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津山の干し肉に触れ

大学院での勉強を目的としていた在米時の四年間、大学院での勉強の他に限られた在米中のミッションとして2つのテーマを掲げていた。一つは、それまでいくつかの州へは行ったことはあったが、在米中に行ったことのない全ての州に可能な限りロードトリップで訪れるというもの、もう一つがアメリカの料理文化を肉を中心に見識を深めると言うものだった。そして約四年の在米中、一度も帰国することなく、休みとなればロードトリップに出発し、ステーキハウスや肉料理の店を訪ね、日常的にBBQグリルで肉を焼く生活をしていた。それ以外でしていたことは勉強のみで、資源の集中と選択という意味では徹底的に成し遂げることができたものと認識している。

特に肉については、BBQグリルで365日のうち300日以上は肉を焼いていた気がする。おかげで、はじめは黒焦げの肉や、生肉を食べて気持ち悪くなったりしたものだが、後になって随分と肉の扱いはうまくなったし、外国人が日本人ほど魚の味がわからないのと同じで、日本人である自分が肉の味なんてものをどれほどわかっていなかったのか、そして日本にはつくづく肉食文化がないものだと言うことを知ることにもなった。

日本における肉食文化は、仏教文化の浸透と、島国であることから漁獲資源が豊富であったこともあり、鎌倉時代以降急激にその地位を弱め、滋養食と、一部地域の特異な食文化として残った以外は、一般的に広がっている食文化としては江戸時代後期までは鳴りを潜める。明治に入り、西洋文化の流入とともに、随分と肉食文化は広がり肉を食べる文化は根付いたが、どうにか食べているか、もしくは外国から輸入されたレシピをモディファイしてそれらしき料理に模倣する程度のもので、魚と比較するとその知識も食べ方も浅く食文化としての成熟度は高くはない。いっぽうで、日本人にとっては、最も歴史の長いオリジナルな肉料理であるすき焼きは、和牛というくさみの少ない良質の脂肪を豊富にもつ世界を魅了する肉の開発までこぎつけている。

4年間、毎日毎日肉を食べ、あれこれ肉について考えていた者にとっては、帰国後、先に書いたとおり、すき焼き以外は誇れるような肉文化がなく、肉の旨味とは熟成に集約される肉文化の成熟度が高い地域への劣等感を感じる毎日であった。(そもそもすき焼きは肉の味ではなく、和牛の素晴らしい脂質を楽しむものと心得ている)

ところがある日、NIKKEI STYLEの中で、日本に脈々と伝わる肉文化が紹介されていた。https://style.nikkei.com/article/DGXKZO85336350W5A400C1EL1P01/
それが津山の干し肉である。この記事を見つけたのがいつのことだか、正確には記憶していないが、熟成肉を標榜するものの、熟成とは程遠い仕上がりの肉を立ち食いでステーキとして食べさせる店が流行ったり、ルースクリスやウルフギャングのステーキが、ブランドとしてのみの評価で熟成肉のその旨さについて語られないことについて(グルメの間でも)、憤りに近いフラストレーションを抱えていた僕にとって衝撃的な記事であったことは間違いない。


干し肉とは、大きく分けて2つのスタイルが在る。一つはビーフジャーキーに代表される、肉を短冊状に切って、塩やスパイスをまぶしたものを乾燥させるもの。もう一つが、温度と湿度を管理しながら、肉の熟成を待つことを目的としたもの。例を上げると生ハムや金華ハム、そして先に上げたいわゆる熟成肉のステーキとなるものである。どちらにしても、肉の保存を目的としており、結果として旨味が凝縮されたり、タンパク質がアミノ酸へと変わることで、味という点に置いて副産物的に大きなリープが見られたことから、世界中で食材として生肉と同じくらい愛され利用されている。

対する津山の干し肉は、NIKKEI STYLEの記事を読む限りに置いては、干し時間は短く、熟成を待つものではないようだが、肉食文化の在るところで肉が凍らない環境下では肉を熟成させる文化が必ずと言っていいほど在ることを考えると、数百年の肉食文化の在る津山にはそれが在るのかもしれないと考え、訪問のチャンスを伺っていた。日本では食肉用の家や豚が育てられていた根拠は薄く、津山でもあくまでも使役牛が死んだ時に、それを食料としたものか、祭り等のイベントで屠殺したものを食べたのではないかと推察するが、イベントで牛を屠殺するような文化があれば、そのような資料が残っている気がするのでおそらく前者であることが推察できる。そして、牛一頭分というフレッシュな肉は、当時の薬としてや、滋養強壮職として食べられていた肉食文化を前提にすると、村一つでもなかなか食べきれるものではない。飽食の自体と飽食の国に住んでいる我々にとっては、時間があまりないが、肉食文化のある地域においても一人前の肉とは150g程度といわれていて、日常的な食事ではもっと少ないこともある。津山で起こった百姓一揆の高倉騒動が300-400人規模であったという情報が正しいとすれば、百姓一揆はいくつかの集落が一同に集い実施されるものであることを考慮したり、一揆に参加するのは15歳以上の青年から成人で、女子供や年寄は参加していないことをもとに計算すると、おそらく一つの集落は100-150人程度。間を取って125人として、125人×150g=約19キロにしかならない。現在食肉用のうち一頭が700キロで、そのうち300キロ程度は肉になる。使役牛は痩せているとはいえ、取れる肉は100キロは下るまい。
残り80キロの肉は、そのままにしておいたら腐るだけであるから、保存を目的として干し肉は誕生したのであろう。それを数百年続けていれば、熟成肉を楽しむ文化があるかもしれないとほくそ笑むであった。


ところが、月日が流れるばかりで、訪津山のチャンスはなかなか訪れることなく、優先順位も下がっていく一方であった。ところが、小規模ながら、SNSで肉を販売する会社主催の料理コンテストというのにエントリーした時に知り合った(そのコンテストの優勝者)である、津山在住の料理研究家(98%プロ料理人)にその話をしたところ、色々とリサーチをしていただき、アテンドのオファーまでいただき、津山訪問と相成った。

津山では精肉店で干し肉を売っている場合と、干し肉専門店で売っている場合があるが、どちらに置いても肉屋さんと言う位置づけのようで、干し肉専門店でも精肉店と名乗る。地域の文化として干し肉がイベント時の特別食ではなく、日常食であることが伺い知れる。津山の干し肉は、短冊状に切った肉を塩や、その他の味付けをしてシンプルに一日ほど干したもの。津山の干し肉に厳密な定義はなく、ふわっと前述程度の認識のようだ。

いくつかのお店では、それなりに突っ込んだ話をしてみたが、「企業秘密で答えられません」なんてこともなく、まぁまぁフランクに教えてくれる。それくらいシンプルで、差別化と言うよりも好みによって、消費者が購入する店を変えているのではないかと考える。


干し方も、天日干し、乾燥機、屋内で扇風機に当てると、店によってやりかたは色々であるが、乾燥すればそれでいいという程度のもので、水分量も対して気にしていなさそうな雰囲気であった。

使われている部位は、どこで聞いてもモモとしか言わなかったが、どのお店の干し肉も少しの脂が入った赤身だったことからこれも間違いないと思う。

誤解のないように前置きしておくが、津山の肉食文化に対しては絶対的なリスペクトを持って臨んでいるし、今もそうである。しかしながら、津山の干し肉とは、家庭で作る味噌汁のようなもので、何でもありな気がする。有り体に言うと肉の干物である。それ以上でもそれ以下でもない。僕らが口にする魚の干物は、固く干しているものもあれば、生っぽさが残るものも在るし、塩だけのものもあれば、くさやみたいな干物液煮付けたものも在るし、みりん干しも在る。でも全て干物で、僕らは納得して食べている。つまりゆるいのだ。ゆるさ故に、いろいろな店を、地元の料理研究家の方に連れて行っていただいて、なおかつ、帰宅後に回りきれなかった店の干し肉も送っていただいた。それでなお、食べ比べれば比べるほど、比べる意味さえわからなかった。普通に美味いんだけど、それ以上でもそれ以下でもない。あったら食べるし、売っていたら買うことも在るだろう。でも津山に足を運んで食べることが在るのか?お取り寄せするのかと聞かれたら、答えはNO。まったくもって申し訳ない気分でいっぱいだが、これが正直な答えだ。実は、この企画を考えた際には、各店ごとの比較をして、津山干し肉MAPというのを作るつもりでいたが、きっと誰もそんなことを求めていないし、する必要がない。誰の家の味噌汁が一番うまいか?ということを語っても仕方ないし、各戸の味噌汁の特徴を並べ立てたところで、だからどうしたで終わるものだからだ。いや、もっと正直なこと書くと、各店舗の比較はできた。それなりに違う。だけど、津山の干し肉文化はふわっと地元に浸透しているもので、お店に干し肉の歴史を聞いてもみんな揃えて首を傾げるようなふわふわした感じのものであり続けて欲しいと思ったから、あえて比較や特徴を述べることは避けることにした。

そして、僕の最大の期待であった、日本の食肉文化において、僕が知りうる限り存在しない熟成肉として成立するかであるが、これについても、僕が食べ比べた中ではNOと言わざるを得ない。幸家精肉店のものは、ほのかに熟成が進んでいたが、これはおそらく狙ってそうなったと言うよりも、食べ比べが思いの外捗らず、拙宅のチルドルームで熟成したものではないかと思っている。

まとめ
津山の干し肉とは、牛肉の干物である。干物よろしく、旨味がぎゅっと濃縮されており美味しいが、ビーフジャーキーのようにきつい塩気はなく、なおかつ余計な味付けがされていないせいか食べ飽きずに手が伸び続ける。冷めても美味しいので、糖質制限をしている人にとっては、ランチを含め良い行動食ではないだろうか。

余談
津山の肉食文化は、それなりに歴史を持っていることもあり、心臓の血管を開いた「ヨメナカセ」、スネ肉を醤油で甘辛く煮てコラーゲンで固めた「煮こごり」も干し肉を売っているお店では必ずと行っていいほど売っていた。興味深かったモツ系は、ホルモンうどんとして消費されているらしく、津山の食肉文化はしっかりと地域に根づいていることを感じた。5ミリ程度の薄切りにして、焼いて食べろというのが定石のようだが、松義精肉店の大将がおすすめしていた、丸のまま焼いて、それを叩いて軽くほぐしたものをスライスするほうが食べやすいし、旨味も感じやすかった。家でもかんたんに作れると思う。

もっと余談
ビーフジャーキーは、最もプリミティブな肉の保存方法だが、なぜだか日本では肉を干したあとにスモークを欠けることが当たり前のように語られるが、スモークなんてしないのが普通のもので、スモークをかけるものはsmokedとして売られてる。しかしながら最近では、燻製液とかいう燻製したかのような匂いをつける代物を使っているところが多い。干した肉に燻製をかけるというのは、防腐作用を期待していることが多く、ハムやソーセージでもスモークをかけることは一般的であるが、あくまでもオプションとして行われる。ビーフジャーキーもハムもそうだが、乾燥した肉の保存性は高く、湿度の低い環境下でカビや虫に気をつければ、年単位での保存が可能となる。そして熟成だが、津山の干し肉や、ビーフジャーキーは、熟成を待たずに乾燥が進んでしまうために、熟成する事により旨味が増すことはあまりない。一方で、ブレザオラやプロシュート、金華ハムというようなでかい塊肉を塩漬けして干すことで、熟成が進み旨味が増す。この熟成はある程度の質量と水分量があれば起こるので、上にも書いたが津山の干し肉も温度管理をしっかりすることで十分可能性はある。いずれやってみたい。




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