何もできなかった日を許す
何も予定がなくダラダラ過ごしてしまう日が苦手だった。
無駄な時間を過ごしてしまったと思い詰めて、自分がすごく情けなくなったり勿体無さを感じたり、明日は何かしないとと焦ったり。
予定がないという予定。世の中には自然とこれが作れる人がいる。
土曜日は人と会ったから、日曜日は誰にも会わず何もしないという予定を入れて、誘いがあっても「その日は予定があるから」と断るというように。
カレンダーに空白があるのが苦手だったので、そういう人たちの気持ちが前はあまり理解できなかった。予定はあった方がいい。
外に出て人に会ったり生産的なことをする方が有意義だと当たり前のように思っていたので、人と会う予定がなくても出来るだけ外に出てカフェに行ったり、映画館に映画を見に行ったり、展示会やポップアップはないか探してみたり。
体調が悪くない限り、外に出て何かをしている自分のことを、あるべき姿と思っていた。正しく生きてる実感になっていた。
何もせず家に籠って特にこれと言って動かなかった日を、私は日常におけるなかった日に認定していた。どこかで怠けてしまった、無駄にしたと、過ごすのを失敗した日だったからだと思う。
休職をして、まだ体調が悪かった頃は動けないのが当たり前だったし、何もできなかった日も「回復のために休んでいた」という行為が出来ていたから気にしていなかったのかもしれないけど、体調が回復してきている今、また前のように「今日は何もできなかった」とふと思っている自分がいた。
まさに今日だ。
体調は悪くない、風は強いけど天気は良い。
図書館に行ってもよかったけど、なんとなく家から出られず、昼寝までしてしまった。
もうこの書き方でわかる。
「出られず」「してしまった」と否定的になっている。
図書館に行ってもよかったけど、なんとなく家から出ず、昼寝をした。
でいいのだ。
家から出ないという選択をして、少し眠たくなったから昼寝をしようと思った。悪いことは何もしていない。
今日は「何もできなかった日」じゃなくて「何もしなかった日」だ。
減点方式の人生を控えるようにしようと思った。
「できなかった」を「しなかった」と言い換えるだけで、1日の終わりに心が少し楽になる。
まだまだ、自分の思考の癖はすぐに直せないので、意識して自分に対して上から目線の「許してやる」という態度を取るようにしようかなと思った。
往往にして私は「〜べき思考」なので、それをしないというのはちょっと難易度が高い。
それなら「できなかったのか、まぁ今日のところは許してやろう」と腰に手を当ててヤレヤレ気味に一言言い放ってみるとこから始めてみるかと思っている。
本当だったら、今日もちゃんと起きてご飯を食べて生きているだけで花マル満点!と言ってあげられるくらい甘やかせたらいいのだけど、うつ病を患った人間を舐めてはいけない。
何もできなかった日を、まずは許せるように。
別に元気な日だって、何もしなくてもいいんだ。
何もしないでも元気でいられるだけマシなんだ。
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