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「名古屋というところ」

名古屋というところ、という言葉を初めて聞いたように思う。

その言葉を聞いたのは、パリの北東のアパルトマンの最上階だった。1960年代、北海道の室蘭からフランスに渡ってからずっとパリで暮らしている「パリジェンヌ」の女性から出た言葉だった。

私が年に1度くらいの頻度で日本に帰ることがあるというと、少し驚かれているようにして、それに答えるように「私も名古屋というところに行ったことがあるのだけれど」と言葉が返ってきた。

彼女は展示のために10年くらい前に一度だけ日本に帰ったのだ。その場所が彼女の描いた絵を展示する場所のあった名古屋で、その時彼女は名古屋から東京にも京都にも、もちろん北海道にもいかなかったという。約50年ぶりの祖国への帰還、それは「名古屋というところ」が全てだったのかもしれない。

出された赤葡萄酒を飲みますかと進められ、飲む赤いぶどうの酒はとても「日常」の味がした。美味しい。ワインという言葉は軽薄な感じで嫌いだという。嫌味ではない、いろいろ正直だなと感じた。アパルトマンの最上階で、どんよりとした空から時々差し込む光はとても強く、その度に部屋を包みこむ。彼女の描いたパリの風景の油絵もまた光と混じり合う。

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「名古屋というところ」

この表現を私は一生使わないだろう。名古屋は名古屋であって、余白のない自明すぎるものだからだ。図らずも近年名古屋との縁が増えるばかりで、ますます私にとっての名古屋の輪郭は明確になっていく。でも、いや、だからこそと言うべきか「名古屋というところ」に私は絶対に行けない。それはそうした人生を選んだ彼女でしか行けない場所だ。

良いなと思う。

振舞って頂いたコルシカの干し肉。私が行けない場所を知っている彼女にまた会いたいなと思う。

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