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あがり症をどう生きるか?~「あきらめ」と「あるがまま」の違い

あがり症は逆説の病です。

あがることをこれはいけないと捉え、何とかしようとすればするほど却って症状が悪化する。

いわば努力逆転の病とも言えるでしょう。


ではどうすれば良いか?

二つの考え方が挙げられるでしょう。

まず最初に「あきらめる」という発想があります。

あがり症は治りっこない、症状と闘っても余計に悪くなるとして、呼吸法をやったり、座禅を組んだり、恐怖場面に備えて準備するといったような、治るためのこれまでの努力を放棄するのです。

具体的には闘う場面を避けて、自分に合った環境や自分に合った交友関係内での人生を送るというやり方です。

そもそも人との関わりが苦手なんだし、努力すれば却って悪くなりかねない。

だったら一人でできる仕事を見つけ家族やごく少数の知り合いや友達との関わりのみで生きていけばいい。挫折経験も少なくなる。

それが自分が傷つかない最も安全な生き方なんだと。

確かに、漫画家、農家、小説家、研究者、職人、主婦といった一人仕事はいろいろありますし、コロナ過が拍車をかけて、ネットなどによる全く人と関わらない仕事は更に増えていくことでしょう。

これは、確かに有効な対処方法であり、人によっては私もこの生き方を勧めるでしょう。

特に内気な方や、人との関わりをあまり望まぬ人嫌いな方がそうです。

彼らはこの生き方を受け入れるかもしれません。

では、森田神経質と呼ばれる純粋な?あがり症タイプの人はどうか?

繰り返しますが、あがり症は逆説の病です。

あがる自分を否定すればするほど余計あがる。

努力はすればするほど倍返しになる。

人との関わりを求めながらも人との関わりを恐れる。

彼らは向上心や理想が高いがゆえにこそ苦しんでいるのです。

果たしてそんな彼らが、恐怖場面を回避して人との関わりの少ない環境で生きていくことを良しとすることができるでしょうか?

私には想像できます。

きっと彼らがその環境に入ることができたのなら、ほっと安心するのも束の間、自己否定の思いがじわじわと湧いて出てくるに違いありません。

そしてやがて、人生の中で自分の課題から逃げおおせることがいかに難しいことかに気付くでしょう。

彼らは今の自分を受け入れることがなかなかできないに違いありません。

これが「あきらめる」という選択の私が想像する結果です。


では別の選択肢は何か?

それは「あるがまま」の姿勢です。

不安や緊張などの症状に対して、抵抗したり否定したりしないであるがままに受け入れる姿勢は「あきらめる」という選択肢と同じでしょう。

しかし、症状はあるがままにして、本来持っている向上心やより良く生きたいという思いに沿って、なすべき事をなしていくという所が「あきらめ」と違うのです。

つまり症状に対しても「あるがまま」、向上心に対しても「あるがまま」なのです。

つまり、緊張すればするがままに、ビクビクすればするがままに恐怖突入していくのです。

恐怖突入がいかに恐ろしいことか、それは間違いないでしょう。

しかし、これが「あがる」ことに直接にアプローチせずして「あがる」ことを軽減させる最も近道な方法です。

あがることを回避し、安全を求めて人との関わりの少ない隠棲的な人生を選ぶのか、

あがることはありながらも、より良く生きたいという思いに沿って困難に立ち向かう人生を選ぶのか、

それは誰が決めるのでもない、あなたがあなたの人生を決めるのです。


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