見出し画像

Vol.148 『オーセンティックな算数の学び』

 今月コツコツ読み進めていた本を今読み終えました。この本、おもしろかったです。

 最近の自分は、算数の授業を「知識・技能の習得」に偏って指導してしまっていました。

  • 筆算ができるようにならないといけない

  • この計算をもっと速く解けるようにならせないといけない

といったようなところばかりを目指してしまい、計算ドリルを使って何度も練習すること、テストに向けてたくさんのプリントの問題を解くことに時間をとってきました。どこか「算数の学び」や「おもしろさ」といったところは後回しにしていた気がします。

 この本を読んでいると、まず単純に授業が「楽しそう」でした。きっと学ぶってこういうことなんだろうなと思いました。暗記する、練習する、解けるといったところももちろん大切ですが、考える、つくる、つなげる、やり直す、などの試行錯誤の過程がおもしろいんだと思います。

 そうした学びには「余白」も大切だろうなと思いました。「余白」という表現がいいのかはわかりませんが、なんでも綺麗に整理して提供しないということです。どの教科でも教師が効率的に進めようとするといろいろなものを削ぎ落として綺麗な形で提供してしまいます。そのときに複雑さの中にある「おもしろさ」まで落としてしまいます。

 きっと効率化したい部分って一人ひとりが問題を把握するところなんですよね。ここに時間をかけてしまうと本題に入りにくくなりますし。これは、総合的な学習の時間でよく起こります。

  • いつからいつまでの間に仕上げることが前提になっているのか?

  • 効果が長続きすることの効果って一体どういった効果のことをいうのか?

  • だれに対して、どこを目指してやるのか?

といった共通理解に時間をかけてしまうときがあります。時間をかけないといけないときもあるのですが、なにかを「決める」過程で、共通理解だけで導入として授業の半分を使ってしまい、「さぁ話し合いましょうか」となったときには残り10分ちょっとしかないといった感じです。

 ですが、そのあたりも単元を通して並行して考えつづけていると総合的な学習の時間の場合は納得の上で進めることができます。だから、結局は長い時間かけてじわじわ「こうじゃないか」を見つけるような過程を大切にするとおもしろくなるのだと思います。その「じわじわ」見つける余白や思考の余裕を残しておかないとおもしろさを削ぎ落としてしまいますね。

 算数はなんとか1時間の中で問題把握から「できる」といったところまでをクリアさせようとしすぎていたなと思いました。まずは教師側の教材研究があまいのでもっとします。その上で、なにを残すのか、新しくつくるのかを考えてみようと思います。

#今年のベスト本

この記事が参加している募集

算数がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?