小関武史

大学教員。18世紀フランス文学・思想史、とくに『百科全書』を中心に研究しています。ここ…

小関武史

大学教員。18世紀フランス文学・思想史、とくに『百科全書』を中心に研究しています。ここでは研究から一歩離れて、本、演劇、映画、美術などについて書いてみようと思います。

最近の記事

毎週一帖源氏物語 第十九週 薄雲

 物語が大きく動くところは、やはり読んでいてもおもしろい。中だるみの危機をひとまず乗り越えられた。 薄雲巻のあらすじ  若君の袴着を立派に執り行いたいと願う源氏は、娘を手放すことになる女の気持ちを思いやりながらも、二条に引き取る。女も、娘のためにはそのほうがよいと自分に言い聞かせて我慢する。姫君は移ってきた初めのうちこそ大井の母君がいないことを寂しがったものの、すぐに二条の院の上になつく。源氏は年の内に大井を訪れるが、二条の「女君も、今はことに怨(ゑ)じきこえたまはず」(

    • 毎週一帖源氏物語 第十八週 松風

       今学期は「フランス語圏文学」という科目を受け持っている。安易な比較は慎みたいが、『源氏物語』を頭の片隅に置きながらフランス文学に接することが多くなりそうだ。 松風巻のあらすじ  二条の東の院が造営され、その西の対に花散里が移り住む。東の対は明石の御方のために確保されており、源氏は上京を促すが、女は決断しかねている。親としても悩ましい。大井川の近く、母君の祖父の所領だったところを修理させ、入道はそこに娘たちを移すことにする。源氏が造らせている御堂からも近い。こうして明石の

      • 毎週一帖源氏物語 第十七週 絵合

         新学期が始まった。私も今日から授業である。先週はプロ野球が開幕して大変だと書いたが、あれはもちろん冗談であって、本当に大変なのはこれからだ。 絵合巻のあらすじ  故御息所の娘である前斎宮が入内することになったが、源氏は院に配慮して、前面に立つことは避ける。前斎宮が伊勢に下向する折りに見そめて以来、院の気持ちは変わっていないのだ。入内に合わせて院が念入りに用意した御櫛の筥(はこ)などを見るにつけ、源氏は自分のやり方が強引であったと反省する。  帝にしてみれば、年の近い弘

        • 映画『ノルマル17歳。―わたしたちはADHD―』

           愛媛での先行上映に続き、東京でも公開された映画『ノルマル17歳。―わたしたちはADHD―』(2023年、日本、北宗羽介監督、80分)。公開二日目の2024年4月6日、アップリンク吉祥寺で見てきた。 (※ネタバレが気になる方はお読みにならないことをお勧めします。) 途中までのあらすじ  朱里(じゅり、鈴木心緒)の部屋は散らかっている。整理整頓は苦手らしい。就寝と起床の時間もばらばらで、学校には行ったり行かなかったりだ。朝早くに目覚めても、メイクに時間をかけすぎて遅刻する。

        毎週一帖源氏物語 第十九週 薄雲

          毎週一帖源氏物語 第十六週 関屋

           プロ野球が開幕した。それがどうしたと言われそうだが、阪神ファンの私は試合中継のテレビに吸い寄せられてしまうので、『源氏物語』を読む時間が減るのだ。夏になると週末もナイトゲームになり、「光る君へ」の視聴にも影響が出るだろう。 関屋巻のあらすじ  かつての伊予介は、故院崩御の翌年に常陸介となり任地に下向した。妻の帚木は当地で源氏の須磨流謫のことを聞き及んだが、便りを差し上げるすべもないまま年は過ぎる。源氏帰還の翌年の秋、常陸介一行は任期を終えて京に上る。逢坂の関に入ろうとす

          毎週一帖源氏物語 第十六週 関屋

          毎週一帖源氏物語 第十五週 蓬生

           源氏が須磨と明石での不遇の日々を乗り越えて都への凱旋を果たすと、物語としても山を一つ越えたような感覚がある。それでちょっと気が抜けたというか、続きを読む意欲が弱まっているのを感じる。気をつけないと。 蓬生巻のあらすじ  源氏が須磨に退居すると、支えを失って困窮する人々もあった。常陸宮の君もその一人である。邸は荒れ放題だが、姫君は亡き父宮の思い出が詰まった邸も調度類も売り払わない。女房たちも少しずつ離れて行く。  その叔母は受領の北の方になっていたが、身分を落としたことで

          毎週一帖源氏物語 第十五週 蓬生

          毎週一帖源氏物語 第十四週 澪標

           ここから第三分冊に入る。すでに読んだ箇所の記憶をたぐりながらでないと、理解が追いつかない。大事な場面を素通りすることも多くなりそうだ。 澪標巻のあらすじ  須磨で故院の夢を見たことが気がかりだったので、源氏は京に戻ると神無月に御八講を執り行う。  帝は心の重しが取れたようになっているが、先は長くないと考えて、二月二十余日、春宮に位を譲る。源氏は内大臣に昇進し、義父は太政大臣に、宰相の中将は権中納言になる。権中納言は子宝に恵まれていて、源氏はそれをうらやましく思う。  明

          毎週一帖源氏物語 第十四週 澪標

          毎週一帖源氏物語 第十三週 明石

           このシリーズ第二週の「帚木」で、私は現代語訳で『源氏物語』を読もうとした過去の取り組みに触れて「須磨・明石くらいまで辿り着きはしたものの、帚木巻で勢いをそがれた」と書いた。しかし、実はそこまで行かずに挫折したのではないか。しばらく前から、そんな気がしていた。明石巻まで読み終えた今となっては、自分の記憶を上書きしていたことを認めざるをえない。明石の上について、私には何の印象も残っていなかったからである。『源氏物語』の成立過程について、まず須磨・明石の巻の構想があったという説に

          毎週一帖源氏物語 第十三週 明石

          毎週一帖源氏物語 第十二週 須磨

           小学校高学年の頃、同い年のいとこと須磨・明石方面に遊びに行ったことがある。そのいとこ一家がもともと神戸市垂水区(まさに須磨と明石のあいだ)に住んでいて、当時は横浜に引っ越していたのだが、夏休みを利用して宇治の私の家に遊びに来ていたのだ。かつて住んでいた辺りを見てみたいというので、電車を乗り継ぎ子供二人で出かけてみた。  写真を撮ったような記憶がうっすら残っていて、探してみたらポケットアルバムが出て来た。日付は書いていないし、撮った写真もほんの数枚だ。順序としては先に明石まで

          毎週一帖源氏物語 第十二週 須磨

          毎週一帖源氏物語 第十一週 花散里

           私は大学教員なので、あるテーマについて週に一度のペースで話すことには慣れている。「毎週一帖源氏物語」と題してnoteに連載を書くことは、講義ノートを作る作業に似ている。それでも違うところが二つある。一つは毎回の分量にばらつきがあること、もう一つは長期休暇がないことだ。  夏休みや春休みになると、次の学期で行う授業の準備をする(今はまさにその時期だ)。さすがにすべての回の講義ノートを仕上げるには至らないが、ある程度のストックはできる。学期が始まると、少し余裕のあるときに講義ノ

          毎週一帖源氏物語 第十一週 花散里

          毎週一帖源氏物語 第十週 賢木

           あらすじはなるべく簡潔にまとめたいのだが、その後の読書メモが唐突に映らないようにするには、どうしても一定の分量が必要になる。触れておきたいことが多いと、あらすじも長くなる。結局のところ、自分が何を読み取ったかを端的に表しているのが、あらすじの文章だ。 賢木巻のあらすじ  六条御息所は、娘の斎宮とともに伊勢に下向するのに備えて、(嵯峨野の)野の宮で過ごす日が増えている。九月七日、源氏は野の宮を訪れて一夜を過ごすが、御息所の決意は変わらない。十六日、伊勢下向の当日に、源氏は

          毎週一帖源氏物語 第十週 賢木

          毎週一帖源氏物語 第九週 葵

          長めの前置き~天皇号と院号  私がまだ大学院生だった頃、中央公論社(当時)から『日本の近世』というシリーズが刊行された。「天皇と将軍」と題された第二巻(1991年9月)によって、私は天皇の称号には諡号(しごう)と追号(ついごう)の二種類があること、そもそも「天皇」という称号が千年近く歴史から消えていて、その間は「院」が用いられていたこと、などを知った(辻達也執筆第一章「権威と権力の葛藤」、藤田覚執筆第八章「国政に対する朝廷の存在」)。  「おくりな」と言われるように、天皇の

          毎週一帖源氏物語 第九週 葵

          毎週一帖源氏物語 第八週 花宴

           「花の宴」という音の響きを聞くと、どうしても「荒城の月」を連想してしまう。しかし、土井晩翠の詞に出て来る「春高楼の花の宴」と源氏物語の花宴巻とは、何の関係もなさそうだ。 花宴巻のあらすじ  「きさらぎの二十日あまり」(49頁)に桜の宴が催され、源氏は詩作でも舞でも称賛を集める。頭中将の舞も素晴らしく、帝から御衣を下賜される。  酔い心地の源氏が内裏・弘徽殿の細殿を歩いていると、美しい声で「朧月夜に似るものぞなき」(52頁)と吟じている女がいたため、源氏はその袖を捉えて契

          毎週一帖源氏物語 第八週 花宴

          毎週一帖源氏物語 第七週 紅葉賀

           私の手許にある新潮日本古典集成〈新装版〉の『源氏物語』は、第一分冊も第二分冊も「平成二十六年十月三十日発行」である(十年近く前だ)。ところが、第一分冊は「令和三年三月十五日 四刷」であるのに対して、第二分冊のほうには増刷の記述がない。張り切って一冊目を買ったものの、続けられなかった人がたくさんいたわけだ。長篇にはよくあることで仕方がないが、それでもせめて二刷くらいにはなっていてほしかった。古本屋で第一分冊だけ売られているかもしれず、とりあえずそれを手に取って原文に挑戦してみ

          毎週一帖源氏物語 第七週 紅葉賀

          毎週一帖源氏物語 第六週 末摘花

           古文を朗読する際、どんなイントネーションが適切なのだろうか。このところ、私は現在の京言葉を意識したイントネーションにしている。千年前と今では語彙だけでなくイントネーションも違っているだろうから、当時の口調からむしろ遠ざかっているのかもしれない。ただ、何となくやってみたくなったのだ。古文の「え何々ず」が今の関西弁の「よう何々せえへん」に当たるわけだから、まるで見当違いとも言えないのではないか、と自分勝手に得心している。 末摘花巻のあらすじ  夕顔を忘れられない源氏は、左衛

          毎週一帖源氏物語 第六週 末摘花

          毎週一帖源氏物語 第五週 若紫

           『源氏物語』を原文で読むに当たり、私は「検討の結果、「新潮日本古典集成」の全八巻を揃えることにした」(前口上)わけだが、その検討の中身というのは若紫巻の冒頭何ページかを新潮日本古典集成と岩波文庫で読み比べることだった(岩波が駄目だと思ったわけではなく、新潮のほうが傍注のおかげで視線移動が少なくて済むという判断)。試し読みからひと月ほどしか経っていないが、前よりも楽に読める。やはり、続けることは大事だ。 若紫巻のあらすじ  三月末、源氏は瘧病(わらわやみ)を煩い、北山に出

          毎週一帖源氏物語 第五週 若紫