妹アサについて (大江健三郎ノート)

 さて、ずいぶん間が空いてしまいましたが、予告通り今回は無名の実在人物をモデルにした大江健三郎の登場人物についてです。あまり大江健三郎の小説を読んでいない人にとっては、「アサって誰?」という感じかもしれません。


 1994年に大江健三郎はノーベル賞を受賞しましたが、その際には本人だけではなく家族までもが注目されました。特にその作曲した音楽と共に長男大江光が繰り返し父親と共にマスメディアに登場していました。 とはいえ、それ以前から彼は父親の書く小説の登場人物のモデルとして、大江健三郎の読者の間ではよく知られた存在でした。

 遡れば、「空の怪物アグイー」「個人的な体験」(1964)年や「万延元年のフットボール」(1967年)の脳に先天的な障害を持って生まれてきた赤んぼうに始まり、「父よ、あなたへどこへ行くのか」(1968年)で〈イーヨー〉という呼び名を初めて与えられて以来、小説家とその長男の組み合わせは繰り返し大江健三郎の小説に登場してきました。

 もちろん、彼だけではなく登場人物である小説家の生活が描かれる中で、彼の妻・母・父(故人)・妹・弟・長女・次男なども小説に登場してきます。そして、その家族構成は年譜で語られる大江健三郎自身の家族構成と重なるものです(たとえば、一條孝夫『大江健三郎 その文学世界と背景』(和泉書院、1997年)掲載の年譜には「愛媛県喜多郡大瀬村(現在、内子町大瀬)に父好太郎、母小石の三男として生れる。長女一子、長男昭太郎、次男清信、次女重子、三女冨佐子、四男征四郎の七人兄弟の五番目」という記述があります)。

 大江健三郎の小説は〈燃え上がる緑の木〉三部作以降の執筆中断期間を経て登場人物の氏名などを組み直して再開します。たとえば、小説家の長男は〈イーヨー〉という渾名や本名と同じ〈光〉〈ヒカリ〉で呼ばれていたのが、「取り替え子」(2000年)から現在まで〈アカリ〉という名前を与えられています。それは他の登場人物も同様です。

 小説家のOまたはKちゃん → 長江古義人

 小説家の妻オユーサン → 千樫

 小説家の長女マアちゃん・オックンちゃん → 真木

 小説家の次男サクちゃん・桜麻 → 登場せず

 家族以外でも、大学時代の恩師W先生が六隅先生、作曲家のTさんが篁さんと呼び名が変わっています。 もっともこういう言い方は実はおかしくて、一つ一つの小説の完結性を考慮すれば、別の小説に出て来る登場人物はたとえ名前が同じでも別の人物だと考えるべきですし(シリーズもののキャラクターはひとまず別として)、別の小説で、さらに名前まで違えば完全に別人物と考えた方がいいでしょう。この二つを結びつけるのは実在の人物をモデルとしているという前提があるからです。
 このような仕切り直しを挟みながら、同じ名前と同じ役割を引き継いでいる登場人物が一人だけいます。それが小説家の妹、彼の出身の谷間の村に住み続けているアサという女性です。

 アサという妹が初登場したのは1987年発表の長篇「懐かしい年への手紙」です。ただ、小説家の妹自体はそれ以前から登場しています。「「罪のゆるし」のあお草」(1984年)で、まず東京で生きる語り手の小説家と故郷に住む母親との仲介役として登場し、「四万年前のタチアオイ」(1985年)には「森のなかの谷間で小学校の教頭の妻として元気に暮してる妹」(『河馬に噛まれる』p143)というように夫についての言及もなされます。そして、やはり故郷との仲介の役割を担う「M/Tと森のフシギの物語」(1986年)では〈フサコ〉という名で母親から呼ばれています(この名前は先程紹介した大江健三郎自身の妹と同じ音の名前です)。
 そこまではあくまでも小説家と故郷の家族とのパイプ役にすぎなかった妹は、「懐かしい年への手紙」で後々まで採用される〈アサ〉という名を与えられ、また彼女自身の生活・背景も描かれるようになり、故郷の事情に疎く時に無神経な行動・言動をする小説家を批判しつつも、彼を気遣い手助けしていくことになります。
 既に「「罪のゆるし」のあお草」でも「妹は子供の頃、僕が陽気になりすぎる時示した、沈着な翳りのある話しぶりでつづけていた」(『いかに木を殺すか』p278)という記述があり、彼女が兄に対して批判的なスタンスを持っていることは語られていましたが、さらに「懐かしい年への手紙」では少女時代から以下のように兄をたしなめていました。


 ―あの話が本当なら、幾代か後にはなあ、僕らの子孫の頭蓋骨は、きっとピグミー程度だよ。昔この森のなかの土地には百歳以上も生きて巨人化した人がいたというから、それがアフリカでやはり森の棲むのらしいピグミーの骨格同様になるまでの、小さくなって行くいちいちの人間の連鎖の、そのひとつの環であるわけだね、僕たちは……

 ―Kちゃん、それは寂しいよ、といいながら妹は、墨色のゼラチンで作った魚を一尾ずつ眼にはりつけたような、寒イボのたった顔を僕に向けて反抗的に振りたてた……

(『懐かしい年への手紙』(p223)


 「懐かしい年への手紙」は、まず東京で小説家として暮らしている語り手のところに妹が電話をしてくるところから始まります。その電話に促されて小説家は故郷の谷間の村へ家族と共に出かけていき、彼に長い間影響を与え続けてきた旧友ギー兄さんと再会する。その後も(小説中の時間軸ではそれ以前からも)、谷間でのギー兄さんの回りに起こるできごとを伝える役割を彼女は担っています。

 アサは生まれた谷間の村を出ることなく、看護師としての仕事を持ち、また後に谷間の村の中学校長になる男性と結婚しています(上で書いたように「アサ」という名前が付く前は小学校勤務の設定だったりもしますが)。村で暮らしながら、村の元々の産業で生活の糧を得ているわけではない、中間的な存在として妹夫婦は造型されているわけです。アサと退職した元中学校長の活躍は最新の小説「晩年様式集」(2013年)まで継続しています。彼らの存在無しには、大江健三郎の最近30年間の小説世界の多くは成り立たなかったと言えるでしょう。

 大江健三郎が、自身を連想させる小説家とその家族を登場させ、また東京での生活と故郷の村と関連させた小説を書くようになるのは、そういういわばキャラクター・システムという設定を利用することで小説世界の構築を容易にするためだったと考えられます。ある程度固定化された土台を用意して、どのような新たな登場人物・奇妙な設定も可能にする、小説に自在さをもたらすものとして、捉えることができます。妹アサもそのような方法の一環なのでしょう。

 この自在さは、同時期の他の小説家、たとえば後藤明生や阿部昭の方法と関連づけることも可能ではないか、と考えています。それについては、また別に書くかもしれません。

追記:後藤明生や阿部昭の小説との関係については、『昭和文学研究』68(2014年)に掲載された「一九八〇年代の大江健三郎による自身の小説の再利用・再生の方法」で論じました。

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