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D進しなかった理由もろもろ

はじめに


昨日、大学院の博士前記課程(=修士課程)を修了し、大学院を出ました。学部から同じ研究室に進学したので、計6年間同大学にいたことになります。みなさま、お世話になりました。

ありがたいことに、多くの方から博士後期への進学を勧めていただいたのですが、修士課程で卒業し、民間企業に就職することとしました。研究に対して未練がないわけではないですが、色々と考えた末に進学は困難であると判断しました。D進しないという決断は、純粋に私の能力や気持ちの問題もありつつも、修士課程在籍中の社会情勢、国の研究支援政策の不十分さ等の外的要因(ないし、それらが引き起こすこととなった私のメンタル的不調)によって形作られた点もまた少なからずあるため、とりあえずここに書き記しておきます。後に続く人たちに何らかのかたちで生かされますように。

本記事がカバーできる範囲を明確にするため、私の背景を説明しておきます。
私は6年前に某旧帝大の某文理融合系学部に入学し、2年前に同大学の大学院に進学しました。私自身は哲学思想とジェンダー研究がダブる領域を研究しており、所属の研究室も哲学思想系でした。いわゆる人文系院生です。
親族で大学院を出た人は1人もいません。父方家系では私が初の大卒者です。
そして、大学院に入学した2020年4月に初の緊急事態宣言が発令され、入学式は消滅し、2年間の大学院生活の全編がコロナ禍のうちに終わった最初の世代です。

進学しなかった理由①経済的問題

院進にしてもD進にしても、断念する理由で一番多いのはこれだと思いますが、例にもれず私もそうです。
大学院修士までの時点ですでに返還しなければならない奨学金がそれなりの額になっていたため、将来的に一定程度安定した給与が得られる可能性が(民間就職ルートに比べて)低い選択肢をとることに不安がありました。
もちろん、奨学金を抱えた状態でD進する人はごまんといると思いますが、「何とかなるかもしれないけれども、何とかならなかったときは……」という選択肢で「何とかならなかったとき」の方を案じてしまうのは私の性格です。しかし、こういう案じ方をする人の数は決して少なくないと思うので、国はこれに対する対策を打つべしと思います。むしろ、学生の「研究が好き」という気持ちに賭けている(ように少なくとも私には見える)現状はかなり問題があると思います。研究において研究対象やテーマへの愛は不可欠です。しかし、愛だけで腹は膨れず、実家が巨木のように太い人でなければ、いずれ生活の糧を得ることが必要になります。

国の方も博士課程進学者の減少と、それに伴う日本国の研究力低下を認識しており、博士課程在籍者に対する経済的支援を拡充していることは存じております。ですが、在学中の経済的支援によって進学者数を増やすという政策は、決して無意味ではないと思いますが不十分だと感じています。
というのも、案じているのは学位取得後の生活が成り立つかどうかだからです。在学中は何とか食べていくことができたとして、そのあとはどうなのでしょうか。アカポスは非正規化が進み雇用が不安定で、そもそも人文系のポスト自体どんどん削られ、学位取得するくらいの年齢では民間への就職も難しくなってきます(「特に女性の場合」と付け加える必要があるかもしれません)。
在学中の経済的支援が拡充されたとしても、学位取得して大学院を出た後の生活のあり方を描くことが困難なままでは、経済的な理由で進学を諦めていた層が判断を撤回してD進を考えるというのは、考えにくいのではないかと思います。少なくとも私はその1人でした。
人文系の博士号取得者が民間でも歓迎され、国が教育・研究に関する政策を改め、人文社会科学軽視・アカポス削減等の現在の方針が改められる世界になってほしいです。

ちなみに、経済的な問題に関しては、一度民間に出て働くことで将来的に解決することができるかもしれないという展望も持っていなくはないです。
社会人院生か退職D進かはわかりませんが、経済力を身につけてから大学に戻ってくるというのもアリかなと考えています。また、一度民間でのキャリアがあればアカデミアで挫折したときの生き延びの選択肢が増えるのではとも考えています。ただ、現時点ではとにかく金が要ります。
幸い、私の研究は進めるのに高額な実験器具が必要な分野ではないため、大学を出る=研究との縁切り、にはなりません。細々と続けて、どこかで大学に戻るという選択肢は私に残されています。

進学しなかった理由②コロナ禍を受けた就職環境の変化

冒頭でも書きましたが、私は新型コロナウイルスに関連した緊急事態宣言が最初に発令された2020年の4月に大学院に入学しています。そのため、インターンを中心とした就活1年目がコロナ禍と被りました。
大学院に入学する前は、就活は適当に済ませて研究をちゃんとしようと思っていました。つまり、M1の間から死ぬほど説明会やインターンに出たりということは全く想定しておらず、就職するかどうかすらもM1の間によく考えようと思っていました。就活、まあ何とかなるやろな、くらいに思っていました。

しかしながら、コロナの流行によって、就職環境は激変すると騒がれました(実際、間違っていないとは思いますが)。「就職氷河期再び」という言葉が新聞やネットメディアの見出しに躍っていたのを覚えています。早く動き出さなければ就職はヤバいかもしれない、と私は考えるようになりました。
つまり、「M1の間に就職するかどうかをよく考えて」いたら、氷河期の真っ只中に嵌って、かつ出遅れてえらいことになるかもしれない、と不安になったのです。
そして、私はM1の5月頃から半ば強迫的に就活を始めました。よって、その時点でD進という選択肢は後景へと退くこととなりました。また、M1がほとんど就活で潰れたので、研究を深めるということもできず、博士課程に進学したとしても何をやるんだ?状態でした。
焦りから就活の動き出しが早かったこともあり、結果的には最初の内定がM1の2月で、3月に入社先が決まるという経団連ルールガン無視スケジュールでの就活となりました。そしてM2、内定を得てから博士進学を検討するとなると、就職した場合の収入や福利厚生がすでに提示されているわけなので、①で語ったような経済的問題というのが、かなりリアリティをもって迫ってくることになります。私は就職を選びました。

では、コロナがなければ、私は「M1の間に就職するかをよく考えて」、D進を選んでいたのでしょうか。今となってはわかりません。ですが、情勢の変化を受けて焦って就職を始めたことによって、自分の進路についてよく考える機会や、研究にしっかり取り組むことで自分の適正を吟味するという機会が無くなったことは確かだと思われます。


進学しなかった理由③研究者コミュニティとの距離

私は結構、周囲の環境に影響を受けるタイプです。周りに流されるというよりは、その場にいる人たちが持っている独特の「ノリ」みたいなものを自分のものとして取り込み、かつその「ノリ」を受けて行動が変化していくタイプでしょうか。
人間は多かれ少なかれこういう側面をもっている生き物かと思いますが、コロナ禍でそうした研究者コミュニティの「みんな」との物理的接触の機会が激減したこともまた、私の進路選択に影響を及ぼしたのではないかと思います。

大学院入学直後の1度目の緊急事態宣言中は、大学での活動が(ほぼ)全面オンラインへと変更されました。その後、複数回の感染拡大の波を経つつ、大学の活動基準は徐々に緩和されていきましたが、私は複数の基礎疾患をもっている家族と同居していることもあり、オンラインで済ませられるものは全部オンラインで済ませる生活をしていました。また、研究も文献研究だったため、物理的に大学に行かなくとも研究を遂行することが可能でした。そのため、2年間の大学院在学中に大学に足を運んだ日数はおそらく100日にも満たないと思われます。
コロナの波が収まっているタイミングで大学に行ったこともありましたが、その場合も感染対策のためゼミや授業が終わったらそそくさと去るという生活を送っており、もちろん飲み会等にも出席せず、結果として研究室のメンバーやその関係者の方々との人間的交流の機会がほとんどありませんでした。

これは学部時代、まだ新型コロナが出現する前の生活で実感していたことですが、大学の価値は大教室で前に立っている先生から一方通行で何かを教えてもらうことというより、未知の課題に向き合っている人たちの中に入り、議論などしつつモノを考える方法について考えることでもあると思います(非常に月並みな表現ですが)。そういうモノを考える楽しさみたいなものを実感できたのは、学部時代の私の場合、ゼミや研究室の先輩方との交流の機会でした。
めちゃくちゃ平たい表現をすると、私はこれらの機会を通して「研究のノリ」ないし「大学院のノリ」に接する機会が平均と比較しておそらくそれなりに多い学部生でした。そして、これらの「ノリ」に浸かっていて楽しかったこと、自分自身の研究の主題をより深めたいと思ったことが、私が学部時代に大学院進学を決めた理由でした。

ところが、大学院に入学したタイミングで、こうした機会が突然ゼロになりました。もちろん、zoomで研究者コミュニティ内部にいる人と話す機会はありましたが、zoom会議というのは如何せん雑談が発生しにくく、ましてや参加者の人数が多かったり、ほぼ初対面同士となるとそれに拍車がかかります。なおかつ私は生来の社交性のなさを、これまでは社交の現場にとりあえず無理やり出てみて、社交せざるを得ない状況下に持ち込むことで強引にカバーしてきたのですが、zoomでは私の対人関係回避の傾向に拍車がかかります。ほぼオンライン環境のみの状態で人間関係を構築するというのは、私にとって非常に困難でした。

オンラインで繋がれる世の中とはいえ、物理的な距離とはとても恐ろしいものです。このようにして、私は「研究のノリ」「大学院のノリ」からだんだん心が離れていきました。これは、自身の研究に対する熱意的なものとは全く別なのですが、とにかくそういうことです。

そこに、強迫的に行っていた就活によって「社会人のノリ」なるものが注ぎ込まれます。また、zoomで頻繁にオンライン飲み会をするような仲の良い友達の9割は学部で就職して社会人になっており、対面で会える地元の友達はみんな短大卒か高卒あたりで就職しています。そこでも私は「社会人のノリ」に暴露されます(もちろん悪い意味ではなく、種々の愚痴を聞いてくれた友人たちには感謝してもしきれません)。なんとなく人生で自分だけがおいていかれている気持ちがしてきます。

また、親族で大学院を出た人間はおらず、職に直結しない専攻で大学に所属していた人間もいません。そうした親族から見ると、私のような思想系の大学院生は完全にモラトリアム延長のボーッとしている人間に見えるようでした。折にふれて「資格も取れず就職も有利にならないのに、何のために大学院に行ったのか」という暴言を受けました。この発言に関しては反論の余地まみれですが、少なくとも私はそうした「研究のノリ」「大学院のノリ」が尊重されず、許容されない階級の家に生まれたんだなぁ、ということが身にしみて感じられました。
ここまでなら院生あるあるかもしれませんが、今回の場合こうした境遇について理解してくれる人が周囲に物理的に存在しなかったことが重かったのではないか、と振り返ってみて思います。何事でも、悩みは1人で考えれば考えるほどこじれます。

上記のようなことが積み重なり、私は学部時代に比べて「研究」なるものに対して心理的に遠く感じるようになりました。自分自身の研究は結構一生懸命やっていたことを考えると奇妙なのですが、研究者コミュニティに対するコミット感の欠如と表現するのがより適切かもしれません。進路選択というと個人の意思という感じがしますが、その実、そうした個人の意思の形成にいかに外的環境が影響を及ぼすかがよくわかります。

進学しない理由④漠とした閉塞感

ここまで何度も言及した通り、私は大学院入学とコロナの日本上陸&感染拡大のスタートがほとんど同じ時期でした。そのため、体感としては「学部最後の春休みがずっとダラダラ続いて、気がついたら修論出して卒業していた」という感じです。2年も経ったとは、信じられません。

先述したように、私は全然大学に行っていなかったのですが、当然ながらプライベートでも家族以外の人とは全然会っていませんでした。交際相手ですら3、4ヶ月に一度くらいのペースでしか会っていません。友達とリアルで会った回数もこの2年で片手で足りるくらいです。とにかくずっと家にいました。そういう2年間でした。
ところが、周りの同級生を見るとみんな就職等で環境が変わっています。さらに、みんなコロナでバイトのシフトが減った学生の私に比べたらはるかにお金もあるようです(当たり前)。もちろん楽しいことばかりでもないようですが、ともあれ学部4年の春休みのまま家に引きこもり、新しい友人や研究の繋がりができるというわけでもなく足踏み状態の私には、そうした変化がとても羨ましく思えました。

D進の可能性を考えたとき、私は率直に「研究が好きでも、今の生活が続くのは無理」と思いました。もちろん、コロナ禍が収束に向かえば引きこもった隔離生活は解消されるのだとは思いますが、コロナがどの時点で収束するのかも予測することができず、コロナ無し状態での大学院生活を経験したこともないので、コロナ無し大学院という環境において私の閉塞感が正しく解消されるのかも不明です。繰り返しますが、自分がやっている研究それ自体はやらないといけないし、やる価値があるし、やっていて興味深いと思っていたのですが、引きこもり研究生活にはかなりうんざりしていたというのが現実です。

また、当然このような状況でメンタル的にもかなりきていたので、とにかく早いうちに脱出して環境を変えないと、再起不能状態になり危険かもしれないという感覚もありました。

就職したら、生活環境が大きく変わることは間違いないので、一時的にではあれこうした閉塞感は解消されると思います。いつか大学に帰ってくる可能性はゼロではないですが、現時点ではちよっと勘弁してくれー状態です。

おわりに

ダラダラ書いてきましたが、一言でいうと私は研究への愛だけで環境の困難
を乗り越えることができませんでした。お金の問題はすでに国が取り組んでいますが、コロナ禍という特殊な状況も進学 or notの決断の場面では効いてくると思います。まだまだこんな感じの世の中なので、コロナで大学院生活が全部死んだ私たちの世代のアレコレを振り返りつつ、後進の人たちは適切なケアやサポートを受けることができればいいなと思います。

就職を選んでも、進学を選んでも結局はなんらかのかたちで後悔し、隣の芝生は青い状態になることはわかっています。それでも私は今回、進学しないという決断をしました。





サポートしていただけると、バイト収入が例年の1/3になった私が喜びます。気が向きましたら、よろしくお願いします。