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第1回 渡邉院長が、長崎県・長与町で“街の歯医者さん”になった理由

突然ですが、みなさん、歯医者選びで大切にされていることはありますか?

「虫歯を治療してくれればどこでもいい」と考える方、多いのではないでしょうか。でももし「虫歯を削って銀歯をかぶせるだけが虫歯の治療ではない」と教えてくれる歯医者さんがあるとしたら、そんなクリニックを選んでみたくなりませんか? そしていまある自分の歯を大切にしてくれる歯医者さんがいたら、素敵だとおもいませんか?

ご挨拶が遅れました。私、長崎県・西彼杵郡・長与町にある「渡辺歯科医院」で受付を担当している出田(いでた)と申します。このnoteでは、院長である渡邉 威文(わたなべ たけふみ)先生の治療への考え方など、当院の魅力をもっとみなさんに知っていただきたいという想いで、スタートすることにしました。

私は、威文 院長のお父さんが歯科クリニックを営んでいるころから勤務していまして、渡辺歯科医院歴は約18年!いわゆるベテランなのですが、実は、威文院長のことは、あまりよくわかっていないんです。

ですから、みなさんと同じ目線で先生に疑問をぶつけていきたいと思いますので、最後までお付き合いくださいね。初回の今回は、渡邉院長がここ長与町で院長になるまでのお話をお届けします。

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憧れた、父の背中。かっこいい歯医者さんになりたい!

ーー 今日は、渡邉先生が歯科医を目指したきっかけや、若手時代のエピソードなどを掘り下げていきますので、よろしくお願いします。まずは、先生が歯科医師を目指したきっかけについて教えてください。

歯医者になることを考えはじめたのは、大学受験のときです。でも、受験勉強を始めた頃の目標は「東京大学に行きたい!」だったんですよ。

ーー かなり具体的だったんですね。東大でやりたい勉強があったのですか?

当時の夢が、大手スポーツメーカーに就職することでした。いま振り返ると単純でちょっと恥ずかしいのですが、「東京に行けば憧れのスポーツメーカーに就職できるはず」。そして東大卒であれば、より可能性は高まるだろうという理屈で、東大を目指していました(笑)。

子どもの頃からサッカーに夢中で、大人になったらサッカー関係の仕事に就きたいと考えていたんですよね。テレビ番組でスパイクを作る仕事があることを知り「これだ!」と思いました。

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大学で人間工学を学んで、一流アスリートに気に入られるようなスパイク作りができたら素敵だろうなと夢見ていたんです。

ーー 筋金入りのサッカー少年だったんですね!でも選手ではなく、スポーツメーカーで商品開発に携わりたいと考えるあたりに、渡邉先生の性格が出ていますね。ちなみに受験の結果はどうだったんですか?

いいところまでいったんですよ?でも、不合格でした(笑)。自分の実力と適性を痛感しましたね。気持ちを切り替えて、後期受験で九州大学・歯学部を受験しました。

ーー とつぜん歯学部!なぜですか!?

自分の「夢や憧れ」について深掘りしていったら、スポーツメーカーの次にポッと頭に浮かんだのが、幼い頃から見てきた父の背中だったんです。父はここ長崎県・長与町で開業医として長らく歯科医院を営んでいました。

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自宅の近所に診療所があったので、子どもの僕はしょっちゅう遊びに行っていたんですよ。小さい頃から歯医者さんが身近な存在だったため、歯医者への恐怖心や苦手意識はゼロ。

むしろ、歯医者さんって「かっこいい!」と思っていました。自分にとって、サッカーの次に馴染み深い存在だったのだと思います。父のように歯医者の道に進もう。自然とそう思えたんですよね。

ーー 憧れの存在がお父様というのは素敵ですね。大学卒業後すぐに、長与に戻られたんですか?

実は当時の私は、地元に戻ることは全く想定していませんでした。大学卒業後は、山口県・萩市という街にある歯科医院で勤務医として働きはじめました。ただ、そこで大きな壁にぶつかったんです……。

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萩市は土地柄、高齢の方が多いのですが、すでに歯がボロボロの状態で来院する方が多く、そんな患者さんへの治療が「歯を削って詰め物をする」だけ……。そして「悪化したらさらに削る」。どんどん自分の歯を失っていくのだけなのに、治療方法は「削る」「被せる」がほとんどでした。

「本当にこれで合っているのかな?」「これは医療といえるのだろうか?」と悶々と悩みを抱える日々が、2年ほど続きました。

抜け出すキッカケを与えてくれたのは、当時付き合っていた彼女。今の妻です。彼女は当時、福岡県にある歯科医院で受付をしていたのですが、「”削る” ”被せる”だけが医療といえるのだろうか」という悩みを打ち明けたところ、彼女が勤めているクリニックの院長に相談してくれました。

後日、その院長にお会いすることができて、その時に「僕らは患者さんの人生を変える仕事をしているんです」という言葉を投げかけてくださったんです。それまで私は、自分の治療が患者さんの人生を左右するものだなんて、イメージできていなかったので、衝撃でしたね。

さらに、その院長先生はFCDC(Fukuoka  Clinicai Dental Course)という勉強会で講師もつとめていて、その勉強会にも通うことにしたんです。

たどりついたのは、人生を変える“予防治療”

ーー 勉強会に参加されてどうでしたか?

勉強会では、2度目の衝撃を味わうことになります。症例や治療の経過について学んでいくのですが、スライドで紹介されている患者さんが、治療前と後では、まるで別人のように変化しているんです。

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暗い表情をしていた人が、治療後には満面の笑顔になっている。歯だけじゃなく表情まで変わっていて、「本当に同じ歯科医師がやっている仕事なのだろうか」と驚きました。

加えて、削って詰める対処的な治療ではなく、丁寧な診察を経て適切な治療を行うことが、患者さんの人生を変えるんだと。腹落ちした瞬間でもありました。

ーー 目指すべき治療方針、渡邉先生のスタイルが明確になっていく学びは、充実していそうですね?

勉強会に参加するために、当時は、山口県から福岡県まで通っていたのですが、楽しくて仕方なかったですね(笑)。歯に焦点を絞った学びだけでなく、さらに視野を広げ、顔や骨格を含めた“咬み合わせ”に着目して教えていただけたのも興味深かったです。

たとえば、骨格に合わない咬み合わせのままでいると、歯に負担がかかるだけでなく、虫歯を繰り返す原因にもなるんです。歯が痛くて来院した患者さんに、虫歯を削る処置をする。これは簡単です。しかし、咬み合わせが原因で虫歯を起こしていた場合、時間が経てばまた歯は傷んでいきます。せっかく歯科医師を頼ってくれたのに、改善はおろか、悪化の一途をたどる中で、対処することしかできない……。

ーー 咬み合わせが、そんなに大切なものだったとは知らなかったです。

虫歯は自分でも見つけられますが、咬み合わせがどうなっているかなんて、プロに指摘されなければわからないですよね。FCDCを主催している先生の言葉を借りると「『木を見て森見ず』ではだめ。森だけもいけない。僕らの仕事は『木を見て、森も見る』なんだ」と。

つまり、一本の虫歯を治すためには、咬み合わせや骨格といった「全体を把握する必要がある」ということなんです。

そして、地元である長崎県の長与に戻るのを決めたのは、ちょうど歯科医師として目指すスタイルが確立したタイミングでした。

ーー お父様の医院を受け継ぐ形になるわけですよね。当初は地元を出て働くことを希望されていたと仰っていましたが、何か心境の変化があったのですか?

目指す歯科医としての軸が定まり、起業を考え始めていた頃ではあって、ちょうど父も高齢で、体力的にも「患者さんに全身全霊で向き合う」という治療方針を貫くことが難しくなっていました。

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一般的に、歯科業界では親子継承はうまくいかないものと考えられているんです。異なる方針をもった歯科医師同士で同じ医院を運営することは、起業するよりもハードルが高いとされています。それでも実家の歯科医院を継ぐ決断できたのは、父が「好きにやったらいい」と言ってくれたことでした。

父が長年、向き合ってきた患者さんを、自分が引き継ぐことで安心して休んでほしいという気持ちもあったのかもしれません。父が時間をかけて信頼を築きあげてきた長与という街で、地元の人々の健康づくりに尽力する毎日がスタートしたんです。

【後記】

渡邉先生が渡辺歯科医院の看板を背負うまでのお話をお聞きしました。当院では、治療に取り掛かる前のカウンセリングや検査にじっくり時間をかけているのですが、これには先生の新人歯科医時代に経験した、葛藤が影響していたんですね。

そして渡邉先生、筋金入りのサッカー好きなので、今も休診日にはサッカーやフットサルをやっているようです。お近くの方は、ぜひご一緒してみてはいかがでしょう?

さて次回は、渡辺歯科医院での具体的な治療法についてなどをご紹介していきますので、お楽しみに!また来月、お会いしましょう。


◎ 長崎県 西彼杵郡 長与町にある“街の歯医者さん” 渡辺歯科院のHPはこちら。歯のこと、健康のこと、お気軽にご相談ください!

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