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【一人で勝手に旅気分】334

(過去の旅についての振り返りです)
★去る立場での指導の難しさ、でも正直なところ自分に対する恥ずかしさ(2016年年2月中旬)

【記事累積:1953本目、連続投稿:886日目】
<探究対象…オーストラリア、パース、フリーマントル、怒ると叱る、自己正当化>

今日の「ナゼ・ナゾ」は、オーストラリアの写真です。この写真を撮影したのは、早稲渋で教員をしていたときに引率した修学旅行の終盤でした。さて、どんなところが「ナゼ(疑問を持った)・ナゾ(気になった)・アンテナ」に反応したのでしょうか。

このときの修学旅行はオーストラリアの西海岸が行先で、序盤や終盤はパースやフリーマントル、中盤はファームステイというスケジュールでした。当時、早稲渋の修学旅行は高校2年生の2月頃に実施で、2015年度は高校2年生の担任をしていたので、引率でオーストラリアを訪れていたのです。

この学年は高校1年からの持ち上がりで、早稲渋での4年間でいうと、主担任をしたのはこの学年だけだったので、色々と思い入れもありました。しかし彼らが高校3年生になる来年度を待たずに、早稲渋を辞める予定になっていました。辞めるわけですから、持ち上がるかどうかどころではなく、高校3年生という次の進路を確定させていく大切な1年間に関わらない状態で、申し訳ないというか後ろめたいというか、とにかくポジティブにはなりえない感情が私の中に渦巻いた形での修学旅行引率だったのです。

今日の写真に写っているのは、修学旅行の終盤、ファームステイを終え、港町フリーマントルでの班別行動が行われていたときの写真です。私がここに注目した理由は何であるのか推察してみると、ようやく修学旅行も終わりを迎えるという段階で、自分の人間としての至らなさが見事に顕在化する場面があったからだと思います。

20年ほど教員をしていて感じるのは、修学旅行などを始めとした学校行事・学年行事の中で、その時間を生徒たちは余すところなく気づき・学びの材料にすることができ、行事をきっかけに頼もしく成長していくということです。様々な行事によって新たに得られる情報が視野を広げることがありますし、集団行動を通じて他者理解も進みます。集団行動は自分の長所と短所の両面に気づく機会にもなります。またこれらの変化は行事の中だけで終わるものではなく、通常の学校生活に戻ってからも、振り返りによって新たな気づきや学びが得られ、それがさらなる成長につながっていくと感じています。だから行事というのは気づき・学びの宝庫で、成長の大チャンスと思っています。

修学旅行が行われたのは2月中旬で、あと1か月もすると私と彼らとの関わりがなくなることは分かっていました。それゆえ戻ってから彼らと時間をかけて気づきや学びを共有することはできなかったのです。ただそれは教員サイドの話で、生徒たちはこの時点ではまだ知らなかったのです。だから、できるだけ行事の中で気づきや学びがしっかりと彼らに残る形になればと思い、どこかで焦ったり急いだりする気持ちがあったのは確かだったと思います。

そんな思いの中で、終盤のフリーマントル判別行動が行われました。生徒たちは早い時期から、行動計画を立て、準備をしてきました。しかしそういった計画が本番でその通りに進まないことはよくあるものです。そのため現実に起こっている状況の変化を踏まえながら、計画との対応関係を確認したり、必要があれば計画を変更したりするという臨機応変の感覚や柔軟性を身につけていくことも、行事を通じた成長の大切な部分だと思います。そして実際、様々な状況変化がありました。途中で体調不良になってしまうメンバーがいたり、集合場所が急遽変更になったりと、そのままの計画通りには行かない事態が起こったのです。その結果、いくつかの班は集合時間に間に合わなかったのです。

そのため間に合わなかった班のメンバーを集めて、私は強めの注意をしました。修学旅行の最後の最後に注意を受けることになり、彼らとしても思い出に残念な要素が追加されてしまったと思います。そんな注意をしたあとだったので、そのあと海沿いのオシャレなレストランで夕食をとったときの綺麗な夕日を素直に楽しめない自分がいたのでした。注意をするとしても、あの場で強い口調でするのではなく、時間を置いてからすべきだったのではないかという気持ちが膨らんでいました。しかし彼らと関われる時間はもうそれほど残っていないという気持ちからだったんだと、自分に言い聞かせて心を落ち着かせながら夕日を眺めていたのでした。

今回の「ナゼ・ナゾ」は、早稲渋ラストイヤーのときに引率した修学旅行終盤で、生徒を強めに注意したことが思い出される写真でした。集合時間に間に合わなかった班に対して、私はその場で強めに注意をしたわけですが、その注意が彼らの今後の成長のことを純粋に考えたものだったのかというと、そうではなかったのです。それは後になって振り返ってみるとそう思えるというものではなく、注意をした時点で自覚していたことだったのです。集合時間におくれた班はいずれも自分のクラスの班でした。そのため、あの注意は彼らの今後のためという「叱り」というよりも、自分のクラスだけ間に合わない班があったということに対する恥ずかしさに引きずられた「怒り」だったのです。心の中には、彼らにしっかりと指導できる時間が限られているので仕方がなかったんだと自己正当化しようとする思いと、自分のクラスだけ遅れる班が出たのはクラス担任としての力不足の表われで恥ずかしいという思いの両方が入り混じっていたのでした。

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