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何者でもない

僕は幼い頃から「夢」というものが理解出来なかった。
夢とは言っても寝てから見る方じゃなくて、ケーキ屋さんになりたいとか、仮面ライダーになりたい、とかの方の夢だ。

家はいつも夜になると両親がいなくなる家庭だった。父は一年の大半を外で過ごしていて、僕の友達の母と不倫していたから驚きだ。
だからなのか、父が家に帰って来る時は義務感から来るストレスの為か、いつも不機嫌だった。父がそんなもんだから母も毎晩のように外で飲み歩いていて、家の中では兄妹達と過ごす時間が多かった。

毎日毎日、ただ目の前のことだけに必死で遠くを見る余裕がなかったからなのか、保育園に通っている時に他の園児が「~屋さんになりたい!」というのを聞いても「なればいいんじゃない」としか思っていなかったし、「〇〇レンジャーになりたい!」と目に炎を浮かべる友人のカズ君に対して僕は「あれはテレビの中の話しだからね」と説得さえしていた。
それからずっと「将来なりたいもの」を聞かれても何も答えられない子供だったし、何かにならなければいけない、という事に対していつも頭の中でハテナを作っていた。

自分が出来ることを探そうと思っているうちに大人になって、大人になってからしばらく経ち、今ではオジサンと言われる年齢になっている。
今は「将来なりたいものがあるか?」と尋ねられたら、どうなんだろう。
鼻息荒くしてそんなことをやたら聞きたがる社会人にはよく出くわすけど、僕は平凡な日常を送っていたいと今では答えられる、と思う。

平凡というのは顔のないモブキャラみたいな奴で、きっと誰の目から見てもその辺に転がり過ぎていて見向きもされないものなんだと思う。
所謂、当たり前という奴だ。
みんなにとって当たり前だと思う平凡な毎日も、あまりそういう事に馴染みのない生き方をして来てしまった僕にとっては実に掛け替えのない瞬間だったりする。

朝起きて窓を開けて、季節の匂いが変わっていることに気付くこと。
友人が子供の成長を嬉しそうに話すのを聞いている時間。
健康の為にサイクリングを始めてから多くの恥をかいたこと。
しめじが昨日より二十円安くてテンションが上がる瞬間。
彼女が作った料理を食べたり、時には一緒に作ること。
その為に夕方になってから買い物へ出て、何でもないような話をしながらスーパーへ向かっている時間。
おやすみなさい、と毎日伝え合う夜がここにあること。

ざっと思いついて書いただけで、こんなに多くの歓びが今の僕の日常にはある。
きっとどれもこれも、他人が読む物語としては実に薄い平凡ばかりなのかもしれない。
でも、僕と言う人間がこの為に生きているという大きな感動があったりする訳で、その物語は本当に小さなもので、本当に大切な人にだけ届けば良いと本気で思える。

楽しいことも嬉しいことも、僕なりに増えた。
そのおかげで、人生暇を潰している暇がないくらいだ。

その割に、僕は社会の中で何か大きなことを成した訳でもなく、知らない他人から見たら「何者でもない」人に違いない。
僕が日頃書いている話なんかも見えている角度が人と違うだけで、突拍子のない物ではないと思っている。

日常も含めてそんな平凡があるからこそ、その中から生まれる特別もまたあるのだと、最近はとても思ったりする。

今日は外に出たら陽射しは暑いのに辺りは金木犀の香りが漂っていた。
暑いのに、変なの。
そう思いながら本当に俺は普通だなぁなんて、少しだけ自分で笑ってしまった。

※タイトルは敬愛する原田宗典先生の小説から拝借させていただきました。

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