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【TRPG】アングラ劇場について

ども、たまにはTRPGの記事についても書いて行こうかと思います。といってもTRPGの記事じゃないんですけどね。T

TRPGでアングラ劇場が舞台のシナリオのKPをすることになったので調べた内容を備忘録がてらここに記していこうかなと思います。先に断っておくならばアングラ劇場のアの字も知らない筆者が調べたての知識を書きなぐっているだけなので間違いが多々あると思います。それに気づいた方はコメントなどで指摘していただければより完成度の高い記事になるかと思いますので協力していただけると喜びます。

アングラ劇場ってなんだい?


それでは早速本題に入っていこうかと思います。アングラ劇場とはアンダーグラウンドな劇場となります。つまるところアンダーグラウンドカルチャーに属する劇を行う場所と言うことですね。ポールダンスやストリップショーからエログロナンセンスを伴った演目などが行われます。

アンダーグラウンドカルチャー

アンダーグラウンドとはそのままの意味で地面の下、すなわち地下となります。日の届かない場所、人目につかない場所のイメージでしょうか。ここでアンダーグラウンドカルチャーについて「何でもありの無法の地下闘技場」みたいな想像する人もいるかと思いますがそういうことではありません。アンダーグラウンドにはアンダーグラウンドの流儀があるということですね。一度ここでアンダーグラウンドカルチャーの文化的位置づけを確認しておきましょう。

まずカルチャーは「ハイカルチャー」「メインカルチャー」「サブカルチャー」に大別されます。

順に解説すると「ハイカルチャー」はクラシック音楽や古典文学といった、これぞ伝統みたいな格式高い感じの芸術文化です、数々の文化と衝突しながらも淘汰されず今なお続いていることから文化としての強度が高いということですね。あえて明言を避けましたが一般的には「だからこそ他の文化よりも優れているんだ」というニュアンスが多分に含まれています。日本語だと「上位文化」って言いますしね。なので知ってるだけで偉いみたいな感じになります。いわゆる古典文学とかクラシックとか知ってると教養があって賢いなと見做される奴ですね。ポケモン全部言えてもこうはなりません。

その次にあるのが大衆文化、すなわち「メインカルチャー」です。大衆に広く受け入れられている国民的な芸術文化のことですね。ヒットソング、人気漫画、人気ゲーム、人気アニメ、人気小説みたいな感じでしょうか。歌ならYOASOBIの「アイドル」、漫画なら「ワンピース」、ゲームなら「ポケモン」って感じです。後述するサブカルチャーとの区分けが曖昧なところもあって例えばアニメやゲームは10年前まではサブカルチャー扱いだったと思いますが今はメインカルチャーになったと言って差し支えないと思います。ざっくり個人的な見分け方ですが「唐突にテレビで流れたときにお茶の間が凍らない」のが一つの基準ですね。紅白に二回以上出た歌手とかは間違いなくメインカルチャーを担ってます。

そして最後にあるのがサブカルチャーです。いわゆるそこまで一般的でない、そのコンテンツに熱中してると一種の「オタク」と見なされる芸術文化ですね。Vtuber、同人活動、地下アイドル、撮り鉄、コスプレ、サバゲ―みたいな奴ですね。あえて大衆に割と受け入れられているメインカルチャー寄りのものを取り上げましたが割とピンキリで、海外に輸出しようものなら即規制待ったなしのエログロナンセンス等の作品群もここに属します。分かりやすく言うなら淫夢コンテンツとかここですね。

ではアンダーグラウンドカルチャーはどこだい?って話なんですがまあ自明に「サブカルチャー」に分類されますね。サブカルチャーの一種として文化的な位置づけをされています。ここでわざわざサブカルチャーの立ち位置を明示したのは「アンダーグラウンドカルチャーはサブカルチャーと分けられるほど特異なものではないし一つの文化としてまとまりがある集団だよ」ということです。怖くないどころかむしろ同人活動(コミケ)とかに造詣のあるオタクの皆さんはかなりアングラ文化を理解しやすい筈です。

また、「アンダーグラウンドカルチャー」と混同しやすいものがあります。それは「カウンターカルチャー」です。「カウンターカルチャー」は今の体制や規律に反抗する文化のことで、昔なら学生運動や安保闘争、今ならバンクシーやゴッホの絵にトマトケチャップをかけるような環境活動家たち、風邪薬をODするトー横キッズたちが該当します。これらと混同されやすいがゆえに「アンダーグラウンドカルチャー」は怖いものと思われがちです。しかしこの両者が親和性が高いのもまた事実であり、それはかつてアングラ劇場が誕生した時に「アンダーグラウンドカルチャーは紛れもなくカウンターカルチャーの性質を併せ持っていた」からですね。バンジーガムみたいなこと言いましたがここから歴史を紐解いていきます。

アングラ劇場の誕生

1967年、後にアングラの帝王と呼ばれる寺山修司によってアングラ劇団「天井桟敷」が結成されました。当時は学生運動や安保闘争が巻き起こっており機動隊とデモ隊がたびたび衝突していたような物騒な時代でした。文化的な構図に落とし込むのであれば「資本主義の醸成による拝金主義の台頭」「ベトナム戦争」へのカウンターとして「共産主義への体制変化を求める運動」「ベトナム戦争への反戦運動」「日米安全保障条約改正への反対運動(安保闘争)」という形で現れます。芸術文化もその影響を受けていました。少年と青年のBLを描いた暗黒舞踏の禁色や近代絵画を継承でなく断絶することを目指した具体美術などその形は様々ですが今はアングラ劇場に焦点を当てます。

伝説的なアングラ劇団「天井桟敷」

では、そんな激動の時代の中生まれた伝説的なアングラ劇団「天井桟敷」はそのなかでどのような劇を行っていたのでしょうか?記念すべき第一演目の題名は「青森のせむし男」です。はいアウト~~!って感じです。このせむしというのは差別用語であり公の場で使ってはいけない類の言葉ですね。背骨が曲がり弓なりになる骨の病気にかかった人を揶揄する言葉です。背中が盛り上がってることから背中に虫でも住んでるんじゃないかといった感じですね。若い人は聞いたことない人が多いと思いますし、自分もここで初めて知ったので差別用語というのは昔から随分減ったんだろうなと思います。では何故このような劇が上映されたのでしょうか?

特権的肉体論と見世物小屋の復興

その理由こそ初期アングラ劇の特徴である「身体性の復興」です。ざっくりマイルドに言うと「役者の人生や個性をそのまま舞台に出すべきだ」というものです。マイルドに言わないのであれば同時期に活躍した「天井桟敷」に並ぶ伝説の劇団「状況劇場」を率いた唐十朗の「特権的肉体論」がとても分かりやすく、「差別の対象となるほど強烈な身体的な特徴や精神的特徴を持っている演者に合わせて脚本を書けばそれは最高の劇となるだろう、演じているのではなく本物そのものの人生を描いているのだから」みたいな感じになると思います。これは後の世では「スター芸術」から「脚本芸術」への移行と言うわれています。

スター芸術とは台本にある登場人物を役者がどう再現するか、に重きを演じたもので落語とかはまさにこれでした。例えば落語の芝浜という演目があり大筋は一緒でもそこに出てくる語り手、夫、嫁を「5代目古今亭志ん生」が演じるのか「7代目立川談志」が演じるのかによって作品のニュアンスは異なりその違いを楽しむという奴ですね。TRPGで例えるのであればカタシロをディズムさんがKPするのかk4senさんがKPするのかでニュアンスが異なるのでその違いを楽しむって感じです。すでにその作品の中身を知ってても推しが有名作品のKPとかPLに参加するってだけでオタクはぶち上がりますしどんなRPするんだろうなってわくわくしますよね。それです。

それに対して脚本芸術とは役者のバックグラウンドや個性そのものに焦点をあてたものです。分かりやすくTRPGで例えるならば刑事シナリオにおいて刑事のRPするのは実際に刑事してる人が上手いだろうし、医者の探索者は実際に医者の人がするのが上手いよね。みたいな考え方ですね。それをもーっと突き詰めていくと「誰かを演じるのではなく、本人が劇に出るべきだ」になります。当然脚本もその本人に合わせることになりますね。TRPGで例えるのであれば「その人に向けたアテ書きシナリオを上映しよう」となります。

COCに顕著な誰かが描いた有名シナリオをプレイする文化はスター芸術に根付いた文化でD&DやSWに顕著な自分たちだけの物語を紡いでいく文化は脚本芸術に根差したものとなります。同じTRPGでも根底から思想が異なるんですよ、面白いですね。まあCOCで今主流なのは「スター芸術に根付いた有名シナリオを通過することで設定を固めたPC達を脚本芸術に根付いたうちよそシナリオやアテ書きシナリオで深堀りして楽しむ」みたいないいとこどりしている遊び方なので無敵です。スター芸術は物語にキャラクターを合わせるのでPCに完成度の高い設定を生み出すのに向いていて、脚本芸術はキャラクターに物語を合わせるのでPCの設定を深堀りするのに向いてます。

少し脱線しましたね。アングラ劇場に話を戻します。というわけで寺山修司は脚本芸術の使い手でした。前も書きましたが「当時では差別の対象となるほど強烈な身体的な特徴や精神的特徴を持っている演者に合わせて脚本を書けばそれは最高の劇となるだろう」みたいな思考の流れを唐十郎ほどではないにせよ持っていたわけです。彼にとっては身体や精神の障害は「見られる醜い恥ずべきもの」ではなく「見せる美しい特権的個性である」だったんですね。この世でせむし男を一番上手く演じられるのは青森のせむしの男性だって考え方です。今のディズニーに見せたら発狂しそうですね。60年前の当時ももうそれは異端の考え方でした、寺山修司は当時の「スター芸術」「身体障がい者への偏見」「LGBTへの差別」に対して「脚本芸術」「特権的肉体論」でカウンターを行ったと言えます。ゆえに天井桟敷は見世物小屋の復権を目指し、身体的特徴を持った人々を積極的に採用していきます。見世物小屋というとマイナスイメージを持つ方も多いかもしれませんがここにいる役者は自ら志願していた者たちでありそんな寺山修司の思想に共感した人たちでした。そうして集まった天井桟敷の人々は「青森のせむし男」に引き続き、第二回「大山デブ子の犯罪」、第三回「毛皮のマリー」と公演を重ねていきます。当時はやせていたり太っていた人も同様に特異な目で見られる時代でした。そして「毛皮のマリー」は女装した男娼の物語であり演じているのはあの美輪明宏さんです。当時天井桟敷の団員だった美輪明宏さんを見出した寺山修司からの宛書シナリオだったわけです。

ここから寺山修司は第四の壁の破壊、すなわち舞台を安全に見ている客を巻き込んで劇を展開していく試みを行います。「盲人書簡」では舞台を真っ暗にして観客に10本のマッチを渡すというギミックを入れてきます。マッチはすぐに消えてしまうため劇の全てを見ることは出来ず、見たいところでマッチに火をつけるしかないんですね。中に入った人はマッチに火がともされている間だけ観客になることができ、それ以外は盲人となってしまうのです。更に彼は日常と非日常の境界をあいまいにし、舞台の外に非日常を広げていく試みを行いました。それが市街劇です。「地球空洞説」「ノック」など、街中で劇を行い始め、時には大量の客を連れ劇団員が団地のドアをノックするなどといったパフォーマンスを行いました。その辺歩いてたらフラッシュモブが突然始まって絡まれるみたいなもんですね。これらの試みが行われていくにつれ警察沙汰になったりマスコミに避難されたりしました。まあ何も知らない人に対してミイラ男がマンションの扉をノックしたり怪人がマンホールから出てきてマンホールに引きずり込もうとしてくるわけですから警察沙汰になります。まあ自分の個人的な意見としては日常と非日常は区切られるべきだと思ってるのでこういう行いは率直に言って嫌いですね。これは1975年のことですがそれ以前にもアングラ劇場は機動隊と衝突したりしてます。1969年に同じく「特権的肉体論」を唱えたもう一人の天才、唐十郎率いるアングラ劇団である「状況劇場」が新宿公園で無断で劇を行ったことです。機動隊と囮部隊と衝突させその間に別の場所にテントを張り劇を行うといった強硬っぷりですね。いずれにせよこうして己の芸術を突き詰めていった結果、一般民衆や警察とマスメディアを敵に回したアングラ劇団は「反体制」となり「カウンターカルチャー」と結びついていくこととなります。彼らは別に反体制を掲げていたわけではないので結果論とは思いますけどそれ以前にもLGBTへの差別に反抗してBL色の強い脚本も書いていますから相性は良かったんだろうなと思います。

ちなみにこの劇団が拠点としていた新宿花園神社には11月あたりに酉の市で見世物小屋が開かれ今でも状況劇場の後釜である劇団たちによって行われておりますので興味のある方は見てみたらいかがでしょうか?

寺山修司とは

ここで軽く寺山修司についても触れてきましょう。彼は歌人であり詩人であり劇作家であり劇団「天井桟敷」を率いる割と何でもできる人です。アングラの帝王であり、青春の帝王ともいわれます。青春扇動家(アジテーション)でもあり激動の時代に生きる少年少女の鬱屈とした気持ちを言葉にのせて代弁するのに長けた人でした。「家出のすすめ」「書を捨てよ、街に出よう」といった書籍が有名ですね。映画では「田園に死す」「ボクサー」とか作ってます。ボクシングが好きでとりわけ「憎しみを抱かず人を殴るとはどういうものなのか」に興味があったみたいですね。「あしたのジョー」が好きだったみたいであしたのジョーOP曲を作詞した人でもあります。

他には少女漫画に関心があったり、当時は禁忌とされていたBL漫画を絶賛するなどかなり先見の明があるというか時代の先を捕らえる感性が鋭かったようです。

それからのアングラ劇、小劇場運動

ではそんな寺山修司や唐十郎によって作られたアングラ劇団の文化はどのように発展していったのでしょうか。これらは小劇場運動として語られており第一世代から第四世代まであります。第一世代は寺山修司率いる「天井桟敷」や唐十郎率いる「状況劇場」ですね。これらは学生運動が落ち着くとともにまた収束していき新たな動きが起こります。それこそ「つかこうへい」率いる第二世代です。

つかこうへいは「初級革命講座 飛龍伝」で安保闘争に挫折した活動家のその後を描いています。ここでの飛龍とは投石した石のうちめざましい活躍をしたもの、という意味だそうです。そういった時代感を敏感につかみ取ったつかこうへいは客の動員数を増やし、第一世代では「毛皮のマリー」で4000人だった観客動員数が「蒲田行進曲」では35000人になるなど一気に大衆受けし「サブカルチャー」だったアングラ劇を「メインカルチャー」へと押し上げていきます。ここまでくるともうアングラ劇団、とは言われなくなり小劇場と言われるようになりますね。地下の文化ではなくなったわけです。

そして第三世代は小劇場ブームが巻き起こりマスコミにもてはやされるなど一大市民権を得ました。そして第四世代で円熟期を迎え、小劇場ブームは去ったものの、劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成し、今では「古畑任三郎」「鎌倉殿の13人」を手掛ける三谷幸喜、劇団「劇団☆新感線」に所属し今や「グレンラガン」や「キルラキル」を手掛ける中嶋かずきなど小劇場時代に活躍した人たちが今もなお日本のエンタメ業界をけん引しています。

ではアングラ劇は絶えてしまったのか?いいえ、小劇場運動がおこり市民権を得ていく中でもしっかりと背徳のエログロナンセンスを継承していく楽団がありました。うちの一つが第三世代に該当する東京グランギニョルです。

東京グランギニョル

というわけで東京グランギニョルです。何故この劇団を紹介するかというと今この時代に振り返って追いやすいのはこの劇団だと思ったからです。というのもyoutubeに当時テレビに出演したときに行った「マーキュロ」の映像が残っていたり、「ライチ光倶楽部」はアニメ化されたり漫画版があったりととにかくメディアミックスがされて資料が残っているからですね。youtubeのほうのテレビ版「マーキュロ」を見ていただければ当時のアングラ劇の一端が垣間見えると思います。とにかく派手さを意識したのか火花がどばばって散って内臓デロデロ、血しぶきぶしゃーって感じの劇です。

ともあれあの映像を見たら何かすごいことが起きているような感じは受けるけれども頭に疑問符が浮かぶことは間違いないと思います。本来はもっと長い劇でじっくり説明される筋だったストーリーがあるのですけどテレビ版は5分くらいでダイジェストバ―――!って感じなので映画の予告編みたいなノリですからね。詳しい内容は割愛しますが「マーキュロ」も「ライチ光倶楽部」も現在に通用する物語であり、特にCoCうちよそエモ界隈とか好きそうだなぁって思いますね。BLがお嫌いでなければ見る価値はあります。

そしてこの東京グランギニョルを率いる飴屋法水はかの唐十郎が率いる「状況劇場」に参加していましたが彼の特権的肉体論に疑問を抱き脱退して「東京グランギニョル」を旗揚げします。そう言われてから彼の作品を見れば、「有機的な特権的肉体論」へのカウンターとして「無機的な均質化」といったテーマを随分ぶつけているなという感想を持ちます。特権的肉体論はアングラ劇の萌芽ではありましたがすべての劇団がそれに追随しているわけではない、というのは抑えておいた方が良いですね。

アングラ文化の今

そんなこんな今です。アングラ劇団は劇団唐組として反体制や反権力の性質はかなり薄れ、大衆に寄り添う形で存続しています。その一方で奇抜な格好をし、ストリップショーやポールダンスを行うアングラ劇は大都市の地下で今も行われています。エロスに関してアングラ劇は地下に残りましたがLGBT運動や性のタブーを解消する方向で世論が動いている今、紳士たちの社交場もまた一般的なものになっていくのかもしれません。

それではかつての特権的肉体論に基づいた劇はどうでしょう?このご時世です。少なくとも表に出てくることはないでしょう。それでも、もしかしたらかつての唐十郎の遺志を継ぐものたちによるアングラ劇が、日本のどこかで行われているかもしれませんね。

こんな感じでざっくりとまとめておきました。情報の精査などはなく、あくまで書きなぐりとなっていますので間違いはそれなりに多いかと思います。なので詳しく知りたい、情報を精査したいという方はこの記事をたたき台に「寺山修司」「天井桟敷」「唐十郎」「状況劇場」「東京グランギニョル」などで調べていただければより鮮明で詳しい情報が見れると思いますのでご活用ください。

再度断っておくならば、この記事はアングラ劇場のアの字も知らない筆者が調べたての知識を書きなぐっているだけなので間違いが多々あると思います。それに気づいた方はコメントなどで指摘していただければより完成度の高い記事になるかと思いますので協力していただけたらと思います。

それでは~

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