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たけしの自立5 ~コロナと自立の姿~

2020年7月30日

3月からたけしは自宅に戻っている。
昨年10月から始まった、たけし文化センター連尺町のシェアハウスでの自立生活(常時ヘルパーに支えられながら自立生活を送る)は、新型コロナウイルスや、様々な課題が露出したため、今年3月でとりあえず中止し、仕切り直しとなった。

3月下旬からは、前からお願いしていたヘルパー事業所がまず人材を補強してくれて、その人たちの研修からスタート。自宅にヘルパーさんがやってきて、たけしの食事介助、トイレ介助、外出などから改めて研修から始まった。
その結果、6月には週に3泊、シェアハウスに泊まれるまでになった。

しかし、なんと、7月下旬、とうとう浜松でも新型コロナウイルスのクラスターが出てしまった。
それもたけし文化センター連尺町とシェアハウスのすぐ近くである。
法人としては、運営は継続させながら、できる限りの対策を高じることとなった。
とはいえ、できることは基本的なことしかない。
手洗い、消毒、掃除、健康管理。それらをレベルを上げて徹底するしかない。
たけし文化センター連尺町にある障害福祉施設アルス・ノヴァには、マスクもできない、なんでも触って舐めてしまう利用者さんも多い。
だからと言って自宅待機できるわけでもない。(自宅にいると家族が疲弊してしまう)

そうした中で3階の利用をどうしたらいいのか。
コロナは怖い。
てんかんもあるたけしが感染して重篤化したら無事だとは思えない。
しかし、なんでも舐める、口に入れる、自分で手も洗わない、マスクもできないのがたけし。
家で頑張って待機するべきか・・・。
イヤイヤ、それでは私が参ってしまう。
彼が自宅で過ごせるのだったらそもそも自立生活なんて考えなかっただろう。
ヘルパーさんに自宅に来てもらおうか・・・・。

いや待てよ・・・!
何のために自立生活を始めたんだっけ?
ほとほと、彼の人生を親である私が決めることに大きな不安を感じた。
いつまでも私が彼の人生の「請負人」みたいなことをしたくないと始めたのだから、ここは私の判断で決めるのはおかしい。
このコロナの状況とは言え、私が自立生活を続けるのか否か、どうするか、決めるべきではないのではないか。

しかし、一方で、母親である私が管理するより、ヘルパーさんたちが入れ代わり立ち代わり管理するということは感染リスクは高まるということだ。
命の危険にさらされる確率が変わってくる。
ウ~ん。なんとも悩ましい。

しかし、もうたけしの自立生活は始まったのである。
「久保田さんところのたけし君」ではなく、普通の「あんちゃん」として生きていく生き方を選択したのだ。
いろいろな人に支えられて生きていくのだ。
それによって、もし、コロナに感染したとしても、それは、たけしの人生だと思うしかないのだ。
24歳の青年の人生。
普通のあんちゃんの。

明日たけしの支援会議が行われる。
この状況をどう乗り越えていくのか、皆さんで話し合っていただく。
「お母さんはどうしたいのですか」とまず聞かれる状況から、「こうした方針で行きたいがどうですか」と聞かれるのはずいぶんと違う。

3月に自立生活を中止した時、はっきり言って、親である私が、口出しした。
あの状況では仕方がなかったと思っている。
しかし、一抹の後悔というかなんというか。
「また手を出してしまった」みたいな。
だから、2度と手出ししたくはないのである!

人様にゆだねるというのは本当に命がけなんだなあとつくづく思う。
親が何かをしてあげるよりも手出ししないほうが数倍も大変だ思う。
そして、あとは、たけしの運にかけるしかない。

たけしは重度知的障害者ではあるが、自分で人生を切り開いていける人だと思っている。
今まで、私が彼に動かされてきたのだから。
それは私や家族の人生をかけて行ってきたところが大いにある。
そしてそれは、彼がそうさせたように思う。
大した人だよ。君は。

こうして、彼の生きるスキルは磨かれていくのだろうと思う。

がんばれ!たけし。
当分、すったもんだはあるだろうけれど、君は、自分の力で生きていける!


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