皆さんご存知ですね。では大正天皇と昭和天皇はどこに祀られているかご存知ですか?

皇居の中に宮中三殿というところがあり、天照大神から始まり歴代天皇は全員そこに祀られています。

つまり国家神道という新興宗教は靖国神社を頂点としながら、そこに天皇を招魂することができないのです。

格下の明治神宮に出来て、靖国に出来ない理由は何か?といえば、昭和二十年まで存在した神社行政に尽きるのです。
明治天皇がお隠れになった時、陵墓はすでに京都に決まっており、それでは帝都東京では明治天皇を祀ることが叶わぬのか?という声が上がり、あの人が動くことになります。

そう、明治大正の大事業には欠かせないあの人、藍屋こと渋沢栄一です。渋沢と時の東京市長阪谷芳郎は東京府民の嘆願書を持って、宮内省に陳情に行ったのです。
そして内務省神社局という神社行政を司るところと、土地の選定に入り、内苑を官費外苑を民間からの募金により作ることを決定。
更に神社局では手に余る事業ということで、新たに神宮造園局が内務省に設けられ、また第一次世界大戦による急激な物価上昇で予算が不足した際に、全国の青年団が勤労奉仕に駆けつけたのです。
神宮外苑に日本青年館があるのは、そういった経緯があったからなのです。

さて、ここには一切靖国の名前が出てきませんでしたよね?これは当然なのです。当時の神社の宮司は国家公務員だったのです。従って寺社局や神宮造園局の行うことに口出しなどできる立場ではなかったのです。

つまり、まだこの頃は国家神道といえるほどの力を靖国神社は持っていなかったのです。どちらかといえば内務省警保局の特別高等課。即ち特高の思想弾圧のほうが力があり、日中戦争以降段々と英霊信仰が強くなっていったというのが、本当のところなのです。

従って表題にあるように、靖国神社というのは国家神道という新興宗教の総本山ということになるのです。

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