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『22年目の真実』を観た話


めずらしくほっこりしない話を観ました。

軽い気持ちで観てはいけない映画だなぁと思いました。
現代社会が抱える暗いものを感じました。

私は観て、心臓をギュッと掴まれてるような、なにか吐き出したくなるような、嫌な気持ちになりました。

以下あらすじです。

22年前に起こった連続絞殺事件。事件から22年経った2017年に、犯人を名乗る曾根崎雅人が、事件についての著作物を出版する。事件の被害者のうちの1人である牧村刑事やその周囲は翻弄されていく。

冒頭はこんな感じ。

観た感想は、そのうち、現実世界でもこういう問題がでてきそうだよなぁという。

私は子供の頃にみた、ある事件の新聞記事の写真を思い出しました。
倒れてる人から距離を取り、携帯のカメラで写真を撮っている人々の写真。

人間の本質は醜くて脆い。
だからこそ、清く優しくありたいと思いました。

①対立構造

まず感じたのは、対比によって物語の輪郭がはっきりさせているということです。

・生と死
・加害者と被害者
・犯罪者と刑事
・表現の自由と公共の福祉

ただ、ここでいう加害者と被害者の定義は曖昧です。観た人はわかると思うんですが、加害者の範囲が広がったり、加害者と被害者とが入れ替わったりします。なにが被害者でなにが加害者なのか、考えるとわからなくなります。

細かい描写でも興味深いところがあります。
・殺人犯の曾根崎が豪華な食事を楽しんでいるシーン。
→生きるための行為である「食べる」ことを、死の象徴のような殺人犯の曾根崎がしている。

②好奇心と公表されない自由

この映画を観ていると、報道番組のコメンテーターやジャーナリストが偽善者にみえてきます。

人の死はエンターテイメントなのか。
正義感を振りかざして、殺人犯を表舞台に出させたいテレビ。
流され、熱狂する人々。

きっと誰の中にもこういう弱く、影響されやすい部分がある。

人の好奇心って悲しんでいる人がいるのを無視してまで、優先されなきゃいけないものじゃないと思います。

静かに暮らしていたはずの人から日常を奪い、時効成立後に犯罪について語ることで、被害者は再び平穏な生活を奪われる。
被害者の時間は、事件の時で止まったままなのに、悲しんでいる人たちなどいないかのようにして、好き勝手報道するマスコミも、「かっこいい!」とか言っている人もみんな加害者だと思いました。

そして、強い悲しみは、被害者を加害者へも変えてしまうほどの負の作用を及ぼすもの。

ニュースのシーンは、よくある街頭インタビューのコメントであっただけに、感じるものがありました。
自分は人の悲しみに鈍感になりたくない、なってはいけないと強く思いました。


この映画は、韓国で起こった事件から着想を得て作られたそうです。
こんなことが、現実で二度と起こらないように、祈るばかりです。


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