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戦略を学ぶ

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軍事・安全保障の観点から戦略を学びたい方のためのマガジンです。
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記事一覧

論文紹介 1970年代に米国で生み出された軍備競争の戦略思想

戦略研究者アンドリュー・マーシャルは、ランド研究所で勤務していた1972年にアメリカがソ連に…

メモ 軍種間の予算獲得競争で促進された米海軍の潜水艦発射弾道ミサイル開発

軍隊の中で最大の組織区分として陸海空軍といった軍種がありますが、この軍種間で起こる政策競…

なぜ戦間期の英国はドイツとの対立を避け、宥和に動いたのか? The Ultimate Enemy(19…

1933年にアドルフ・ヒトラーが新政権を発足させてから、ドイツは将来の戦争を見据え、軍備を積…

論文紹介 イラクが核開発を進めようとした狙いは何だったのか?

1979年3月27日、イラクの副大統領でありながら、すでに事実上の最高指導者として権力を掌握し…

宇宙領域の冷戦史『世界史を動かすスパイ衛星』(1990)の紹介

1992年9月、アメリカ国防総省は初めて国家偵察局(National Reconnaissance Office)の存在を…

軍事と外交を統合する戦略を探求したジョージの強制外交理論 The Limits of Coercive …

強制外交(coercive diplomacy)は、すでに何らかの望ましくない行動を開始している相手に対し…

宇宙開発の政治史を記述した先駆的研究The Heavens and the Earth(1985)の紹介

1957年にソ連が打ち上げた人工衛星スプートニク1号はその後の国際政治の展開に大きな影響を及ぼす出来事でした。アメリカ国内ではソ連に宇宙開発で追い抜かれたという危機感が高まり、宇宙関連技術に関する研究と教育への関心が高まるきっかけとなりました。当時の大統領だったアイゼンハワー(Dwight David Eisenhower)も、この世論の高まりを受け、宇宙開発を推進しますが、同時に宇宙開発の軍事利用に歯止めをかける必要があると考え、軍隊とは別の連邦政府の機関として1958年の

軍隊の装備品の研究開発費を膨張させる要因を考察したThe Weapons Acquisition Proces…

軍隊が装備を調達費用を最小に抑えることは、有限なリソースを最適な仕方で配分したい国家にと…

ブローディは伝統的な戦略理論の限界をどのように批判したのか?

冷戦時代で最も独創的な戦略理論家の一人だったアメリカの政治学者バーナード・ブローディは、…

メモ なぜ中国はベトナム戦争に介入したのか?

1965年、中国は北ベトナムに戦闘支援部隊を派遣することを決定しました。当時、北ベトナムはソ…

第一次世界大戦におけるフランス軍の戦略と作戦を分析したPyrrhic Victory(2008)の紹…

第一次世界大戦(1914~1918)でフランスは西部戦線の作戦で中心的な役割を果たしました。フラ…

論文紹介 冷戦時代の欧州で軍事バランスはどのように分析されていたのか

冷戦の主要戦域と見なされていたヨーロッパでは、アメリカを中心とする北大西洋条約機構(NATO…

論文紹介 なぜ英国は1982年のフォークランド侵攻を予見できなかったのか?

1982年4月1日、イギリスが統治する大西洋の離島フォークランド諸島にアルゼンチン軍の部隊が上…

論文紹介 戦略の一つとして安心供与(assurance)を考える

安心供与(assurance)という戦略用語は、抑止(deterrence)に比べると知られていないかもしれませんが、抑止の効果を高める上でも重要な戦略です。抑止論の研究で知られるシェリングは『軍備と影響力(Arms and Influence)』(1966)で初めて安心供与を戦略として位置づけ、そのメカニズムを分析しました。 安心供与とは、自分が将来において選択する行動を約束する戦略であり、例えばA国に攻撃さえしなければ、自国は決してB国に被害をもたらすようなことはしない