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Case3:MRIを初体験する


痛みには人一倍敏感で、紙で少しだけ指を切っても「いたい、いたい」と気になって仕方ないのに、下腹部の痛みや生理の違和感に関しては「こんなものかもしれない」と鈍感になっていたのが、今思うと不思議に感じる。

むしろ、学生時代は痛みで辛そうな友人や、社会人になるとピルを飲んでいる同僚を見ながら「自分はまだよいほうだ」と思っていたかもしれない。 

毎月の煩わしさや憂鬱さを「仕方ないこと」「みんな経験していること、我慢していること」というあきらめにも似た気持ちで蓋していた。
でも年々PMSがひどくなり、生理前はものすごく気持ちが落ち込みがちになったり、出血の量が増えたりしていた中で、自分の子宮の異常を指摘された時は妙に納得して、正直に「なんて厄介な臓器なんだ」「私は辛いと言ってよかったんだ」と思えた。

なんて厄介な臓器。一方で、自己主張が強いだけになんとなく相棒感もある私の身体の一部。今はもう7歳になる子どもを十月十日守ってくれたところ。

今私は、その臓器そのものに別れを告げようとしている。
まだ決まったわけではないけれど。



元来身体が丈夫なほうなので、「二週間で三回病院に行く」というのは私にとってとても珍しいことだ。しかもすべて違う病院。

一回目は家の近所のレディースクリニック「A」、二回目は子どもを産んだところと同じ総合病院「T」。

三回目の今日私は、MRIを専門に扱う病院「S」にいた。

前回、子宮筋腫の治療をお願いする T病院で初診を受けた私は、より細かい筋腫の症状を診てもらうため、MRIを受けることになった。早い処置が望まれるものの、T病院内のMRIは混んでいて待っていると治療が遅れていってしまうので、外部のMRI専門の S病院を紹介してくれたのだ。

年末も年末、あと数日で新しい年を迎える、というタイミングだったので、オフィス街にある S病院の辺りはしんとしていた。正確に言うと、本当に誰も歩いてなかった。会社の近くなので、通ることも多い道を若干心細い気持ちで歩いた。年末よくsprtifyからおすすめされていた、BGMはなぜかLOVE PHANTOMだった。君を探し彷徨うmy soul.


S病院の大仰な自動ドアを開いて中に入ると、待合室にふたりほど患者さんと、受付のカウンターの奥にも何人かのスタッフがいたので少しほっとした。ここには人がいた。ラウンドを描いたロビーには椅子が弓状に置かれ、すでに診断を終えた体の、私より年齢がうえと、私より年齢が下っぽい患者さんが一人ずつお会計を待っていた。そのふたりの間に座って私は受付で渡された初診表を書いた。両サイドのふたりはどんな病気なんだろう。病気は見つかったのか、これから見つかるのか。そんなことばかり気になった。

診察室に呼ばれ、初老のおだやかそうな先生から最初に問診を受けた。

ここでもやはり貧血を指摘された。三回目にもなると私も症状を最初よりうまく伝えられるようになっていた。先生はカルテに何かさらさらと書きつけてから「では、また呼ばれるまで外でお待ちください」と言った。

待っている間、初めて体験する「MRI」について想像を膨らませた。MRIは「Magnetic Resonance Imaging」の略らしい。TVで見たことのあるイメージをたぐりながら、自分の身体が輪切りのようにスキャンされる様子を想像した。つい二週間前までは自分には関係のないものだと思っていたので、なかなかうまくイメージできない。「そのまま絵に描いてみなさい」と言われて、その絵をクイズにしたら誰も正解を言い当てられないんじゃないかと思うほどに。私の想像力ではどうがんばっても日サロのマシンだった。


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日サロの妄想は「タケダさん、タケダマキさん」という声で中断された。呼ばれた声の先に行ってみるとそこは細長いロッカーが10台ほど立ち並ぶ、部屋の前だった。

「ここで検査着に着替えていただきます」と、声の主の女性はやわらかい声で言った。

ロッカー前にはいくつかの注意書きがあって、「MRI検査室には次のものを身に付けて入室することができません。」の下に「身につけているもの」や「金属製のもの」などの見出しがあり、その下にさらに細かい項目が続いていた。時計やピアス、アクセサリーなどは想像の範囲だったが、「蓄熱素材の下着(ヒートテック、遠赤外線素材等)」は驚いた。「カラーコンタクト(ディファイン含む)」も項目にあった。ご多分にもれず、私も冬はヒートテック愛用者だ。そして小さい目を少しは大きく見せたくて、縁ありコンタクトも装着していた。

「ヒートテックだめなんですね..」と私がつぶやくと、女性はほがらかに

「そうですね、ヒートテックだめなんですよ〜!」と返してくれた。その時はうまく理由を聞けなかったのであとで調べてみると、ヒートテックなど体温の熱を利用する機能性下着は、金属の一種が練り込まれているので、それがMRI検査で発生するRF派をはね返してしまうから画像がうまくとれないとのことだった。色付きコンタクトも金属が使われている場合があるためダメらしい。なるほど。


早速ロッカー前で着替えようとしたが、「あっ、着替え室ありますので〜!」とすぐ後ろの個室を案内されたので、そこで用意された検査着に着替える。装着していたコンタクトも外して、病院内で売っていたケースに入れた。

私はド近眼なので(コンタクトが右-5.50、左-3.50)コンタクトを外すともう何も見えない。薄い検査着一枚で心もとなく指示されたベンチで待っていると、検査室から私の名前を呼ぶ声がした。いよいよMRIとご対面..!

入ってみると、それは思ったより大きかった。そして日サロじゃなかった。


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「仰向けになって機械に入る」しかあってなかった。


その大きさに圧倒されていると、おそらく技師の方が台に座るように案内をしてくれた。そして「検査中は大きな音がするので、ヘッドフォンをしていただきます」といって、大きめのヘッドフォンを手渡してくれた。その後「検査中はヘッドフォンから音楽が流れます」と付け加えた。

そこで私のテンションはかなりあがった。単純に「ヘッドフォンで聴く音楽」に期待してしまったのだ。どんな音楽が流れるのか、とても楽しみになった。誰のチョイスでどんな音楽を聴かせてくれるのだろう。

技師の方は私の反応なんて気に留めもしないだろうが、「へえ」と変な返事をしながらニタっと笑ったので我ながら不気味だったと思う。

それから技師の方は機械を操作する別室に移動し、別室の透明な窓から「では、はじめます」のような声をかけた。声はスピーカーで私のいる検査室に届く。仰向けになってドキドキしていると、MRIの機械が動き出して、私の体は機械の中にゆっくりと吸い込まれていった。暗い狭いトンネルの中。確かにこれは閉所恐怖症の方にはつらいだろうと思っていると、ヘッドフォンからお待ちかねの音楽が鳴り出した。

タ〜タラ〜タラ〜ラ〜

タ〜タッタタッタラッタラ〜

タ〜タ〜タ〜


感想、「ちいさい...」。

もともと耳の聞こえが少し悪い私は、「爆音で音楽を聴きすぎると耳が悪くなる」、ということを信じ、忠実に守っていて、普段からヘッドフォンやイヤホンの音量には超気を遣っているのでいつも自分の音量も小さめにしている。

そんな私でもこの音量は小さい。

例えるなら、聴力検査の「聴こえている間はブザーを押してください」くらいの音量だ。

そして肝心の音楽は、志摩スペイン村だった。

いや、正確に言うと「スペインっぽい」んだけど、スペインに行ったことがないので、数十年前に家族で行った志摩スペイン村を思い出したのだ。楽しかったな、パルケエスパーニャ!

調べたら、スペイン村の開業が1994年で、私が行ったのが多分中学か高校のどちらかなので、開業数年後に行ったかと思われる。

…とスペイン的音楽によって数十年前の記憶を呼び起こしていたら、その陽気で太陽をいっぱいに感じる(イメージ)軽快な音楽を、MRIの轟音がかきけしていった。

ドドドドッドドドッドドドドッドドドドド

ドドドドッドドドッドドドドッドドドドド


ヘッドフォンをしていてもその轟音にびっくりした。

例えるなら、マンションの上の階が、「人が下に住んでいる」ことを知らずにリフォーム工事をしているかのような。

フェスの前列のほうでゆれてたら人流でスピーカー前に流れていってしまい、ライブ後に耳がボンボンしているような。

発想が貧困なのでこれくらいしか例えがでてこないが、

とにかくすごい音だった。

スペイン(的)音楽も申し訳程度に耳に届いてはいたが、MRIの衝撃音の前には完全に白旗だったので、なんだか笑ってしまった。

面白かったけれど、とにかくもうなんか、閉所恐怖症でない私も「早く出たい」と思った。



最初はあんなに早く出たいと思っていたMRIなのに、15分くらい経って機械を出る頃には私は若干寝ていた。慣れというのは恐ろしい。

ものの数十分だったのに、ずいぶん長い間入っていたような気がした。

その後服を着て受付に戻ってお会計をした。

受付の女性が少し申し訳なさそうに「結果をT病院さんに送りますので、郵送料を追加で660円いただきます」と言ったので、それだけ現金で払った。

ものの1時間くらいだったが、人生初の体験だったので、なんだかものすごくぐったりしていた。


次にT病院に行くのは3週間ほど後になる。その日は会社も年末休みに入っていたので、新宿に出て「パーフェクト・ノーマル・ファミリー」を観た。


つづく









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