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感謝のトレーサビリティ

ここ2年くらい、自分の中で「トレーサビリティ」という言葉がバズってて、どれくらいバズっているかというと、その言葉に突き動かされて南米へ取材旅行にいくほどだった。それは、安全意識からくる興味というより、罪と感謝の意識によってなかば義務感が生じて起きた行動といえた。帰国後もそれは変わらずで、また別の形で「トレーサビリティ」を具現化できる企画を計画してきたけど、この社会状況下で停滞している。

ぼくの中でのトレーサビリティは、その重要性に2つのレイヤーを持っている。一つは、プロダクトの生産過程や原料の調達元および経路が追跡可能ということ。特に輸入品目については、現地における生産者の暮らしや、環境負荷、適正な支払いが生じているかなどといった情報もあるとなお良い。それは、安全・透明性の確保と社会的責任のレイヤーだと思う。

そしてもう一つは、そうした情報を持つプロダクトと、消費者である自分の関係性を認識できるというレイヤー。これは個人的なことだけど、自分を位置付けるためにはすごく大切で、トレーサビリティが確保されていても情報公開されなければ、このレイヤーまで到達しない。

ぼくがすごくイカしていると思うのは、小さな新聞社に務めていたときに取材した、FABRIC TOKYOという会社のスーツ。ウールの生産者からインドの製糸工場、日本の縫製工場と原料がさまざまな過程を旅してプロダクトになることを、ウエブサイトで分かりやすくかつ魅力的なビジュアルとともに伝えている。このスーツの購入者は間違いなく同社のアクションに共鳴した人物で、スーツを纏う自分を、それを取り巻く生産世界に定位できていると思う。物流事業者まで公開しているようなプロダクト、そんなにたくさんあるだろうか。情報公開に協力する大和物流にも親近感を覚えてしまう。

飛騨市に引っ越してきてすばらしいと感じているのは、食と住に関するトレーサビリティーがそこまで詳細ではないものの、より理解・想像しやすいところ。生産世界に対する消費者(自分)の定位において、輸入商品と県産品の間に難易度の差があることは明らかだろう。手元に届くまでのプロセスの複雑性や、地理的な距離が違いすぎる。例えば、メキシコのマンダリンオレンジ農家がどんな暮らしをしているかはあまり想像できないが、それに比べて飛騨のトマト農家の暮らしはイメージしやすい。少なくとも飛騨市在住のぼくにとっては。

今の生活だと、米は友人がつくったものだし、ほうれん草ももらいもの、他の野菜も多くは県内あるいは近隣県産。スーパーに行けば、岐阜や富山県、長野県など近隣地域を産地とする食品がたくさん陳列されている。ただ、タンパク質は卵以外はけっこうあやしい。だからチャンスがあれば、渓流釣りに行っている。漁協の人たちとも仲良くなった今、ヤマメはフルトレーサビリティだ。

住に関していえば、空き家を借りているのでさすがに木材の調達については把握していない。が、家の所々に継手が見られるあたり、作ったのは地元の大工だろう。継手は証で、ぼくと大工も結んでいる気がする。そういう人のおかげで、昨日今日の地震に怯えながらもなんとか暮らしていけている。有難い。生産世界と自分の間に関係性を見出せばこそ、感謝の仕方が分かるものだ。

そう、つまり飛騨は、感謝しやすい土地だ。おそらくこれは、飛騨に限ったことではなく、多くの地方にいえることではないだろうか。そして、感謝できるっていうのは、ささやかながら幸せなことだと感じる。だからこの土地に、できるだけ長く住み続けたいと思っている。

さて、そんな飛騨のクルミで作ったコースターを無料配布する企画をやっています。Googleフォームに宛名と住所を記入するだけで、産地直送のコースターをお届けします。詳しくは以下のnoteから。


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