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花束みたいな恋をした


相手を好きになった理由

物語前半、二人の会話は共通言語としてお互いが保有する固有名詞で大部分が占められる。あなたと私は"同じであること"を確認し合う役割を果たす。麦にとっては、それが恋の理由だったし自身の"承認"に繋がった。絹にとっては興味の入口にすぎず、恋の理由はお店の人に感じいいとことか、歩幅合わせてくれるとか、「電車に乗っていたら」を「電車に揺られていたら」と表現するとことかに代表される、麦が保有する性質そのものではなかったのかと思っている。


距離を縮めたコミュニケーション

前半部のコミュニケーションを投げかける主体は両者が担う。押井守を私も認識していたと絹は麦に対し共有するし、卵内さんに一緒に飲もうと誘われるが麦は絹を追っかけるし、絹はミイラ展に麦を誘い、麦はガスタンクを見に絹を誘う。相手が関心を持ち自分が興味のないことに関してそのことをお互いに隠すし(ミイラ展とかガスタンクとか)、お互いがお互いに相手が何を考えているのだろうか想像力を働かせる。

絹:友達だって思ってるのかな
麦:話が合うからってだけなのかな
麦:好きかどうかが、会ってない時に考えてる時間の長さで決まるなら、間違いなくそうで


恋愛に対するスタンス

恋愛に対するスタンスは最初から異なっている。絹は恋愛のことを"はじまりはおわりのはじまり"だと思っているし、新幹線で静岡に出掛けた時に"わたしたちのパーティーは今が最高の盛り上がり"だと捉えている。一方、麦は恋愛はいつまでも続くものだと解釈しているのではないか。

絹:絶対別れないって自信がないとお揃いのタトゥーは彫れないよね
麦:あれ、絹ちゃんは自信ないの?
絹:麦くんが浮気する可能性もあるしね


東京

絹は東京出身で元々住んでいた土地であり、麦は新潟出身で意思を持ち住み始めた街だ。逆説的に言えば、絹はそれを選択しない限り東京に住み続けるだろうし帰る家が同じ土地にあるが(実際、物語の最後、絹は実家へ戻る)、麦がこの街で暮らし続けるためには"闘い続ける"必要がある。麦が働くことを決意するのも、親から仕送りを止められるタイミングである。行動を起こさなければ、この街で暮らし続けることはできない。


麦にとっての仕事

あくまで生活における一番大切なことは絹との現状維持であり、仕事はそのための手段だった。故に、五時には必ず帰れることが何よりも良いとこだと思っていた。一方、自分の大切なことであるイラストが唯一の収入源だった時は理不尽な目にもあったし、稼ぎも大きくなかったが、就職してみると、大変なことももちろん多いけれども、どこか報われる部分がある。


変わってしまう麦と変わらない絹

麦の生活の優先順位は無意識のうちに徐々にズレていく。その結果として、麦は仕事のことばかり考えて絹が何を考えているか、どう思うかなどは全く想像しない。仕方ないのだ、本質的に麦にとっての仕事とは、"闘い"なのだから(だから、本屋では前田裕二の『人生の勝算』を手に取る)。

絹:パン屋の大木さん、お店畳んじゃってたよ(涙マーク)
麦:駅前のパン屋で買えばいいじゃん

絹はNintendo Switchの音が大きくて邪魔にならないかなとか、仕事が大変なのかなとか、麦を気にする。決定的な違いを示すのは、お互いが知る先輩が亡くなった時のことである。絹は、亡くなったことはもちろん悲しかったけど"彼と同じように"悲しむことはできなかったと思うし、そんな自分が嫌になって翌朝その旨を伝えようとする。一方、麦は、"自分と同じように"悲しんでくれない絹に対しなんかどうでもよくなってしまう、絹からの承認/同意が完全に欠落したと感じる。その日に至るまでのコミュニケーションは、当初は投げかけが互いにあったが、原則、きっかけは絹から麦への一方向的なものへと変化している。けれども、麦はそこに自覚的でないし、広義の現状維持をしているつもりである。だから、三ヶ月セックスしてない恋人に結婚の話を持ち出す。麦も自身の変化を自覚する。今村夏子のピクニックを読んで何も感じなくなっているであろう自分に。だからと言って、麦にとって恋愛の継続に対しそのことは関係ない。


そして...

恋愛に対するスタンスは当初から異なっていた。何なら、絹の方が最初からいつかは終わるものだと思っていた。けれども、嫌、だからこそ、継続の努力をしていたのは絹の方だったのだ、その思いに基づく行為が正しかったかどうかは別として。麦にとっては、恋愛はいつまでも続くものだったし(一度別れを決意しそのことを伝えようとする最後のファミレスのシーンでさえ、その気は拭えない)、受け取るばかりの、双方向的ではないその時々の自身に合わせ形を変えて届けてくれる"承認"を得られるか否かが関係性の維持に対しては肝だったのだ。だから、自身から寄り添う努力は必要なかった。また、麦は無自覚だったかもしれないが変わってしまった結果、絹の愛した彼は失われてしまった。一時的に別れるか否か二人ともが揺らぐが、かつての自身たちを投影した若い二人を見て、変わってしまったことともう戻れないことに両者とも完全に気付いてしまう。だからと言ってどちらが悪いのでもない。仕方のなかったことなのだ。絹の愛した麦のある側面の変化は外部環境が組み合わさった結果だし、絹にとってもいずれは終わると最初から結論付けられていたのだから。


余談

それぞれが次の恋人に選ぶのは、絹は年上で、麦は年下だ。前者は大いに納得感があるが、後者はマジか!?と。結局、どこまでいっても自身を変化させるつもりのない、変えるつもりのないことを示しているのだろうか。承認は、一般論で言えば、年上よりも年下からの方が得られやすいと思う。尚、相手の求めているものを提供できるかどうかはまた別の話。

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