見出し画像

オリンピック失言問題で驚かない、ニッポン的な人事慣行の愚かさ。

挑戦的な内容にしてますが…。特定個人の批判はする気がないため、組織という全体にフォーカスして書いておきます。

 まず、今回の某元首相の問題は発言云々というよりも

なぜ、そういう人事になっているのか

を見ない限り根本的な解決にはなりません。

 私の場合、その職場環境が典型的なニッポン的組織だったので、今の動きって

ヤッパリな

という以外の何物でもないのですよね。すごく既視感があるため、あえて書く気にもなりました。

 以前に書いてますが、私がリーダーだった際に転職するため…後任の人事について相談を受けたことがありました。その際、判を押したように同一の傾向に落ち着く。で、失敗してしまう訳です。

 それが、

肩書や人柄、人間関係(人脈)といった所でポストを決める

こと。上で書いたように、一言も才能って出てこない。(苦笑)

 でも、これがニッポン的組織の現実なんですよ。だから、結果がそこそこか、出ない。なぜかっていうのは性格や表面的な履歴にばかり目が行きすぎ、本当にそのポジションに必要な能力は?という視点じゃないこと。全てこういうやり方ではないでしょうが、その割合は決して低くないんですよね。

 今回の後任問題にしても、この典型。推測で申し上げると、周囲の批判を受けて、当人も退任しようと思った。で、後任を挙げて欲しいという内部での声があったはずです。そんなまさか…と思った人は、ニッポン的組織を甘く見てマス。(笑)

 なぜなら、某元首相がいなくなることで、ご本人と歩調を合わせてきた人たちが取り残されることになる。利害の観点から言って、新任の人が”なじみ”のない人だったらどうなるか。今までの流れを無視してやりたいようにしようとするかも…。こういう恐怖心が湧くわけです。

 だから、ご本人に後任まで考えておいて欲しい、と水面下で頼んでいると思っています。本人からすれば、周囲の迷惑になるからやめようと思ってたら、そのまま指名せずに辞めたらかえって迷惑だ、なんて言われたらフツー

じゃあ、キチンと後任も考えておかないと

と思うでしょうに。

 おそらくこれが、今回の後任人事でご本人が後任についての動きを示した背景だったと思っています。小泉元首相の時代にも、派閥の長としてなにかとしりぬぐいしている、という印象で見られた程ですしね。自分では良いことしよう、と思っていたんじゃないかと。

 意に反してああした批判を受けたので、うんざりして…という反応があの会見になったんじゃないかと。政治の世界をよく知る人たちが、当人を一方的に批判しないのも、今回のことの善悪とは別に、ご本人の在り方を知っているからでしょう。

 そうした観点から見ると、当人だけを責めてもナンも解決しません。これは組織の体質の問題。こういう視点でもって語ってくれる人がいないのは、私としては残念。挿げ替えだけでは解決しないのは明白。かつて首相をやたらと批判して挿げ替えまくったでしょう?そのせいで安定感が失われて国益を損なった。いい加減、そのような愚行をとめないとね。

 その意見としては、私が当時後任の相談を受けた際に言った言葉が今でも変わらず結論となります。スナワチ、

肩書や人柄で決めず、それに不足してても見込みで据えた方が良い

というモノ。途中の困難を乗り越えてこそ、大きなリターンを生むと知っていたから。

 でも…こうした組織としての基準で言えば、履歴が不足しており、年季も不足。人柄も従って日が浅いから、任に堪えうるかリスクがある。だからそれを満たしている人で、周囲に嫌われてない人を据えたい。これが人事側の本音でしょう。(実際、こういうやり方してるところが実体験の範囲ではほぼ全て)

 そうしておけば、周りと協調しながら、波風立てず、うまくやってくれるだろう。対外的にも肩書があるので、力量不足と批判されることも無い。一度据えたら見る必要が無くなるので、楽だ。こういう本音の下で、私から言わせれば安易な選択をする。

 だから、こうした不祥事が起きた時って失言・暴言・暴走という類になる。肩書や人柄がよいといっても、それはそこにいる人たちに対してだけ、という話だからね。対外的な要素が強い公的組織の場合、そこから火種が投じられるのも当たり前だ、と思うのです。中しか見てないから。

 今回のことにしても、オリンピックという世界的なビッグイベントだからですよ。これが日本国内で完結するモノなら、ここまで大騒動にはならないのだし。海外との接点があると、向こうの視点も入って来るので逃れられない。対照的に国内だと日本人同士の中では保守的な価値観でガチガチに固められるから、回避できる。その違いだけに過ぎない。

 当初、IOCも批判的にならなかったのは簡単です。要は

必死になって開催しようとしてくれてる日本のメンツをつぶしたくない

という思惑があったからにすぎません。日本の組織運営にケチつけたら、アッサリとコロナを理由に開催をやめられてしまうかもしれない。そうなったら、ビジネスとしての大会を通した収益がゼロ。自分たちへのリターンも当然、ゼロ。だったらヤル気になってる限り干渉しない様にしよう、と思うでしょう。

 急に態度が変わったのは、単純にむこうでの批判が自分たちのクビに関わる程大きくなってしまった、という皮膚感覚があったからでしょうね。これ上スルーしたら、自分たちの見識への批判に変わり、その地位も危うい。ハッキリとした批判をしておかないと…と思ったんでしょう。

 こうしたことから考えても、あらゆることが密室という閉鎖環境になっている。隠蔽とかアレコレ批判してますが、そうじゃなくて

組織としてどういう人事になっていて、運営もどうしてるのか

という視点での批判ってほとんど見かけない。それじゃあ、相手はそういう組織の在り方そのものにメスが入らないので、とにかく鎮静化しようとしか思わないでしょう。で、それだと根本的な解決にならない。

 こういう所も、私個人がいつも呆れ、残念に思っている点。自分自身が少しでも組織に所属したことがあるなら、特定個人だけあげつらったって良くなるはずがない、と分かりそうなものなのにね。根本は人事の在り方、組織の価値観、などなど…。それを形作っている枠組みそのものの問題。元首相はキッカケであり、その象徴に過ぎないのですよ。

 それなのに、ご本人だけあげつらったら、そりゃ心の集団リンチと何が変わらないというのか。マスコミの批判の方向性って、それ位幼稚であきれ果てるレベルですよ。まあマスコミもまた、ニッポン的組織なのでその程度といっちゃあ、オシマイですが。もったいないねぇ…。

いぢょー。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?