夏の催眠術。推しメン(太田夢莉さん)の卒業発表に寄せて。

以下、アラサー限界オタクの異臭が匂うので注意してほしい。


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2019/09/04、人生で初めての推しメンである太田夢莉さんがNMB48から卒業すること、" アイドル " を辞めることを発表した。NMB48、夏のツアーの初日。チケットを応募し無事に当選した一方、料金振り込みを忘れその権利を失ってしまった僕は会場ではなく、仕事からの帰り道、当日の様子を知るために繰り返しスクロールし確認していたTwitterからそのことを知った。いつもそうだ。大体のことはTwitterで知る。

「そうなんだ。」とただ事実を受け入れ、その段階において何らかの感情が湧くのでもなく、Twitterを閉じ、その日の晩ごはんを食べることを予定していたカレー屋へ向けて歩くスピードを加速させた。只の食いしん坊おじさん。

帰宅するや否や横になると、知らぬ間に眠りに落ちており、夜の深くなった変な時間に目を覚ます。正しく記憶はしていないのだが、どうやら太田夢莉さんに関する夢を見ていたようで、起きた瞬間に卒業のことを「何だ、夢か。」などと一瞬思ったけれども、そうではないことを、現実に身体を馴染ませることで認識する。


もう少し先のことだと思っていた。根拠が何かあったわけではないけれども。そうであればなぜ、" アイドル " という職業は期間限定であるという前提を正しく理解していたはずなのに、そのような、自分に都合のよい解釈をしてしまっていたのだろう。卒業までの期間を正しく見積もれていたとして、多少変化はあれど、何かアクションが大きく変わったとは思わないけど。大切な、限られた時間だということを忘れ無為に過ごしてしまう。大体のことにおいて、いつもそうだ。学ばない。

とはいえ、正直なところ、まだ実感がない。最終活動日や卒業公演・コンサートの日程が発表され、何をやるにも『最後の』という冠言葉が付き纏うようになり、それを見て・経験して、その過程において実感を増していくし、寂しいという気持ちも強まっていくのであろう。芸能活動を継続するそうなので、卒業のタイミングでばっさりと情報が途断されるわけではない。推しメンはこれからも生き続けるし、その情報も少なからず受け取れるであろう。

けれども、歌って・踊ってのパフォーマンスを見る機会というのは、もうおそらく終わってしまうのである。なんばの街の、周囲には、なんばグランド花月、ドンキホーテやわなかがある、地下の狭い劇場で躍動感あるパフォーマンスを見る機会というのは確実に失われるのである。僕は、少なくとも現段階においては、太田夢莉さんのそういった面にもっとも魅力を感じていたので、ただただ寂しい。努力した素振りを微塵も見せないけれども、歌もダンスも確実に上手に変化し続けるという面含めて。向上心があり、真面目なのだ。

まだまだ19歳の若きエースである太田夢莉さんに対し、「これからなのに」という意見を沢山目にした。僕もそう思う。一方、周囲がそう思うのに対し、当事者自身は随分とやり切った気持ちを持っているというのは、これとは別の局面でも散々経験しているし、本音のところは分からないけど卒業理由が「NMB48が大好きだからこそ、グループが安心できる居場所になりすぎて、このままではNMB48の存在と自分に甘えてしまうと思ったから。」という点に関してはよかったなと思う。一度は心身ともにズタボロになり、活動を休み、「一生人前に出たくない」とまで言った彼女がそこまでやり切れたことに対して。もちろん、10代の人間に対しそういった過程を経験させることが必要だったのかは分からないし、そもそも、本来的にはその可能性を秘めているプロセスが意図的に作り出されていることなんてあってはいけないのかもしれないけれども、そういった選択肢が存在した上で彼女がその道を選択してきたことは事実だし、その前提において悪くない仕上がりとなったのは救いだ。


卒業するまでの期間、NMB48の一メンバーとして、アイドルとしてしたいことを残さず全てやってほしいなと思う。ただ一方、オタクには、そう思うことしかできない。それは、これから先も変わらない。彼女のしたいことを直接的に叶えることはできない。無力なのである。こういう時、偉くなるしかないなと思う。何ものでもないオタクは無力で、直接的な何かを与えてあげることなどできないのだ。唯一出来ることはポジティブな感情を伝えることのみで、オタクを総動員しそれを届けることで、何かが変われば素敵だなと思う。自分たちに救いを見出すために信じるしかないのだけど。

取り敢えず、卒業発表お疲れさまでした。


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