takeshi_yamada_タケシ

東京は代々木在住。薬剤師です。アジアの路地裏を覗き込む生活20年。コロナ渦の中、旅に出…

takeshi_yamada_タケシ

東京は代々木在住。薬剤師です。アジアの路地裏を覗き込む生活20年。コロナ渦の中、旅に出れず悶々としている方は多い。写真をお届けることで、旅路に想いを馳せて頂ければ幸いです。二輪はW650。

マガジン

  • 🇹🇭タイ編

    渡タイは年2回ペースで20年。マガジンの使い方がよくわからないのでここに集めよ。

  • 🇰🇭カンボジア編

    カンボジアはシェムリアップとプノンペンに行ったことがある。ラテライトと呼ばれる赤土が舞う貧しい国だった。かつては。今成長期にある。その迫力を味わうなら断然プノンペンである。

  • 🇹🇼台湾編

    台湾はマイレージで騙されたと思って行ってみたら病みつきになってしまった。東南アジアのいいところどりをした感じで日本からのアクセスの良さも手伝い、何度も渡航している。東南アジア→台湾→沖縄という順にハマってゆく。

  • 全般

    特定の国に限らない種種雑多なハナシはここへ残そうと思います。

  • 🇲🇲ミャンマー編

    2015, 2016年と懲りずにバンコクと兼ねてヤンゴンに行った。撮り貯めた写真は数知れず。現在の愛機はIphone se2とSONY RX100M7, Canon Eos kissx5に短焦点レンズ。でももうIphone一つで十分かと思う。ヤンゴンうろうろ、→チャイティーヨー→ダラ貧困地区。思い出し次第気ままに書くので時系列は前後する予定です。

最近の記事

🇹🇭哀愁、バックパッカー

約3年ぶりの投稿である。 コロナ禍が明けると、一見以前と変わらぬ暮らしが戻ったように思うが、海外旅行好き、特に2000年前後にバックパッカーにハマった中年層には溜息が出てしまう様相ではないだろうか。 1ドル150円 先進国だった日本からあえて貧乏宿に泊まり、不衛生な食事でいかに安いかを自慢し合う旅。 先進国の国から絶対貧困のスラム街や売春街を練り歩く当時の日本人は、心のどこかに「日本は恵まれている」という勝手な根拠を持っていたのではないか? GDPでドイツに抜かれる

    • 🇹🇭ゲストハウスに馴染めなくなった時。

      インドシナ半島へ何度も足を運ぶ内に気づいたことがある。バックパッカーを名乗る事ができなくなった起点がある。 それにどうやって気づいたか? 「ゲストハウスを転々と出来なくなった」時だ。 新宿ビル群を背にして成田から経ち、何度も何度も執拗に足を運んだバンコク。「バックパッカー」という言葉に自意識過剰なまでに固執した。 貧乏旅行、というスタイルを言い訳にして年月が経ち、30代を迎えた頃、突然ゲストハウスに馴染むことが出来なくなった。 「ああ、これで卒業だ」本当に一人で呟いた

      • 🇹🇭バンコクからチェンマイ〜寝台列車にて 2002

        20年前の写真である。当時の私はデジカメを持ち合わせていなかった。(まだ200万画素程度のコンデジが出始めだ頃だった。) だから今回掲載する写真はフィルム写真をデジタル化したものとなる。 バックパックにモノクロとカラーのフィルムを数十個詰め、旅立ち、どのような写真が撮れたかは当然現像前なので分からないまま帰国。 手荷物検査のX線でフィルムがダメにならないかヒヤヒヤしながら。写真屋に頼んで出来上がった写真は今にして思えばくすんだような独特な。でもハッキリとデジカメでは出せ

        • 🇹🇭旅情:ジュライホテルへの畏怖。カオサン組より。

          もっかコロナ禍が3年目。 タイへの渡航欲が増すばかりだが、 止まらない円安に溜息をつくばかり。 書棚の財布を開けると最後の渡タイである2019年末の残りのバーツ札がぎっしり入っている。 …と言ってもそれは大袈裟で、せいぜい二万バーツくらいだろう。 notesに記事を投稿してはインドシナ半島と沖縄を反芻していたのがコロナ直後。あれから2年。 久しぶりに開き閲覧された記事のレビューを見ると ダントツで、「ジュライホテル」だった。 次点で「ミャンマーの夜」、沖縄の「コザ」

        🇹🇭哀愁、バックパッカー

        マガジン

        • 🇹🇭タイ編
          59本
        • 🇰🇭カンボジア編
          12本
        • 🇹🇼台湾編
          16本
        • 全般
          4本
        • 🇲🇲ミャンマー編
          13本
        • 🇯🇵日本編
          5本

        記事

          🇹🇭ジュライホテルとヤワラーと。

          2018年。ファランポーンとヤワラー界隈を散策してから三年が立つ。まさか未来に疫病との戦いが迫っているとは思いもよらず。 最後の訪タイは2019年末。 バンコクのホテルでスマホをみる。 ニュースには小さく「武漢で新型のウィルス」 とあった。何も脅威は感じなかった。 久しぶりにNOTEを開いた。 ヤワラーのジュライホテル界隈のトピックの閲覧数が桁外れだった。 なぜか。推測にしからないが、 バブル期から2000年前後までの間、 「バックパッカー」が認知された時代の人達が

          🇹🇭ジュライホテルとヤワラーと。

          🇰🇭シェムリアップの盲人

          2005年8月。 カンボジアのアンコールワットの街、 シェムリアップをふらついていたら 盲人が経営する指圧マッサージ屋を見つけた。 入ると掘っ立て小屋に不衛生なベッドが並んでいて目の不自由な方がずらりとならんでいた。 確か60分くらいで500円だった。 腕は確かだった。 両肩のツボの芯に指が入ってくる。 マッサージが終わり、帰ろうとした。 するとレジで止められた(レジの人も盲人) 「チップがないよ」と言われた。 適当にカンボジアのリエル紙幣を手渡すと 「足りない

          🇰🇭シェムリアップの盲人

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          🇹🇭ジュライホテルが突出していた。

          🇹🇭ジュライホテルが突出していた。

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          🇹🇼二ヶ月ぶりにnotesを開く。

          🇹🇼二ヶ月ぶりにnotesを開く。

          🇹🇭昔懐かしアイス屋さん '16 バンコク

          🇹🇭昔懐かしアイス屋さん '16 バンコク

          【全般】お薬。旅の必需品。

          さて、旅行中の必須品といえばなんですか?今や地図もガイドブックもカメラも、はたまたお金までもが携帯に収まるからだいぶ身軽なんじゃないですか? でも心配で心配で必ず持っていくものがあります。 お薬です。 とはいえ、タイなら薬局で症状を説明できればなんとかなる。 最悪、「苦しんでる」というジェスチャーでもなんとかなる。 でも、現地のお薬は欧米人向けなのか分からないが、超強力。なので日本から常備薬を持っていく。 そこで、万能薬。 ロキソニンである。 とはいえ、解熱

          【全般】お薬。旅の必需品。

          🇲🇲暴風雨ゴールデンロック① '14

          有吉に似た男に案内され、キンプンからバスターミナルへ案内された。 ここが、バス乗り場。荷台に細工がしてあり、何やら不穏な香りが。 有吉を信じて良かったのか?有吉? 有吉は何処かへ消えた。 これである。ベンチ椅子を固定して、パイプの取っ手がある。ここに捕まって、 いろは坂を駆け上る! 暴風雨。安物のポンチョなぞ役に立たない。ずぶ濡れである。 この状態のままいろは坂をずぶ濡れで駆け上がる。頭文字Dの世界だ。 対向車なし!いくよ! ようやく。山頂のホテルに着いた。こ

          🇲🇲暴風雨ゴールデンロック① '14

          🇰🇭射撃!ロケットランチャー② '13 プノンペン

          プノンペン郊外の郊外まで連れて?こられた軍事訓練施設。ほんまかいな?ということで値下げ交渉の末ロケットランチャーを撃てることに。 ロシア製にも見える怪しい軍事トラックが警備している施設地域。安心とはとても思えない。 ざっと並べられた銃器。おもちゃの様に並べられられて「さあ。どれにする?」とある。 この頃になると客は私だけではなくて欧米人の若者カップルが妙に女といちゃつきながらやってきて合計8名くらいの銃器好きサークルの談話の様相。 トムの言葉を反芻する 「いいか、他

          🇰🇭射撃!ロケットランチャー② '13 プノンペン

          🇲🇲GoProの撮り方で一工夫

          🇲🇲GoProの撮り方で一工夫

          【全般】機内食の写真から「旅」を考えた

          【全般】機内食の写真から「旅」を考えた

          🇲🇲一枚の画像が「記憶の日記」を作る。

          🇲🇲一枚の画像が「記憶の日記」を作る。

          🇹🇭風景撮影の難しさ

          🇹🇭風景撮影の難しさ