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毎週一帖源氏物語 第二週 帚木

 先週の記事で「(桐壺巻には)「光源氏」という名は登場しなかった」と書いたが、帚木巻の書き出しが「光源氏」となっていて、こけそうになった。なんだ、本文でもそう呼んでいる箇所があったのか。ならば、堂々と「光源氏」と書いてよいわけだが、簡単に「源氏」で済ませてしまおう。

帚木巻のあらすじ

 源氏は十七歳になっているらしい。物忌(ものいみ)で宮中にこもっているところに、頭中将(とうのちゅうじょう)がやって来る。葵の上の兄であり、源氏にとっては義理の兄に当たる。話は自然と女のことになる。頭中将は、中流の女こそ個性的で、他から際立つ点が多いと述べる。「中(なか)の品(しな)になむ、人の心々、おのがじしの立てたるおもむきも見えて、分かるべきことかたがた多かるべき」(49頁)。この命題をめぐって、合流した左馬頭(ひだりのうまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)が議論を交わす。そして、源氏以外の三名が自らの体験談を紹介する。
 こうして中流の女に対する関心を呼び覚まされた源氏は、方違(かたたが)えのために訪れた紀伊守(きのかみ)の邸で、その実例を知ることになる。紀伊守の実父である伊予介(いよのすけ)は、年甲斐もなく、故衛門督(えもんのかみ)の娘を後妻に迎えている。伊予介は任国に赴いており、後妻は紀伊守の邸にいるのだ。かつて衛門督は娘を入内させたいと思っていたが、それが今やしがない受領の後妻に収まってしまった。当人も、心は晴れない。そこへ突然、高貴な身分の源氏が忍んできたため、女はうろたえたまま身を委ねる羽目になる。源氏はその後も関係を保とうとして、女の弟に当たる小君(こぎみ)を連絡役に仕立てるが、女は彼我の身分の違いを思って、もはや源氏の誘いには応じない。

序盤の難所

 いきなり序盤の難所である。学生時代に現代語訳で『源氏物語』を読もうとしたときも、この帚木巻でつまずいた。何とか読み切って、さらにその先の須磨・明石くらいまで辿り着きはしたものの、帚木巻で勢いをそがれたことが、物語の世界に没入する妨げになったような気がする。
 他のジャンルと比べた場合、物語のいちばんの魅力は筋(ストーリー)の面白さであろう。もちろん、心理や風景の描写が巧みであるとか、考察に深みがあるとか、そうした点も魅力になりうる。しかし、ページを繰るのがもどかしく感じられるほど熱中できるのは、筋が大きく展開する部分だ。帚木巻の前半には、それがない。四人の男が、女の良し悪しをああだこうだと論じている。それがどうした、と若い頃の私は思ってしまった。だから、今回もかなり身構えていた。

ディセルタシオンとしての「雨夜の品定め」

 ところが、原文で挑んだ帚木巻は、あまり退屈せずに読めたのである。私もそれなりに読書経験を積んだからか、筋が停滞しているところが苦にならなかった。プルーストの『失われた時を求めて』を、翻訳ながら読破した効果かもしれない。
 帚木巻は、「雨夜の品定め」と呼ばれる(夕顔巻で作者自身がそう呼んでいると解説に書かれていた)前半と、一般に空蝉と呼ばれる女(帚木巻ではそう名指されていないので、上のあらすじでは私はその呼称を避けた)との出来事を語る後半に分けられる。このうち前半は、どういう女が理想的かを論じる部分と三人の体験談という具合に、さらに二つに分けられるのではないだろうか。両者の境目には、左馬頭が自分の失敗談を披露しましょうと申し出て、源氏がそれに反応するくだりがある。「「……そのはじめのこと、すきずきしくとも申しはべらむ」とて、近くゐ寄れば、君も目さましたまふ」(61頁)。源氏と同じく、多くの読者もここで目を覚ますことだろう。
 さて、話は大きく飛ぶ。フランスの教育現場では、ディセルタシオンという小論文が実践されている。ある課題が与えられ、それを多角的に論じることが求められる。理想的には、弁証法形式がよい。つまり、まずある立場から議論を展開し(テーゼ)、次にそれとは逆の立場から問題を論じ(アンチテーゼ)、最後に二つの立場を乗り越える視点を導入する(ジンテーゼ)、という流れである。弁証法形式で問題を論じられるということは、ものごとを俯瞰する能力を持っていると示すことであり、それが高い評価につながる。ディセルタシオンの何たるかについてさらに深く知りたい方には、渡邉雅子『「論理的思考」の社会的構築──フランスの思考表現スタイルと言葉の教育』(岩波書店、2021年)をお勧めする。
 『源氏物語』に話を戻すと、「雨夜の品定め」はすぐれたディセルタシオンの要件を満たしているように思われる。議論の説得力を増すためには、命題を補強する具体例が欠かせない。理屈ばかりが空回りしてはならないし、具体的な話に終始するのもよくない。命題と具体例は、車の両輪なのだ。その観点から「雨夜の品定め」を見ると、中流の女がよいという結論が体験談から無理なく導かれているように読める。そこから源氏の恋愛事件が生まれるので、物語の運びとしてもよくできている。

「中の品」は中流か?

 ここまで「中の品」を中流と見なして記してきたが、上中下という区分は貴族社会内部の話だということを忘れてはならない。中の品といっても、それなりに身分は高いのだ。衛門督は従四位下相当だが(85頁頭注十三)、帝を父に持つ源氏から見れば格下になってしまう。大相撲で言えば、源氏は横綱で中の品は平幕といったところだろうか(下の品は十両で、幕下以下は論外)。平幕が横綱を倒せば金星だから、確かに源氏と中の品の女とでは不釣り合いだろう。

伏線回収の楽しみ

 「雨夜の品定め」で頭中将が披露する体験談(71-74頁)は、夕顔巻につながるらしい。気づかずに通り過ぎるのはもったいないが、かといって前もってあれこれ知りすぎるのも味気ない。難しいところである。知ってしまったことは仕方がないので、せいぜい夕顔巻でどうなるかを楽しみにしておこう。

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