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『作者のひみつ(仮)』4章

4章 《仲介者》はいかに作者イメージを広めるか? 1 肖像写真

 作者のイメージと顔
 わたしたち読者は作者をイメージする時に何を手がかりにするでしょうか。作品の内容や彼らの思想といった抽象的なものよりも、一番わかりやすいのは、作者を描いた肖像画や肖像写真ではないでしょうか。そして、作者がどのような外見をしているか、作者はどういう顔なのか、ということと作品とは関係が無さそうですが、実際は多くの受容者は外見・顔と作者をつい結びつけてしまう習慣を持つようになっています。
 第一章で紹介した渡辺裕『聴衆の誕生』には、この作者と肖像画の関係について述べているところがあります(1)。

聴衆の誕生ベートーヴェン

 ベートーヴェン(一七七〇~一八二七)の生前に描かれた肖像画を三つ紹介して、「べートーヴェンという人の顔はずいぶんいろんな面をもっていた」ように思われるものの、現在にいたるまでベートーヴェンの顔として流通しているのは①のシュティーラーが描いた肖像画である、ということを指摘しています。①が流通したのは「力強いベートーヴェン」「過酷な運命に立ち向かった意志の人」に仕立て上げられ、伝説化された偉人としてのベートーヴェンのイメージを伝えるのに②や③よりも都合が良かったからだというのです。

 肖像写真が作る二種の関係性
 同様のことはもっと後の時代の日本文学の作者にも起こっており、たとえば、日本近代文学の研究者である紅野謙介は『書物の近代 メディアの文学史』(1)の「第五章 侵入する肖像写真」で作者の肖像とイメージの関係についていくつかの例をあげています。まず日本で「一八九〇年(明治23年)に実用化された写真印刷」によって書物(本・雑誌)に作者の肖像写真が掲載されることが、引き起こした変化、印刷された写真が生む新たな人間〈関係〉について次のように述べています。

 一八九五年(明治28年)にいっせいに創刊された『文芸倶楽部』『太陽』『少年世界』といった雑誌はいずれも口絵写真にこだわった。雑誌と写真の結びつきが以後、他誌にも及んで強化されていくのである。これらの雑誌を創刊したのは博文館であり、その背景には日清戦争における報道記録の旬刊雑誌『日清戦争実記』(明27~29)の大成功があった。その第一編を見るならば、「小川一真写真彫刻銅版及び印刷」として有栖川宮陸軍大将、樺山資紀軍令部長らの肖像写真、そして朝鮮国君臣のそれが掲げられている。第六編になると「大日本国皇帝陛下」をはじめとする各国皇帝の写真が掲げられるなど、毎号、数葉の写真が挿入されていた。(略)国家と軍隊の指導者が「臣民」としての人々の上に君臨する顔のイメージとなって表象されるようになっていくのである。
 もちろん肖像写真は仰ぎみる視線とともに、欲望のむかう方向に被写体を選び取る。先にふれたような芸妓たちの肖像写真が『文芸倶楽部』の誌面を飾りはじめるのである。博文館という出版社のイデオロギーがそこに端的に現れていよう。ところで、この『文芸倶楽部』一八九五年(明28)十二月の臨時増刊号「閨秀小説」特集に集められた女性作家たちの肖像写真がそろって掲げられていた。『十三夜』を寄せた一葉や、若松賤子(わかまつしずこ)、田沢稲舟(たざわいなふね)、小金井喜美子(こがねいきみこ)らの写真がそこには並べられている。(略)文学者の肖像写真はまず女性作家に対する関心から立ち現れた。「顔」を眺める対象として、男性読者の、あるいは男性のまなざしを先取りした女性読者の好奇の視線の下にさらされることを目的として登場したのである。同じ雑誌に掲載された「閨秀」作家と芸妓の組み合わせこそ、写真史の一ページを飾るべき事件だと言えよう。

 産業資本主義の社会では、作品だけではなく、様々な肖像写真もまた大量に印刷され、大量に流通し、大量に消費されます。肖像写真が印刷される人々、それは社会的に知られ注目される、たとえば王様や皇帝・芸者(アイドル)・作者のような特別な立場・能力を持つ者に限られます。本や雑誌の読者は、写真によって自分の会ったことのない人と《会う》ことができます。そこで生まれるのは次のような二つの関係性です。
 まず、「仰ぎみる視線」を向けられる、他の人々と違う特別な位置にいると思われ、畏敬や崇拝といった遠さを写真を見る人に感じさせます。一方で、顔を知られている、まるで本人を知っているかのように思われ、憧れや模倣、つまり「欲望」の対象としての近さを感じさせます。前者については、第一章で紹介した『メディア都市パリ』で語られていた「天才」「栄光」という言葉で彩られ、個性的な存在というイメージを思い出してもらえばいいと思います。後者については、作者に限らない、現代であればテレビに出ている有名人・タレントのことを思い出してもらえばいいでしょう。
 そのような二つの関係性を読者との間に結ぶ作者の肖像写真は、新聞・雑誌だけではなく小説や随筆の単行本に掲載され、作者と作品の関係をより緊密にしていきます。

 〈仲介者〉に利用される顔
 同じく日本近代文学の研究者である石原千秋は、『読むための理論』(2)という本の「作者」という項目で、更に作者の顔と作品の一致・不一致について取り上げています。読者は作品を読んでイメージを持ち、それを作者の顔と比較して納得したり・意外に思ったりする訳です。例として、本に作者の顔写真が付されにくい作者の例として梶井基次郎をあげ、逆に本に積極的に作者の顔写真が付される作者の例として小川国夫をあげています。『読むための理論」が発行された当時と違って、現在は文庫本等に作者の肖像写真が掲載されること多くなっており、梶井基次郎の顔は多くの読者の目にふれるようになっています。また、更に作者の写真がテクストから読者が受けるイメージに合わせて改変された中原中也の例も紹介されています。
 もっとも、既に亡くなっている作者は著者紹介に顔写真が載っていることか多いですが、現在存命の作者は顔写真が載っているとは限りません。おそらく作者の意向か、編集者の意向かはわからないものの、写真を載せないことで作者のイメージをコントロールしようという考えは現在も続いていると思われます。
 『書物の近代』では、作者の顔が持つ力として、編集者が本に載せる肖像写真に指示を出した井伏鱒二の例をあげています。井伏鱒二が新人作家だった頃、『夜ふけと梅の花』という最初の単行本を新潮社から出版する際に、扉に掲載する作者の写真について編集者が「砕けた感じが出るようにして下さい。欲をいえば、芥川さんのように頬杖をつくとか何とかして、抒情的にした方が宜しいですね。」と言ってきたというのです。実際に『夜ふけと梅の花』に使われている写真は頬杖はついていないものの、確かに手の位置に工夫があるように見えます。「抒情的」になっているかどうかは、ぜひ『書物の近代』に掲載されている写真で確かめてみてください。よりよく売るために、編集者(仲介者)によって顔写真を演出されてしまう作者。井伏鱒二は滑稽なエピソードとして紹介しており、実際本当に写真の効果で売れるかどうかはわからない訳です。

 一人歩きする写真たち
 そんな作者や編集者の意向とは無関係に写真が一人歩きして作者のイメージを増殖させるようになります。その際、写真が撮影された状況は無視され、作品のイメージに沿った形でその作者らしい姿が切り出されます。
 たとえば、夏目漱石や芥川龍之介の肖像写真がそのいい例です。どちらの写真も国語の教科書や文庫本で見慣れたものですが、彼らに対して現代の読者が抱いている「真面目」とか「暗い」とか「深刻」とかいったイメージに合ったものと言っていいでしょう。しかし、以前千円札にも使われていた夏目漱石の写真は、明治天皇の大喪の礼に際しての記念写真として友人たちと撮影されたものです(3)。

 また、芥川龍之介のものは新潮社や文藝春秋といった出版社のために撮影されてものだったり、改造社の『現代日本文学全集』、いわゆる円本の宣伝のための映画「現代日本文学巡礼」(久米正雄監督、一九二七年)から切り出されたものだったりするのです(4)。

 「現代日本文学巡礼」では芥川龍之介が自宅の庭で子供たちと一緒に過している映像や、木登りをして屋根に移る映像までが撮されています。これを講義で学生に見せると、衝撃を受けたという感想を書いてくる学生が毎年いました。作品を売らなければならない作者の立場という、産業資本主義社会の作者のあり方を確認する材料としてはとてもわかりやすいものです。
 しかし、読者はそのような文脈を無視して、切り出された写真を見て、いかにもその作者らしい写真として受け入れて、憧れたり親しみを感じたりする訳です。たとえば、二人のポーズを真似したスナップを残した旧制中学の生徒がいました(冒頭にあげている写真です)。おそらく芥川龍之介を真似したポーズで顎に当てた手が左右逆だったりして微妙に間違っているのがご愛敬ですが、彼は津島修治君、つまり後の太宰治です(5)。

 太宰治は芥川龍之介の方法を借りた小説を書いたり、影響が強いことはよく知られているのですが、まだ太宰治になる前にもポーズを真似するくらいに憧れていたようです。
 作品を売るために様々に取り組む作者、その姿を見ていた世代はより戦略的に自身を演出するようにふるまうようになります。次章では太宰治を例としてその戦略について見ていくことにします。


(1) ちくま学芸文庫、一九九九年(単行本は筑摩書房、一九九二年)。
(2) 世織書房、一九九二年。
(3) 千円札の画像は日本銀行のサイトの「千円券」のページによる。https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/valid/past_issue/pbn_1000.htm/
『新潮日本文学アルバム 夏目漱石』(一九八三年)による。
(4) 『新潮日本文学アルバム 芥川龍之介』(一九八三年)、『同 昭和文学アルバム1』(一九八六年)による。
(5) 『新潮日本文学アルバム 太宰治』(一九八三年)による。

*もっと画像が入るはずがどうやらできないようでもの足りない感じになってます。

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