妻の扱いに失敗して悲惨な事件を起こした劉邦

 歴史上、女性好きな人物は”英雄色好む”といった表現でよく取り上げられますが…実際に女性に対する扱いが上手かどうかは別の話。いわゆる”モテ”にも自分のストライクゾーンがあると思われます。

 例えば漢の劉邦(高祖)は、女性好きでしたが誰に対しても、というわけではなかったようです。特に好みの性格が伝わっている訳ではありませんが、本妻の呂氏以外は自分と同じ環境からのようです。つまり、

プライドの高い女性

は苦手だった可能性がある。

 呂氏がそういう性格かはともかく、その後の歴史において女の恨みをこれでもかと晴らしているあたり、プライドは高い方だったのでは?と。

 劉邦は後継者選びの際に”やらかして”います。呂氏との間に生まれた長男が性格が似てない、と好まず。側室から生まれた子を可愛がり、後継者に据えようとします。

 この手の話はよくあるパターン。劉邦も自分が天下が取れたのは始皇帝が

後継を曖昧にしたから

という事があったのに、自分が当事者になるとそれを無視しようとする。成功者にありがちな

俺は違うんだ

という意識が垣間見えますね。

 餅ロン、家臣たちは大反対。もともと劉邦の長所だったよく人の話を聞く、という事から家臣たちは真っ向から反対します。しかし、このころは権力者の”病”である

猜疑心

にとらわれていた劉邦は聞く耳を持たない。一度はひっこめたものの、また蒸し返す。この時点でのちの惨劇のフラグを立てちゃったのは他ならぬ劉邦なんですけどね。この時点では全く気付いてません。

 結局、事態を憂慮した呂氏が三傑と言われた軍師・張良に相談。その策によって無事、長男が後継として確定します。こうなると、逆に後継者争いの当事者に仕立て上げてしまった側室の子が危うい。それ位は劉邦、まだ気づけたようですね。…もう遅いんだけども。

 で、自分の古くからの仲間であり家臣でもある人物に守ってくれるように依頼。この人物は硬骨漢で、芯の通った人物。それだけに、我が子を身を挺して守ってくれるはず、と踏んで頼み込んだようです。

 当人は最初辞退してましたが、それを受諾。今の会社組織から言えば本社の重役だったのに、子会社の副社長に転属ですのでフツーなら左遷ですよね。それでも、創業者の個人的な頼みを聞いた。現代にも通じる話です。

 で、それから間もなく劉邦が死去。早速呂氏による”仕返し”が開始されました。

 まず、側室を逮捕。罪人扱いにしていじめぬきます。続いてその子を首都に召喚して、捕まえようとする。この時点で二人とも粛清するつもりであることは誰の目にも明白でしたが、権力を握った呂氏に逆らう人はないとみられてました。

 が、案に相違して二人だけいました。それが劉邦の残した仲間。彼は呂氏がその子に危害を加えるつもりだとわかってたので、一貫して病気と称して拒否。絶対に都へ行かせません。業を煮やした呂氏は、彼本人を召喚。これを断る理由が持てないため、やむなく上京。そして、側室の子にふたたび召喚命令を出したのです。

 これに驚いたのは被害者であったはずの長男。長男はすでに二代目の皇帝になっていたので、自分の権威でもって弟を守ろうと出向いて迎え取る。とてもやさしい人物だったので、母である呂氏の性格から何をするか想像がついたんでしょうね。

 しかし、それも長くは続かず長男が不在の時に毒殺。いよいよ本命といえる側室の最後の復讐に入ります。余りにも凄絶なので何をしたかは書きませんが、やらかした後にその憎しみを共有したいと思ったのか、長男を呼んでみせてしまった。

 この辺りも人間の業が見えて何とも言えない気分になりましたが、余りの残酷さに長男はショックを受け、酒に逃げて病死。結果的に呂氏は最愛の息子の命を自らの手で奪ってしまうキッカケを作ったのです。

 この話を読んで思ったのは、

情に流された決断はかえって被害が大きくなる

ということ。側室への愛情と、その延長線上にあった子への愛。感情的要素が、側室とその子、呂氏の長男の命までも奪った。私が見るに、劉邦が女性心理に疎いな、と思ったのは呂氏の性格を把握していたらあのような真似を天下統一の後にしたりしないだろう、ということ。

 呂氏にしてみれば、一番大変な時期を正妻として敵に狙われながら家庭を守り続けてきたのに、やっと楽になったら愛人の子を跡取りにする…そりゃ腹が立つでしょう。人を使いこなすのが得手とされた劉邦も、こうした女性心理は疎い。

 結局、呂氏は存命中は権力を握って実家を取り立てていきますが…最終的に生き残っていた劉邦の家臣たちが粛清。彼女の死後呂家は滅亡してしまいます。おそらく皆さんがスカッとするエピソードを挙げるとすれば、劉邦でさえ苦杯をなめた敵方の国王から

私と結婚しませんか?

と公文書で書かれたことでしょうね。当時、呂氏は老齢といってよい年だったので明らかな侮辱ですし。ただ、彼女を評価できるのは

私はおばあさんだから

と事を荒立てずに断ったことでしょう。感情的にならず、論理的な判断で貢献したといえるでしょう。ほかは全然ダメでしたけど。

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