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水と靴紐(ショートショート)

「水はどんなところにでも行けるんだよ」

 小学校の頃、彼女はそんな事を言った。ちょうど僕が、親の仕事上の理由で引っ越しを一週間前に控えた日のことだった。

 当時の僕らは男とか女とかの区切りはなく、友達とかバディとか、そんな言い方が似合うような感じだった。
「どんなところにでも?」僕は聞き返した。夕暮れの空を眺めながら。とても綺麗だと思っていた。そんなことをぼんやり考えていた僕を後目に、彼女は続けた。
「そう。どんなに狭い隙間にも入っていけるし、目の前から無くなったように見えても、空気の中に隠れているだけだったり。飛行機を使わなくても、いろんな場所に行けたりもする」
「うん」
「だから、これあげる」
 そう言って彼女は、僕に一つの紐を渡した。水はどんなところにも行ける、という話と、この時に彼女が言った“だから”との繋がりが、その時は分からなかったけれど。
 貰った紐は透明で、この世界の色をとてもきれいに映し出していた。
「なにこれ?」僕は聞きながら受け取る。
「靴紐」
「くつひも?」
 彼女は、声を出さずに頷く。息を静かに飲み込むような、真空に近い音が僕らを包んだ。
「それ、水を編んで作った靴紐」
 僕は、視線を手元の靴紐に移す。夕陽できらきらと輝く。
「それがあればきっと、どんな場所にだって行ける。だから大丈夫」

 今思えば子供らしい考え方だったと思う。
 水はどんなところにも行ける。
 だから、そんな水を使って作った靴紐を使えば、きっと私たちも、どこへだって行ける。そういうことだったのだろう。
 今となっては、当時の僕らの子供らしさが懐かしく、羨ましい。

 まるで足元の草に語りかけるように話すその姿を、僕は横から見ていた。
「うん」
 僕は一言だけそういった。何だか、ふわふわして不安定だった足場がしっかりと固まったような、しっかりと自分の足で踏み出せるような確信があった。
「ありがとう。頑張るよ」
 何を頑張るかは自分でもよく分からなかったけれど、そう言いたい気持ちになった。
 この心の中が、彼女にも伝わればいいと思った。きっとそれは、勇気と呼ばれるものに似た感情だったのだろうと思う。
 けれど、そんなに大それたものではない、もっとどこにでもあるような、ありふれた、大事なものだった。
「ありがとう」
 僕はもう一度呟く。今度は彼女がこちらを見て、に、と笑った。とてもかっこいい笑顔だった。その瞳がかすかに潤んでいるように見えたけれど、そんなことないですー。と怒られてしまいそうな気もしたので、見てみないふりをした。

***

 いつの間にか時間は流れた。未だにあのときの靴紐は肌身はなさず持ち続けている。
 その色は当時より金属とガラスを織り交ぜたみたいなものに変わった。経年劣化すらきれいな靴紐だった。
 今は現役を引退させ、キーホルダーにしている。
 それを見るたびに、当時のことが昨日の出来事のように思い出される。
 不思議と勇気が湧いてくるのは、あの頃と変わらない。

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