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6か月がたって、振出に戻った! たけしの自立生活

2020年04月19日のブログより]

2019年10月から始まったたけしの自立生活。6か月を過ぎて、奇しくも新型コロナウイルスの猛威が始まったことを理由に、たけしは4月から自宅にいる。なんとまさかの振出しに戻ったたけしの自立生活。
3階に住む前の生活に戻してみて、本人的には毎日、楽しそうに過ごしている。そしてそろそろ1か月。本人は徐々に飽きだし、家族は疲弊感が募る。これもいつものパターンといえばそれまでだが、1か月でもいろいろな事件が起こっている(それはまたの機会に)
本当に厄介な人である。

考えてみれば、本人はなぜ突然たけし文化センター連尺町の3階に住むことになったのか、なぜ家に帰れないのか理解はしていなかったと思う。あの時は親である私も、「どんなことがあっても帰ってこないでガンバってくるのだよ」と結構普通の親子の自立っぽく送り出したつもりだったが、そんなに甘くはなかった。結果的にはたけしが「家」という選択肢を彼なりのやり方で勝ち取ったといった結果になった。
いつもそうだが、たけしは結局事件を起こして周りを動かし(特に母である私なのですが)、自分にとって最上の条件を引き出す。またもやたけしにしてやられた感が否めない。

6か月の生活のなかで、ヘルパーさんやシェアメイトのこうやくん、タカカーンなど皆さんとのかかわりは彼の社会が広がったのだと思う。しかしそれ以上に、こんなにもケアすることが難しい人だということを、私たちに突き付けた。

たけしは日々の規則正しい生活ができない。食事もムラがあり、食べたり食べなかったり。それに伴って睡眠もがたがた。すぐに体調も崩す。それを立て直すすべを本人が持っていない。常に外側からのケアが必要(排泄、食事のタイミング、体調管理、機嫌の管理など)。
こんなにもメンテナンスに労力かかる人だということを改めて確認した次第だ。
そして感情の起伏もなかなか激しい。
いやだと全力で拒否。それがどんなにか理不尽なことであっても。
生活という意味ではほとんど支障をきたす。こちらの疲弊は半端ない。

それを今まで家族が全部支えてきた。
私たちは当たり前だと思ってやってきたのだがそれがどんなに微妙すぎて家族以外に伝えにくいことなのか・・・。

こんなにむずかしい人を多くのヘルパーさんで支えることが本当に可能なのかどうか。この実験でつくづく考えてしまった。それらをクリアして初めてなり立つたけしの自立。これは並大抵ではないことを自覚させられた。

 スタッフの佐藤君が言うように、「一人のあんちゃんとして」生きていくのが今回の目標だった。
それは親が手を出さないということだし、何が起こっても周りの人たちが何とかするということだった。
しかし同時に本当にそれをやったらたけしは死んでしまうだろうということも感じた。
それは親の老婆心かもしれないが、しかし奴はそんなに甘くはない。
こういう言い方はふさわしくないけれど、動物的なのだ。理詰めではどうにもこうにも対応できない。
人と人とのなんていうのか、阿吽の呼吸というのか、感覚的なものが生活のケアに必要なのだ。
そんな微妙なことがわかるには、何よりも準備が必要だったということだろう。
最低限たけしの細かな機微をくみ取るスキルなのか、あるいは皆で話し合うチームみたいなものが必要だった。
そこはことを性急に急ぎ過ぎた私の責任だ。そしてこれはとても難しいこともわかってきた。

 同時に今回は重度訪問介護という制度で自立生活を実験してみたのだが、この制度は今の段階では重度知的障害者を受け入れるようになっていないと感じる。
そもそも入れ代わり立ち代わり替わるヘルパーさんにこんな微妙なスキルを組み立てることはできない。
またそれを支える共有の場や議論の場も用意されていない(たまたまそういう事業所だったのかもしれないが)。
たけしのようなタイプは今の段階ではやはり、大きな施設やケアが充実したところに入るべき人なのだろう。体調管理をばっちりしてくれる入所施設で、みなと同じ生活を繰り返し営み、生活も大きく崩さず、安心(誰が?)して生きていく・・・・。
これしか今の制度では用意されていない。

基本的にはそういう生活をしたくなくて、たけし文化センター連尺町の3階にシェアハウスとゲストハウスを作って、たけしの「自立生活」を実験したのであった・・・。
ほんと振出しに戻った。
しかし、この失敗は次へつながるだろう。
今は新型コロナウイルスのこともあるから身動きできないが、何度でも何度でも私は挑戦するつもりである。
ほんと、しんどいけれど。
いやはや。


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