見出し画像

釣ったヤマメを開いて干して、焼いて焦して、考えたこと

このあいだ、釣ったヤマメを開いて干して、焼いて焦した。そして反省した。すごく反省した。この間まで、ちょっとくらい干物を焦しても、申し訳ないという気持ちにはならなかった。これは、くる日もくる日も渓流で釣った魚を捌いて食べてきた結果だろうと思う。

ヤマメは幸い、食べれないほど焦げているわけではなかった。が、ベストの焼き加減とはとてもいえない。私は一部が黒く変色したヤマメを見て、しまったとある漁協の組合員のおじいちゃんのことを思い出した。

その人は、アユ漁の名人であり、猟友会にも所属している。漁師であり猟師という人物で、狩人と呼ぶのが適当かもしれない。そして、こだわりが半端ではなく、獲物を真空パックで保存するための機械や肉のスライサーに、−60度の冷凍庫といった業者しか扱わない機材を個人で所有している。

おじいちゃんは魚屋に務めていた時期があり、捌き方も一級品。アユのきれいな背開きは、塩分濃度3%の水に浸けたのち、天気と相談しながら干す。干し時間も決まっていて、そのこだわりには、自然だとか命に対するリスペクトを感じる。というか、そういうことなんだとヤマメを焦して分かった。

くる日もくる日もヤマメやイワナを締めると、魚に対する愛着が増してくる。ありがとう、ごめんね、という気持ちが湧き上がることもある。だからこそ、ベストな状態や調理法で食べたい。そういうことだ。自分で手を下していることも大きいと思う。

自分の日々の生活で、大切にできるものは実はそれほど多くないと思う。私はここ3年で、破損を理由にスマホを3回も買い換えた。今日は、だらだらと映画を見て時間を潰してしまった。これから夕飯の準備だ。いただく命くらいは、大切にしたい。

もしよかったら、シェアもお願いします!