ベンチャーズ歌謡について
‘60年代にベンチャーズによって、日本にエレキブームがもたらされたのは事実であり、国内のポピュラーミュージックの発展に貢献したのは間違いないだろう。当時、彼らは加山雄三と親交があり、彼を通じて日本の歌謡曲の作曲に携わるようになっていった。
ベンチャーズ歌謡の第一弾と言われているのが、’66年リリースの「二人の銀座(Ginza Lights)/和泉雅子と山内賢」である。ベンチャーズが作曲した「Ginza Lights」に永六輔が歌詞をつけ、越路吹雪が歌うはずであったが、彼女の「もっと若い人が歌ったほうがいい」というアドバイスにより、和泉雅子と山内賢に白羽の矢が刺さった。
「二人の銀座」の大ヒットによって、ベンチャーズへの作曲依頼が殺到する中、次にリリースされたのが、’67年リリースの「北国の青い空(Hokkaido Skies)/奥村チヨ」である。その後は、’70年に「京都の恋(Kyoto Doll)/渚ゆう子」「京都慕情(Reflections in a Palace Lake)/渚ゆう子」「長崎慕情(Nagasaki Memories)/渚ゆう子」とヒットが続いた。
そして台湾からやってきた欧陽菲菲が’71年に「雨の御堂筋(Stranger in Midoosuji)/欧陽菲菲」が大ヒットとなった。私も当時は小学生ながら、なんかカッコいい曲だと思っていた。
私見ではあるが、彼らの曲には小刻みなギター、歌詞のハマりやすい空白に入るオブリガード、日本人が直感的に捉えやすい七五調の歌詞などが日本人の感性にマッチしたのだろうと思う。
個人的に一番好きな「二人の銀座」をYouTubeでどうぞ。
リアルタイムだった「雨の御堂筋」。
「ベンチャーズ歌謡大全」なる企画CDも発売されているが、7インチ盤を探しながら集めるのもいいと思う。但し企画CDには入手困難曲も収録されている。
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