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対称図•Nの選択3

3 キレイにキレそうな何か

執筆に集中したかったのでドアフォンの子機をクローゼットの奥の密閉式コンテナに放り込もうとしたまさにそのとき。
フォーン。と子機が鳴った。
私の舌も鳴った。
チッ…

訪ねてきたのはNとYの子が通っている保育園の園長E氏だった。
先般、Nが子を迎えに来るのが遅いとYに伝えた御仁である。
面識はある。
NとYが子を養子として迎えるとき、第二保証人になった人物だからだ。
ちなみに第一保証人はわたしである。

何かご用ですかと、フォン越しに問いかけてみた。
返事がない。
画像を見てみると、E園長はポケットから細長くて箱型のものを取り出しているところだった。
レコーダーだろうか。
そのまま観察していると、もう一度フォンが鳴った。
どちら様ですか、と問いを変えてみる。
「私が誰なのかわかっているのに2度も聞く理由のほうをお聞きしたい」

…うわー
やっだー

「ご用の向きをお伺いします」
録音されてるかもしれないので、一応は丁寧に話しかけた。
「ドアを開けない理由を伺いたいが?」
圧がすごいな。
「今仕事中なのでとっ散らかっていますのでね。短い要件ならこのままでお願いしたい」
「では単刀直入に。NとYを別れさせようとしているそうだね」
「してないですね」
「パーフェクト離婚をNに持たせたのはあなただろう」
「ご明察」
「あの2人が離婚に及んだ場合は、子の安全と保育を受ける権利を侵害したかどであなたを告訴する」
「どうぞ」
返事がなかった。
代わりにドア脇の傘立てがゴーンと低い音を立てた。
「蹴らないでいただきたい」
「蹴ってなどいない」
「ドアフォンは録画タイプですが?」
「ふん。こっちだって録音してるんだ。脅したって無駄だ」
脅してないんだが。

「もう一度お尋ねします。何しに来たのかな、Eさん」
「あなたが非常識な人間であり、幼い子に不幸をもたらすろくでなしだということを確認するためだ」
「確認してどうするんですか」
「祖父権を私ひとりに限定するよう申し立てをする」
「今でも祖父権はあなたひとりのものだが?」
「えっ…………」

何を驚いているのだろう。
私が保有しているのは祖母権だ。
養子縁組の際、第一保証人となった者に、優先的に祖母権が授与される。
第二保証人は祖父権、祖母権、どちらを選んでもいい。
だから、ごく一部の例外を除いて、すべての養子当事者には、必ず祖母権のある保証人がつく。祖母祖父揃うこともあれば、祖母ふたりというケースもあるのだ。

ただし、祖父権には唯一といっていい輝かしい特典がある。
それは小学校入学時にランドセルを購入して当該の子に贈ることができる、というものだ。

ふいに、ハハハと笑い声が聞こえてきた。
「なんだ。案ずることはなかったのだな」
「ですな」
「調子に乗るな、売文稼業崩れが。騙されないぞ」
 だめだ。面倒になってきた。
「このまま帰ってランドセル買いなさいよ」
「そうはいくか」
「なぜ」
「あの2人が離婚となれば、NともYとも親しいあなたにランドセルを購入するチャンスが転がり込むだろう。それは許せん。絶対にだ」
ドアの向こうから着信音らしきメロディが聞こえてくる。
ほーう。クラシックだ。
バンドエイドか。Do they know its Christmas  Time.
さもあらん。

ドアの外でE氏が電話で誰かと話してるあいだに、キッチンへ行き、一粒タイプのアイスをひとつ食べる。
ドア前に戻ると、E氏も電話を終えたらしく、ハァ、というため息もどきが聞こえてきた。
「Eさん。もういいかな。仕事したいんだけれど」
「こっちは仕事の合間に駆けつけてきてる。なんであんたの都合に合わせて帰らなきゃいかんのだ。常識で考えなさい」
「ランドセルだけの問題でしょうが」
「物書きのくせに頭が悪いな。これは離婚問題だ。問題点をすり替えるな」
「離婚するかしないかに関わらず、ランドセルはあなたが買ってあげればいいんじゃない」
「ならん。公職にある者として、ひとりの園児のみに対し私人のふりをして特別な贈り物などできない。なぜあなたはこの苦しみを理解できないのだ。それでも小説家か」
面倒くさ…。

「いいか。昔、といっても私が幼かったころのことだから、それほど遠い過去ではない。ひとりの子供には祖父と祖母は平均で4名いた」
歴史の授業が始まってしまった。
「それが今や、年間に産まれる子の数はナノレベルかと言われるほど少なくなり、そしてひとりの子供には祖父祖母曽祖父曽祖母、両親の再婚再再婚等の事情とともにステップ祖父祖母ステップ曽祖父曽祖母が2倍4倍8倍16倍32倍…という具合に増え続け、今やランドセルを贈れる晴れがましさを手にできるのはごくわずかな人間に限られることとなり」
「端折って端折って」
「子の愛情欲しさにランドセル贈与権の奪い合いで年寄りが荒れ、曽祖父群と祖父群とがメンツをかけて殴り合うなどし、社会が荒んだために」
悲惨な事件も増えたしランドセルの価格は自家用車よりも高額になったりなどして世が乱れ…。
そういえばつい最近も、宮殿のような店内に燦然と輝くランドセル一点が展示されていて、王侯貴族がごとき出立ちの祖父が幼な子と手を繋ぎ微笑みあいながらゆっくりとレッドカーペットの上を進み、ランドセルを手にし、ホールにいる大勢の祖父祖母曽祖父曽祖母群が羨望のまなざしでそれを眺めている、という映画があった。

「子は宝だ…」
「同感です」
「約束してくれ、たとえあの子の親たちがどのような選択をしたとしても、わたしはあの子にランドセルを贈りたいのだ。この年寄りの今生の頼み」
「だから、そうしたらいいってさっきから言ってるでしょ。ったく、人の話聞いてないんだから」
「なんだその口の聞き方は」
面倒くさ…
「いい加減に帰ってくださいよ。これ以上居座るなら副園長を呼びますよ」
「ごめんそれだけはやめて」

それを最後に、E園長の姿は画面から消えた。
その直後、ドルルルル…という大型バイク的な音が聞こえてきた。
ブラインドの隙間から見たらサイドカー付きだった。
まったくもって。
返す返すも面倒くさい。

 続く









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