お弁当と春、そして思案。



それはとても素敵なお弁当屋さんであった。


花も随分と散り、青々と葉を揺らした桜は強い風に煽られ残りの花をヒラヒラと散らす季節は春になった。
それでも遊歩道を歩くと流れる水の音と木々の隙間から溢れる光に歩く人も僕も空を見上げこれから来るであろう夏に想いを馳せた。

せせらぎを抜けた先には茶沢通りがあって、その先にまたせせらぎが続いていた。

つい先日とても気に入っていた店が閉店してしまった。
店のシャッターの張り紙には「3月31日をもって閉店します。40年間ありがとうございました」と理由など書かれず簡素な文が書かれていた。
それに僕はとてもショックな気持ちと共に、余計なことを書かない粋のようなものを感じた。

いろんな物が高騰している時代である。上った物価はきっとこれから下がることはないのだろう。どんどんと生きていくのが困難になった。


僕は無くなった店のことを考えながら昼食のことを考えた。
嗚呼、あの店があれば。
しかしもうそれは考えても仕方のないことなのである。過ぎてしまった物なのだ。我々はジーンズを履いたまま下着を変えることは出来ないのだ。

そうして歩いているとその店はあった。
小窓から見えるその人は忙しそうに弁当を盛り付けていた。
壁には飲み物やハンバーガー、そして弁当のメニューが書かれていた。
そう、それはとても素敵なお弁当屋さんであった。

弁当の種類も多く、またハンバーガーやベーグル、ホットドッグに小鉢や揚げ物。ワクワクするようなそのメニューの数々は気に入った店を失ってしまった僕の心の隙間をすぐに埋めてくれた。

心踊りながらメニューを見る僕の側で女の人が注文していた弁当を受け取っていた。その時に見た店主らしき人の接客も素敵であった。

僕はいくつもある弁当の中から一番オーソドックスであろう白身フライの乗ったのり弁を買うことにした。

初めての店である。少し緊張しながら早口にならないよう心を沈め
「すみません、のり弁をください」
と言った。言えた。もしかしたら「のり弁ください」だったかもしれない。「のり弁まだ大丈夫ですか?」だったかもしれない。
いや、「僕はのり弁を頼みたいと思ってる。それについて君はどう思う?」と言ったかもしれない。

だがとにかく店主には僕がのり弁を欲していることが伝わった。
代金を伝えられ、僕は財布から1000円札を出し支払い釣りを受け取った。
出来上がるまでに5分程度かかると言われ僕は店の前に設られているベンチに座り待った。

どうやら揚げ物は都度揚げているらしい。嬉しいじゃないか。コンビニの弁当も美味いが味気ない。ならば人がしっかりと作ったものを食べたいと思うのは忙しい現代人にとっては当たり前ではないか。
そう、僕は忙しいのだ。僕の予定、スケジュールには太字で忙しいとそう書かれている。
太字と言っても実際にスケジュール帳を持ってマーカーで書いているわけはない。比喩である。そう考えている、と言うことである。
「おい貴様、貴様はスケジュール帳など持っていないではないか」
などと言わないで欲しい。何なら「忙しくないではないか」などと言わないで欲しい。
僕が忙しいと言ったら犬を撫でてても忙しいのだ。

そう考えていたら呼ばれた。弁当が出来上がったのである。僕のための、代金を支払った僕の弁当を店主は作り上げ僕を呼んだのだ。

受け取るときにふと飲み物のメニューが目についた。そこには酒も書かれていたのだ。

「時に店主よ、ここは酒もあるのかい?」
「ええお客さん。ウチは酒も置いてありまんがな」
「ふむ。ってえと何だい、もしかして弁当に入れる揚げ物や小鉢、そう言ったものを単品でもらうってぇことは出来んのかい?」
「そいつぁおもしれぇ。やれるもんならやってみな」

と言ったやりとりだったと思う。僕は思った。
そうだ、ここでつまみを買ってせせらぎを見ながら良いベンチに座って酒を飲むというのはどうだろう。
そうだ、それだ。僕はそれがやりたいのだ。僕がやりたかったことはこれなのだ。

今小学生に戻って卒業文集に夢を書くとしたら
「春空の下、ベンチに座り君と弁当屋で買った小鉢をつつきながら酒を呑みたい」
と書くであろう。

いや、
「春空に 小鉢をつつく 知った顔 せせらぐ川と スーパードライ」
と57577で短歌を詠むかもしれない。

しかしそれは未来では無い、今なのだ。僕は今君とこの店で肴を買い、安い発泡酒を買ってベンチに座って語り合いたいのだ。

僕は右手で携帯機器を持って君に連絡をしようとして絶望した。呼べない。そう、呼べないのだ。

誰が来てくれるだろう。そもそも何と言う。
「良いベンチがあって、そして良い弁当屋がある。一緒に今から酒を飲み語り合わないかい?」
と誰に言える。

いや、いる。いつも一緒に酒を飲む彼らが。しかし断られたらどうする。そうしたら僕はきっともう誘えないだろう。
誘いを断るには体力がいる。それを考えると僕は後ろ向きになって誘えなくなってしまった。

考えてみたら誘われて行くことが多い。僕から誘ったことなどあっただろうか。いやある。あるがやはり皆んなに事情や予定がありそう上手くはいかなかった。

先輩を誘いたいが呼ぶのは失礼に当たるのではないか。

後輩を誘いたいが店ではなく外で飲むと言ったらしみったれていると思われるのではないか。

では対等な人間は誰かと考えたがそんな奴はいなかった。

僕は家に帰り弁当を食べずにテーブルに置いて布団に入った。
窓の外の洗濯物は強い風に吹かれ今にも飛んでいきそうだったが、僕は目を閉じ何も考えず眠った。

目が覚めたら労働に向かう時間であった。





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