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鮮明に蘇るジョン・バトラー

beautiful!!! excellent!!!
西オーストラリア、フリーマントルという港町の外れにある一軒家で毎日のように飛び交ってた言葉。
彼らはお互いの賛辞として、この言葉を多用していた。very goodくらいしか知らなくて飛び込んだ海外生活で、凄く刺激的な出来事だった。

1999年、21歳の自分は大学3回生を終え
当たり前のように就職活動することを受け入れられず、といっても明確にやりたいことも見つからず、でもとにかく何かを切り開きたくて
直感を頼りに、西オーストラリア、パースの少し南西にある港町、フリーマントルに来た。

このバックパッカー生活の話は
今後もちょいちょい書くとして

その中でも一番衝撃だった出来事
ジョン・バトラーとの出会いを書きたい

フリーマントルは、パースとともにそのあたり一体が芸術の街。たくさんのアーティストやクリエイターが住んでいた。学生時代に初期のアンダーカバーに感銘を受け、ぼんやりとだけどクリエイションすることに興味を持っていた自分は、何かを切り開くためにこの街を居住地として選んだ。

この街での生活で、必ずといっていいほど立ち寄る場所が2つあった。ひとつはmojo's barというライブハウス。もう一つはla toropicana caffe、通称trop(トロップ)。

la toropicana

とにかくこのカフェに毎日毎日ひたすら通い詰めた。理由は、ここに来れば色んなクリエイターに出会えたからだ。カメラマンもいれば、ギタリストもいる、絵描きもいれば、古着屋の店員やモデルさんもいた。毎日がクリエイション。即興でライブがはじまり、即興で撮影会がはじまる。
みんなが夢を語り、未来を創造していた。

彼らとの出会いもそこだった。
彼らはとくにチームでもグループでもないので正確には何人いたのかとか、何の集まりだとかはわからないが、とにかくクリエイティブ集団だった。

覚えているのは
大道芸人のSIMON
謎のクリエイターのRAZER
謎のおじさんALAN
伝統楽器?の演奏者BILL
そして、シンガーソングライター
ジョン・バトラー。

彼らはハイストリート沿いの一軒家に住み
今で言うシェアハウス的な生活をしていた
そして昼前にはなんとなく特に決め事もなく
トロップに集まって
おもむろにクリエイションする

左からジョン・バトラー、サイモン、ビル。ジョン・バトラーのInstagramから引用

互いのパフォーマンスを楽しそうに見ながら
終わると満面の笑みで拍手しながら
決まってこう絶賛する
beautiful!!! excellent!

その表現の仕方が大好きだった
今尚それは自分の仕事でも使っている

中でも、自分の人生に最大級の影響を与えることとなったのがジョン・バトラーだ。
その出会いから8年後、まさかワールド・ツアーで日本に訪れた彼とバックヤードで再会するなんて夢にも思わなかった、The John Butler Trioの夜明け前だった。

彼から影響を受けたことは
自分の好きなことをやり続けること
自分の大切なヒトやコトを守り続けること
夢を楽しそうに語ることの大切さ
そして、それ以外何も望まないということ

当時彼が路上で販売してた自主制作のアルバム「John Butler」は今でも宝物で。そしてその作品のリマスター盤がサブスクで聴けるという現実が、彼の言葉が間違いなかったことを証明してくれている

自主制作盤John Butlerは確か98年発表

20年以上前の出来事が、今の自分の根本を支えているなんて想像もしなかったし、狙って出来るものではない。ただ、20代でもがき、苦しみ、悶々としながら、何者でもない自分に焦りを感じて飛び出した世界で、出会った人、差し伸べてくれた手、かけてくれた言葉、笑顔は、必ず礎となり宝となる。それだけは経験者として自信を持って言える。

だからそれでいい。
今の世界をとびだせ、
広げろ、
焦って焦って焦りまくれ!
それが進むべき正しい道だから。

your life is beautiful
your future will be exellent!!!

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