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毎週一帖源氏物語 第十六週 関屋

 プロ野球が開幕した。それがどうしたと言われそうだが、阪神ファンの私は試合中継のテレビに吸い寄せられてしまうので、『源氏物語』を読む時間が減るのだ。夏になると週末もナイトゲームになり、「光る君へ」の視聴にも影響が出るだろう。

関屋巻のあらすじ

 かつての伊予介は、故院崩御の翌年に常陸介となり任地に下向した。妻の帚木は当地で源氏の須磨流謫のことを聞き及んだが、便りを差し上げるすべもないまま年は過ぎる。源氏帰還の翌年の秋、常陸介一行は任期を終えて京に上る。逢坂の関に入ろうとするまさにその日、源氏が石山寺に詣でる。常陸介の車列が道を譲って控えているところへ、色鮮やかな旅装に身を包んだ源氏とそのお付きの人々が関屋を出て通りかかる。女は昔を思い出し、ひとり歌を詠む。
 源氏が石山から帰るのに合わせて、今は衛門の佐となっているかつての小君が迎えに参上する。世間を憚って須磨に同道しなかった衛門の佐だったが、源氏は分け隔てなく接して、女への文を託す。女も逢坂の関に事寄せた歌を返す。
 その後、常陸介は亡くなり、その息子の河内守(かつての紀伊守)が女に言い寄る。女は継子に口説かれるわが身を嘆き、出家する。 

空蝉、再び

 先週の蓬生巻に続き、関屋巻も脇筋の続編だった。源氏を最初に袖にした女、空蝉(本文では「かの帚木」(85頁)と指し示されている)との後日譚である。すれ違う場所は京と石山寺のあいだのどこでもありえたわけだが、文学的には「逢う」を想起させる逢坂の関でなければならない。琵琶湖が「潮(しほ)ならぬ海」(88頁)であることも重要で、淡水では海松布(みるめ)、すなわち海藻が生えない。海松布は「見る目」に通じ、逢瀬が叶わないことを意味する。明石が海に縁のある土地であることとは対照的である。 

歌舞伎になりそうな場面

 関屋巻はとても短い(花散里巻と大して変わらない)。短いが、帚木巻の後半と空蝉巻のいきさつを思い起こせば、十二年に及ぶ歳月が一瞬のすれ違いのうちに凝縮されているような感興を覚える。この場面を読んだ私の脳裡には、舞台のイメージが浮かび上がった。歌舞伎の演目になりそうではないか。たとえば、こんな感じでどうだろう。
 舞台上には関屋(関所の建物)を作る。まず、上手から常陸介一行がやって来る。本当は京が上手で常陸が下手という配置にしたいが、花道は下手側なので仕方がない。間もなく関屋に着こうかというところに河内守が到着し、源氏の石山詣での知らせを伝える。それを耳にしてハッと驚く空蝉。夫の常陸介が「顔色が悪いが、いかがした」と尋ねるも、空蝉は「何でもありませぬ」と平静を装う。鈍感な常陸介は何も気づかない。
 そこへ先触れを立てて源氏の登場。花道からの賑々しいお出ましに、場内は一気に華やぐ。原文の「関屋より、さとはづれ出でたる旅姿どもの、色々の襖(あを)のつきづきしき縫物(ぬひもの)、括(くく)り染めのさまも、さるかたにをかしう見ゆ」(86頁)もまた、モノクロの画面が一瞬で色づくような見せ場になっている。
 中流貴族の常陸介は、今をときめく源氏のもとに挨拶に出向く。それで源氏は空蝉が近くにいることを知る。女車から覗き見える袖口から、それと分かる。ここから先は原作を少し脚色して、衛門の佐を介した歌のやり取りを関屋で展開させる。歌が舞台に不向きなら、もっと散文的な言葉の応答でもよい。いずれにせよ、源氏と空蝉の視線は交わらない。空蝉との思い出に区切りをつけた源氏は、さっぱりした面持ちで石山寺へと向かう(上手から退場)。しかし、空蝉のほうはそうはゆかない。京への道(花道)を急ぐ常陸介とは対照的に、空蝉は後ろ髪を引かれる思いでその場にとどまる。花道の途中から衛門の佐が「姉上、参りましょう」と促すが、空蝉は「はい」と言いつつその場を動けない。源氏が立ち去ったあとを眺めやり、よよと崩れ落ちたところで、幕。
 ジャンルにはこだわらないが、歌舞伎の様式が似合いそうな気がする。
 作者の紫式部としては、空蝉が出家した顚末まで語らなければならない。しかし、一幕物の芝居(あるいは短篇)としては、関屋の場面だけで完結させたい。

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