海老澤剛

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最近の記事

海老澤剛の生い立ち75-担任の先生方(U田先生、Y崎先生)

高校のときは、1年7組で担任はU田先生、2年、3年も7組でY崎先生が担任でした。 U田先生は、数学の先生で水泳部の顧問をされていました。真面目を絵に描いたような先生でしたが、その一方で1年7組というクラスは伸び伸びとした良いクラスでした。 個人的には1年3学期期末テストと共通一次試験で数学は満点を取れたのもU田先生のおかげと感謝しています。(共通一次の他の科目は散々でした...) Y崎先生は、わたしが初めて沖ヨガ修道場に行くときに「お前、殺されてくるなよ」と声をかけてくだ

    • 海老澤剛の生い立ち74-バスケット部 T居先生

      前にも書きましたが、高校のバスケット部には中学のときからの友人N男から誘われてなんとなく入ってしまった感じで、1年のときに何度も辞めようと思いました。 しかし、バスケ部のメンバーがとにかく個性的で面白く、バスケットそのものより、このメンバーに会うのが楽しくて部活を続けていました。 部活の顧問の先生はT居先生とO島先生。 実際には T居先生が指導を任されていました。 T居先生は、横浜市立東高校1期生です。 1500m持久走の東高校1位の記録を持ち、18期の我々にも破ることはで

      • 海老澤剛の生い立ち73-ハンドボール部の先生

        わたしが入学したとき18期生でしたので、高校は創立18年でした。 18年が長いのか短いのか分からないのですが、当時としては、歴史ある高校と言われていました。 そのためか有名な先生がおられました。 特にハンドボール部顧問の佐分先生は、ハンドボールの世界では有名な方でした。 日本でハンドボールが広まるように尽力された方のようです。 しかし、偉ぶったり威厳を見せる様子は全くなく、親しげに話しかけてくださる方でした。 身体は小柄で、長嶋さんのようなカン高い声で、いつも楽しげな先生で

        • 海老澤剛の生い立ち72-高校の先生の思い出 物理の少林先生

          高校の話に戻します。 中学のときと同様に、高校の先生方も個性的な先生が多かったです。 一番強烈に印象に残っているのは、物理のS先生です。 S先生は少林寺拳法の有段者で、毎年四国の総本山で鍛えておられ、生徒たちの間では「少林先生」と呼ばれていました。 小柄ですが、全身が、引き締まっていて、顔もエラが張って噛む力が普通の人の何倍も強そうなのが見ているだけでわかりました。 怒ると私たちの3倍ぐらい太い血管がコメカミに浮かびあがり、手を握り締めるとハガネのような筋肉がピキピキと

        海老澤剛の生い立ち75-担任の先生方(U田先生、Y崎先生)

          海老澤剛の生い立ち71-沖ヨガ修道場の感想をちょっとくだけて書きます

          前回までは沖ヨガ道場初体験を真面目に振り返りましたが、今回はちょっと極端に、ちょっとくだけて、わたしの本音を書きます。 リラックスバージョンです。 道場に行く前までのわたしのヨガのイメージは、次のようなものでした。 わたしは、ヨガをやると皆んなが「バビル2世」のように、サイコキネシス、テレパシー、超能力を使えるようになり、気持ちが通じ合うので、争いがなくなり、本当の意味で助け合い、沢地の町全体、そして三島市全体が、ゴダイゴの歌う「ガンダーラ」のような理想郷になっているのだ

          海老澤剛の生い立ち71-沖ヨガ修道場の感想をちょっとくだけて書きます

          海老澤剛の生い立ち70-「俺は今(ヨガを)やってるんだよ」

          もう少し沖正弘導師について書きたいと思います。 沖導師の講演会で、ある方が質問しました。 「沖先生はいつヨガを行っているのですか」 おそらく、この方はヨガのポーズのことを聞かれたのだと思います。例えば、早朝とか、夜とか、みんなと会わない時間に一人でヨガのポーズを取っているのかなと。 しかし沖導師の答えは違っていました。 「俺は今やっているんだよ」 と答えていました。 また、横浜のヨガ教室の指導員Aさんから、こんなことを聞きました。 沖先生は、座っている姿勢、立っ

          海老澤剛の生い立ち70-「俺は今(ヨガを)やってるんだよ」

          海老澤剛の生い立ち69-前回「生命即神」の補足

          前回の記事の「原子の構造が銀河の構造と同じこと」が生命とどう繋がるのか分かりづらいと言うメールをいただいたので、補足します。 命の働きが形になっている体を見ると、肉体は細胞が集まってできていて、細胞は原子が集まってできています。 原子は素粒子が集まってできていますが、この素粒子の動きは、天体の動きと同じで、自転しながら公転しています。 微細な粒の世界も、広大な宇宙の天体も、同じように宇宙空間の力を受けて動いています。 そして、自力ではなく、空間の力の働きで回転運動をしていま

          海老澤剛の生い立ち69-前回「生命即神」の補足

          海老澤剛の生い立ち68-沖ヨガ修道場初体験の感想3

          ●生命即神 沖ヨガ修道場の舞台に飾られている掛け軸に書かれているのが、この言葉です。  生 命 即 神 この言葉を、沖導師はご自身の「悟り」とされています。 ヨガとは神と一体になること。 では「神」とは何か? 沖導師は「目を内に向けよ」という言葉から、生命が神と理解されたそうです。 これをわたしなりに考えました。 以下はわたしの考えです。 宇宙の法則 = 大自然の法則 = 生命の法則 人間を含めて、生物の体は、自然の法則で活動しています。 心臓が動いて血液が巡

          海老澤剛の生い立ち68-沖ヨガ修道場初体験の感想3

          海老澤剛の生い立ち67-沖ヨガ修道場初体験の感想2

          ●「誓い」で印象に残っていること 2つめは「ねむりの誓い」です。 「私は、今日一日の反省をし、明日への新しい誓いをたてております」 わたしは一日の終わりに、反省や反芻を行うのは良いことだと思っています。 朝起きてから夜寝るまでに起きたことを振り返ることで、自分を客観的に見ることができるからです。 良かったこと、悪かったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、また味わいたいこと、驚いたこと、腹が立ったこと、恥ずかしいこと、悔やんでいること、喜怒哀楽の感情の動き・・・ そして

          海老澤剛の生い立ち67-沖ヨガ修道場初体験の感想2

          海老澤剛の生い立ち66-沖ヨガ修道場初体験の感想1

          昭和56年12月沖ヨガ修道場の生活を数日間ですが体験させていただきました。 それまでにわたしの抱いていたヨガのイメージとは違うもので、体験できて良かったと思いました。 以下に具体的な感想を書いていきます。 高校生の当時の感想と、現在 60歳手前で改めて思うことを書き綴りたいと思います。 ●必ず誓いを唱和してから実行する 道場では、日々行われる行法を行う前に、必ず合掌しながら「誓い」を全員で唱和します。 覚えているだけで、以下の誓いがあります。 ・目覚めの誓い ・清掃行法の

          海老澤剛の生い立ち66-沖ヨガ修道場初体験の感想1

          Return To Flight 日本H3ロケット2号機の打ち上げが成功するまでにJAXA、三菱重工の皆さんが取り組んでいる様子を記録した感動の動画です。 全部で50分弱です。お時間のあるときにぜひご覧ください。 https://youtu.be/f_ImM41mePE?si=-PF2j5XBdMJYZUBu

          Return To Flight 日本H3ロケット2号機の打ち上げが成功するまでにJAXA、三菱重工の皆さんが取り組んでいる様子を記録した感動の動画です。 全部で50分弱です。お時間のあるときにぜひご覧ください。 https://youtu.be/f_ImM41mePE?si=-PF2j5XBdMJYZUBu

          海老澤剛の生い立ち65-沖ヨガ道場2日目 沖正弘導師の講義

          道場の生活は、スケジュールは決まっていませんが、午前中は大体前回にご紹介した流れでした。 午後は、講義が中心ですが、ボクシングや太極拳、農作業など体を動かす時間もありました。 講義の内容は、食事、体の仕組み、病気の概念などでした。 そして、2日目の夜に道場主である沖正弘導師の講義がありました。 指導員も勢揃いし、受講生の並び方が縦にも横にもまっすぐになるように注意され、全員正座で待ちます。なんだかものすごい緊張感でした。 質問がある人は事前に紙に書くように言われたので、

          海老澤剛の生い立ち65-沖ヨガ道場2日目 沖正弘導師の講義

          海老澤剛の生い立ち64-ヨガ道場2日目(午前)

          「起床!起床!」 朝6時ごろ、日の出の直前に指導員の声に起こされます。 ヨガの人は3時間睡眠と聞きましたが、受講生には、そこまでは強要はしないようです。 12月の朝は寒く、早起きは辛いと思っていましたが、意外とすんなり起きれました。 布団をたたみ、顔を洗って、歯を磨き、トイレに入ると、驚いたことがありました。排泄を終えて、お尻に紙をあてても、紙が汚れないのです。 何度あてても真っ白なままでした。 これは道場にいる間、ずっと続きました。 体に合うものを食べると、紙はいらなくな

          海老澤剛の生い立ち64-ヨガ道場2日目(午前)

          海老澤剛の生い立ち63-ヨガ道場初日

          自分の生い立ちを書き終え、2階の道場に案内されました。 入って右側が舞台になっており、武道の稽古場のように畳が敷かれていました。 舞台の横には 「生命即神」と大きく書かれた掛け軸があり、逆側には 「感謝」 「懺悔」 「下座」 「奉仕」 と書かれていました。 ヨガ教室とは全く違う雰囲気の道場に戸惑いながらも、周りの人に馴染むように努めました。 午前中は、事務手続きや生い立ちを書いていたので、昼食から合流しました。 昼食をいただく前に、「栄養摂取の誓い」を唱和します。

          海老澤剛の生い立ち63-ヨガ道場初日

          海老澤剛の生い立ち62-沖ヨガ修道場初日に生い立ちを書く

          冬休みに入ってすぐに、わたしは三島市沢地にあるヨガ道場に向かいました。 国鉄(当時)の東海道線で横浜から三島へ、そして三島駅からバスで終点「沢地」まで行きます。 バスを降りると白い建物があり、看板には「求道実行会密教ヨガ修道場」と書かれていました。 道場のそばには川が流れていてい、サラサラと音を立てていました。 呼び鈴を鳴らし、挨拶をして玄関に入りました。 まず入所するにあたり注意事項が書かれた文書を読みます。 10項目以上あったような覚えがありますが、一番印象的だったの

          海老澤剛の生い立ち62-沖ヨガ修道場初日に生い立ちを書く

          海老澤剛の生い立ち61-冬休みにヨガ道場へ行くことに

          高校2年の秋から、週2回ヨガの教室に通い勉強させていただきながら身体を整えていましたが、せっかくなら道場に行って1日中ヨガの生活を体験したいと思いました。 ヨガ道場は、静岡県三島市にあります。(今は記念碑が建っています) 正式な名称は「求道実行会密教ヨガ修道場」と言います。 ヨガ教室の指導員Aさんに相談して、冬休みを利用して数日間、泊まり込みで道場の生活を体験させていただくことにしました。 高校の担任の先生にもお伝えしたら「お前、ヨガなんかやってやんの?殺されてくるなよー

          海老澤剛の生い立ち61-冬休みにヨガ道場へ行くことに