大江健三郎の小説をささえているもの

1995年に出版した座談会本『大江健三郎とは誰か』(三一書房)に収録した大江健三郎の入門的な文章。本自体が新刊では手に入りにくくなっているので(Amazonのマーケットプレイスでは1円とか10円で売ってますが)、自分の担当した文章だけ、文章のわかりにくいところを修正してここに載せます。

本来はルビと傍点があるのがぬけてしまっていますが、その点はnoteの今後に期待、と。

もう一つ同じ本に「大江健三郎ベストテン」というのがあるので、そちらも後で載せます。


 大江健三郎の小説を読みかつ語る上でのキーワードとして、ここでは怒りと無力感の二つをあげて話を進めていく。無力感というのは、例えば「われらの時代」に代表される無気力な(?)若者たちを描いた小説を連想させるので、大江健三郎と結びつけやすい言葉である。それに比べると大江健三郎と怒りというのは、(特にノーベル賞や大江光のCDに関する報道の中に出てくるにこやかな顔をした大江健三郎を見た後では)なかなか結びつかないかもしれない。しかし、例えば「さかさまに立つ「雨の木」」の次の箇所ではあらわに(またはあらわすぎるほどに)怒りについて語っている。


泳いでいる腹のうちに湧きおこってくる、単純だが強いもの、それはどうにもやりばのない忿怒だ。それはこの夜明けまで繰り返された、夢に驚いての目ざめに短く区切られるが、連続した恐ろしい夢、徹底した無力感に似た眠りと、それがかさなるにつれて疲労のようにしみついた怒りだ。そのうち口のなかが塩水の味より、鉄の匂いのようなものにみたされてくる。それは怒り自体の匂いだ。僕はただ泳ぐ。海水になかば隠れるようにして(ずっと潜りつづけていることができれば、さらにいいだろうが)、鱶に追われているとでもいう具合に泳ぐ。そのようにして感じ、しかし感じるだけのものでしかない怒り。
(中略)この無力感の灰に覆われた埋れ火のような盆怒は、自分の根幹の生に永くかかってセットされたものだ。僕はそれを表現するためにこそ小説を書いてきたのかもしれぬのだが、現にこの経験を小説に書くことがあっても、いま身内に湧く怒りについては、それをよく表現しつくしえないだろう。


 引用後半の「それを表現するために……」といった記述はここでの文脈に都合が良すぎるので、小説の中の小説家〈僕〉の言葉として棚上げにしておく。名状しがたい「忿怒」にかられて泳ぎ続けている一方で、彼は自分が「無力感」から抜け出せないでいること、またこれからも抜け出すことができないであろうことも感じている。自分を拒絶する世界から「隠れ」ることを望みながら、しかしそれがかなえられないままに行なっている小説を書く仕事も、結局は自分の「怒り」を十分に伝え得るものでは無いのである。そして、この怒りと無力感は時間的な順序があったり、どちらかが原因でどちちかが結果となるようなものではなく、裏表の関係として同時に立ち現れるものである。
 あらためて大江健三郎の小説を読み直すと、この〈僕〉と同様の「忿怒」にとらわれて、自分で自分を制御することができないままに身体を動かしてしまっている人間の姿を、繰り返し見出すことができる。例えば「スパルタ教育」の〈若いカメラマン〉は、彼と彼の家族を脅迫しているはずの「原日本教」の本部へと単身乗りこんでいく。


しかし、一瞬あと、若いカメラマンは追いつめられた幼い獣のように絶望的な憤激の叫び声をあげると、満水のプールヘダイヴィングする勢いで、しもた屋の暗い土間へ駈けこんでいったのである。まさに徒手空拳で、なにをしようという確たるプログラムもなく……
 土間の薄暗いひろがりは曠野のようで、かれは無人の曠野を駈ける孤独な馬だった。もし土間がすぐ向うに裏の出口をひらいていたなら、このウィスキーの酔いに猛だけしい孤独な馬は、もの凄いスピードで原日本教を駈けぬけるつむじ風と化しただろう。


 後半の記述からこの場面(またはこの小説全体)が喜劇として書かれていることがわかるのだが、実は〈かれ〉を脅迫していたのは「原日本教」ではなく、ここでの〈かれ〉の行為は無意味かつ滑稽なものでしかない。ところが、この結果〈若いカメラマン〉は自分を「負け犬の極北」の位置から引っ張りあげることができている。この「殴りこみ」の場面は「個人的な体験」で〈鳥〉が赤んぼうを堕胎医のもとから取り戻すべく、菊比古のバーを飛び出していく場面と重ねることができる。そこで〈鳥〉は「なにかじつに堅固で巨大なもの」を「体の奥底」に感じ、唐突に子供に手術を受けさせることを決断する。彼につきそってきた火見子はその「無意味」さを〈鳥〉に訴えかけるが、「自分自身にこだわりはじめた」〈鳥〉は聞く耳を持たない。
 「スパルタ教育」の「若いカメラマン」もそれまで脅迫におびやかされていたのが、はたから見れば「無鉄砲な空騒ぎ」でしかない「殴りこみ」の後、「負け犬の極北」から抜け出している。つまり、一年半前に発表されていた「スパルタ教育」によって「個人的な体験」のクライマックスは既に用意されていたのであり、この共通性から見れば〈鳥〉の子供の瘤が致命的なものではなかったという、従来問題になってきた結末のどんでん返しは大きな意味を持たない。読み取らねばならないのは彼ちを駆り立てた、何ものか(世界? 自分自身?)に対する怒りなのである。
 このように大江健三郎の小説には、「徒手空拳」のまま「なにをしようという確たるプログラムもなく」「孤独」に、それまでは考えてもいなかった行為に飛びこんでいく人間が何度も出てくる。この行動の唐突さ、理由のつかなさが大江健三郎の小説をわかりにくくしている原因の一つなのかもしれない(もちろん、それ以上に言葉自体の過剰さが大きく関わっているはずだが)。ただ、その突然の行動はそこまでの小説の記述によって準備されているはずであり、怒りと無力感によってその人間がどのように追いつめられていくのかという点が、大江健三郎の小説を読む上でのポイントになる。
 「われらの時代」「遅れてきた青年」「叫び声」などの一九六〇年代までの小説では、自分が自分であることを求め、本当の自分を作り出そうとする青年が繰り返し出てきていた。その中では、本当の自分を見つけることの困難さ(それは元々不可能なことなのだろう)が、彼らを苛立たせ、不安にさせ、最後には反社会的と見なされるような行動に踏みこませてしまう。「個人的な体験」が評価されたのは、それらと比べて最後の選択が反社会的ではなかったことにもよるのだろうが(三島由紀夫は逆にそれが不満だった)、小説の構成から見れば大きな違いは無いのである。
 これに対して、七〇年代・八〇年代の小説の中心をなす人間が青年ではなく、中年・初老の時期に入っている小説では、そういった苛立ちや不安は影をひそめたように見えるかもしれない。しかし、はじめに引用した「さかさまに立つ「雨の木」」の〈僕〉は既に中年になった男であり、中年男として成熟に向っていてもおかしくないのに(人間はそんなに簡単に「成熟」できたりはしないものだろうが)、昔と変わらない自分の無力さ加減を思い知ったからこそ、かえって強く「忿怒」に駆られて泳ぎ続けているのである。「懐かしい年への手紙」の〈ギー兄さん〉は、そのような一見穏やかに見える中年・初老期の人間を駆り立てる怒りを体現した人間である。


 若いときも、ある悲嘆の感情を持ったけれど、それは荒あらしかった。この観察にはまったく賛成。(中略)
 さて、つづいてきみのいう、年をとってきて、気がついてみると、非常に静かな悲嘆ともいうものになってきている。その考えにも、いうならば段階的・過程的に賛成なのだ。(中略)ところが、きみより五歳年長の自分は、次の一節に、決して賛成するわけにはまいらぬ。これからも年をとるにつれて、(非常に静かな悲嘆ともいうものとしての)この感情は深まってゆくのではないかと思います。
 年をとる、そして突然ある逆行が起る。非常に荒あらしい悲嘆というものが自分を待ちかまえているかも知れぬと、Kちゃんよ、君は思うことがないか?


 この「荒あらしい悲嘆」は、『神曲』の「地獄大七曲」「沼のなかで泥まみれになって怒っている者のイメージ」に結びつき、小説の後の方の黒い水の奔流の夢へとつながっていく。この「悲嘆」の無力感と結びつけるのは強引すぎるかもしれないが、〈ギー兄さん〉がとらえられているのが、ただ「荒あらしい」ものだけでは無いことは確かである。

 怒りと無力感。大江健三郎の小説が持っている妙にアンバランスな印象は、普通は結びつけられることの無い、この二つのものが共存しているところからもたらされている。それにしても《ノーベル賞作家》になってしまった大江健三郎は、今後この怒りと無力感をどのように表現していくのだろう。もちろん何かの賞を取ったからといって、人間が世界の中で持たされている無力さが払拭されてしまうということは無いし、当然そこからもたらされる怒りも絶えるはずは無いのだが。

 引用は左記による
 『「雨の木」を聴く女たち』(新潮社、一九八二年)
 『空の怪物アグイー』(新潮文庫、一九七二年)
 『懐かしい年への手紙』(講談社、一九八七年)

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